顔を真っ赤にした小柄なおじさまが空のコップ片手に一人、フラフラと私たちのほうにやって来ました。
おばさまたちにビールを注いでもらって、しばらくワイワイやっています。
そのうちに、いつのまにか私と母のお膳の前に座り込んで、声をかけてきました。
「おやぁ、直子ちゃん。大きくなったねえ」
真っ赤な顔をニコニコさせています。
お腹が突き出た小太りの典型的な中年のおじさまです。
まん丸いツルツルした愛嬌のあるお顔で、悪い人ではなさそうです。
「何年生になったの?」
「中二です・・・」
うつむきがちに答える私。
やっぱり、知らない大人の人との会話は苦手です。
「直子ちゃんも、ママに似て美人さんだねえ」
私は、恥ずかしくなってうつむきます。
「おじさんのこと、覚えてる?」
私に顔を近づけて覗き込もうとするおじさまに、まわりのおばさまたちが、
「ほら、なおちゃん、困っちゃったじゃない」
「なおちゃん、酔っ払いは嫌いだってさー」
「あんた、ちょっと飲みすぎだよっ」
と笑いながらおじさまを叱って、助けてくれました。
おじさまは、乗り出していたからだを戻して、照れ笑いをしながら薄い頭を掻いています。
それから、イタズラっぽく笑ってこんなことを言いました。
「そうだ、直子ちゃん。ワイン飲んでみる?美味しいよ」
まわりのおばさまたちは、
「またあんたはっ!何考えてるの?」
「子供にお酒すすめて、どうするのっ!?」
と今度はさっきより真剣な口調で、口々におじさまを叱ってくれました。
私は、飲んでみたいな、ってなぜだか思いました。
母の顔を見ます。
「なおちゃん、飲んでみたい?」
私は小さく頷きます。
ちょっと考える風をしてから母は、
「それなら、いただいてみれば?帰るのは明日だし、今夜はゆっくり寝れるし、ちょっとなら大丈夫でしょう。何事も経験よ」
と言って、私の頭に軽く手を置きました。
嬉しそうな顔になったおじさまは、お部屋の端のほうに置いてあるクーラーボックスから、わざわざまだ口の開いていない白ワインのボトルを持ってきてくれました。
オープナーでコルク栓をくるくると開けてくれます。
「これは、すごくいいワインだよ」
言いながら、大きめのワイングラスに半分くらい注いでくれます。
「これはね、おじさんがケチなんじゃないんだよ。ワインはね、香りも楽しむお酒だから、一度にたくさん注いじゃいけないの」
「ワイングラスの半分ちょっと下くらいがベストやね」
「それで、飲むときは、グラスのこの脚のところ持つんだよ。それがエレガントなレディのマナー」
おじさまが得意げに説明すると、またおばさまたちから、
「あんたの口からマナーなんて言葉、聞きたくないねっ!」
「いつもそんなこと言って、飲み屋で女の子たぶらかしてんでしょ?」
「リョーコさんに言いつけるわよっ!」
いっせいにイジメられています。
このおじさま、おばさまたちに人気あるみたい。
受け取ったグラスを言われた通りに脚のところを持って、母の顔を見ました。
母が頷きます。
私は、おそるおそるグラスを自分の唇に近づけていきます。
その場のみんなが私に注目しています。
葡萄のいい香りが私の鼻をくすぐります。
唇についたワイングラスを少し上に傾けると、冷たい液体が口の中に流れ込んできました。
酸っぱくて、ちょっと苦くて、かすかに甘味もあって。
美味しいと思いました。
「どう?」
おばさまの中の一人が聞きます。
「・・・美味しいです、とても」
小さな声で答えます。
「そう。やっぱりなおちゃん、お母さん似ねー」
「このあと、からだがポカポカして気持ち良くなってくるから」
「でも、本当は20歳になるまで飲んじゃいけないのよ」
おばさまたちがまた、いろいろ言っています。
母も微笑みながら私を見ています。
その間に、グラスに残っている液体をゆっくりと飲み干しました。
「もう一杯飲むかい?」
空になったワイングラスを見て、おじさまが調子に乗って聞いてきます。
私は、また母の顔を見ました。
母は、今度はきっぱり首を左右に振りました。
それが合図だったかのように、その場の話題は私から離れて、おばさまたちがまた違う話題でおしゃべりし始めます。
おじさまも立ち上がって、私にヒラヒラと片手を振ると、またフラフラと他のグループのほうへ歩いて行きました。
その姿を見送りながら私は、顔が急激に火照ってくるのを感じていました。
からだ中がポカポカしてきて暑いくらいです。
そして、なぜだか急激に眠くなってきました。
「あらー、なおちゃん、顔真っ赤」
母の声で、目が開きました。
どうやら、その場で数分間うつらうつらと居眠りしてしまっていたようです。
「あらあら、なおちゃん、お部屋に戻って、しばらく横になってなさい」
「・・・うん」
私は、立ち上がろうとしますが、からだ全体に力が入りません。
胸の鼓動がすごく早くなっている気がします。
「しょうがないわねー。初めてのお酒だし、ま、仕方ないか」
母は、私の片腕を肩にかけて抱き起こしてくれました。
「ちょっと、直子を部屋で休ませてきます」
おばさまたちにそう告げて、私をよいしょっとおぶってくれました。
「なおちゃん、知らない間にずいぶん重くなったわねえ」
母は、そんなことを言いながら、私を背負って渡り廊下をゆっくり歩いていきます。
母におんぶされるのなんて、何年ぶりなんだろう?
私は、猛烈に眠たい頭ながらも、すっごく嬉しく感じていました。
お部屋に着くと、なんとか一人で立てました。
「ちゃんとお着替えしてから、ベッドに入りなさいね。そのまま寝たらワンピース、シワシワになっちゃうから。一人でできる?」
母がやさしく聞いてくれます。
「うん。なんとかだいじょうぶみたい。ママありがとう。ごめんね」
「一眠りして、具合良くなったらまた、一緒にお風呂に入りに行きましょう。ママ、もう少し宴会のお付き合いしてくるから、何かあったら呼びにきなさい」
「はーい。それじゃあとりあえずおやすみなさーい」
「はい。おやすみ」
母は、ゆっくりとお部屋を出て行きました。
私は、少しよろけつつ、ワンピースを脱いで、胸もなんだか息苦しいのでブラジャーもはずしました。
全身がほんのりピンク色に火照っていました。
パジャマ代わりに持ってきていた丈長め、ゆったりめのピンクのTシャツを頭からかぶります。
エアコンのタイマーを一時間にセットして、電気を消してベッドに潜り込みました。
ベッド脇にある大きなガラス窓を、強風に吹かれた雨が時折強く打ちつけているようで、パラパラと音がします。
雷鳴は聞こえませんが、稲妻がときどき光っているみたい。
「カーテン閉めたほうがいいかなあ・・・」
なんて思いながらも、ズルズルと眠りの淵に引き摺り込まれていきました。
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*トラウマと私 09へ
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