2010年10月3日

トラウマと私 01

明日から中学二年生の夏休みという終業式の朝、登校すると靴箱の中に手紙が入っていました。
真っ白な封筒の中に、パソコンのワープロで打ち出したらしい文字が書かれた白い紙が一枚。

「森下様
僕はあなたのことが最初に見たときからずっと好きです。
よかったら夏休み中に僕と一緒に映画でも見に行きませんか?
返事を聞かせてください。
本日11時15分に通用門のところで待っています。」

そして、あまりキレイとは言えない字で、全然知らない男性の名前が黒のボールペンで書かれていました。

これって、ひょっとしてラブレター?
読んだ瞬間は、少しビックリしましたが、すぐに私は、なんだかメンドクサイことになっちゃったなあ、と思っていました。

その頃、自分が男の子とおつきあいするなんて、まったく考えたことなかったし、そんな気も全然ありませんでした。
中二にもなれば、クラスの女子たちの中には、上級生の男子に憧れてきゃーきゃー騒いでいる子たちとか、こっそりクラスの男子とつきあっているらしい子とかもいました。
でも、当時の私は、そういったことに一切関心がありませんでした。
恋愛をしたい、という欲求自体を持っていなかったんです。

当時すでに、オナニーでイくことも覚えてしまっていたけれど、かと言って、早くセックスを経験してみたい、とも全然思っていませんでした。
初めてのブラを買ってもらったとき、母に、自分を大事にしなさいね、って諭されていましたし、当時の私の中では、セックスと恋愛はイコールだったので、まず恋愛をしなければ、セックスもありえません。
そして、私が恋愛するのは、もっと自分のからだがキレイに成長してから、たぶん高校2年生くらい、となぜだか一途に思い込んでいたんです。

なので、当時の私に、どこの誰かもわからない男子と映画を見に行く、という選択肢はありえませんでした。

この呼び出しを無視しちゃおうか、とも思ったのですが、ちゃんとお返事してあげなきゃ悪いかな、とも思いました。
誰かに相談してみよう。
こういうとき、頼りになるのは、川上愛子さんです。

同じバレエ教室に通っている縁でお友達になった川上さんは、明るく活発な人好きのする性格で、クラスの女子の中心的人物でした。
川上さんは、男子女子分け隔てなく気軽におしゃべりできちゃう人気者でしたが、スポーツや学校行事など学校生活自体を楽しむことを一番大切にしているみたいで、童顔ポニーテールなカワイイ系女子なのに、男女交際とかにはあまり興味が向かないタイプのようでした。
バレエ教室の他に陸上部にも入っていて、一年生のときの運動会でも大活躍でした。
二年生になっても川上さんを中心とする仲良しグループがみんな同じクラスになれて、愛ちゃんは、私の一番の親友になってくれていました。

私は、終業式からお教室へ帰る途中に愛ちゃんを呼び止めて、ものかげに行き、手紙を見せました。

「うわー、これラブレターじゃない?」
「そうみたいなの。愛ちゃん、この人知ってる?」
「知らない。内田ねえ・・・何年生なのかなあ?」
「・・・無視しちゃっていいかな?」
「えっ?なんかもったいなくない?カッコいい人かもしれないじゃん?」
「でも・・・私今はそんな気が全然無いの・・・男子とおつきあいするなんて・・・」

「これ、なんか、あんまり頭の良さそうな文章じゃないね・・・」
愛ちゃんは、文面と私の顔を交互にしばらく見比べてから、
「じゃあ、どんな人なのか、顔だけでも見に行かない?あたしもつきあうからさ」
興味シンシンな顔で言いました。
「見てから決めてもいいんじゃない?ヘンなやつだったら、シカトして帰っちゃえばいいよ」
笑いながら私の肩に手をかけます。
「・・・そうだね。悪いけど、愛ちゃん、後で一緒に行ってくれる?」
「もちろんっ!」

私は、どんな人だったとしてもおつきあいする気はまったく無かったのですが、一人で断りに行くよりも愛ちゃんがいてくれたほうが何十倍も心強いので、とても嬉しくなりました。

手紙で指定されていた通用門は、正門から校庭と校舎を隔てた直線上の真裏にあります。
幅5メートルくらいの横開きの門のそばには、自転車通学の人たち用の駐輪場と先生方や来客用の駐車場があって、普段は主に先生方の出入りに使われていて、下校時だけ、生徒もこの門から帰ることができます。

呼び出しの時間の5分くらい前から、私と愛ちゃんは、ちょうどいい具合に駐車場に並んで停まっていた背の高いワゴン車二台の陰に身を潜めて、誰にもみつからないように通用門を見張っていました。
「どんな人なんだろうねえ?なんだかワクワクするねえ、探偵ごっこ」
愛ちゃんが、車の陰に屈んでときどき顔だけ出して通用門を覗き見る私の右肩に顎を乗っけて、同じように通用門に目を向けながら、耳元にヒソヒソ声で囁きます。
自転車を取りに来た生徒がぱらぱらとやって来ては帰っていく以外、あまり通用門を使う人はいないようです。

呼び出しの時間になっても、人待ち顔な男子は、その付近に現れません。
「ひょっとして、そいつも、なおちゃんが現れたら出てくるつもりなんじゃないかな?」
愛ちゃんが言います。
「だとしたらそいつ、サイテーだね。自分から呼び出しといてさ」

約束の時間から5分過ぎても、通用門の前で人を待っている風な男子の姿はありませんでした。
「自分で呼び出しといて時間守らないんだから、どっちみちそいつ、サイテーなやつだよ。なおちゃん、帰ろう」
愛ちゃんはプンプン怒って、私の手を引いてその場を離れました。

クラスのお教室に戻ろうと二人で裏庭を歩き出すと、ふいに後ろから、もりしたさん、と小さく声をかけられました。
「すんません、ちょ、ちょっと時間に遅れちゃって・・・」
振り向くと、息をきらしてハアハア言っている見知らぬ男子がいました。

背は高くもなく低くもなく、太ってもなく痩せてもなく、髪も長くもなく短くもなく、顔も・・・
見て、一回目をつぶるともう忘れてしまうような、そんな顔立ちでした。
愛ちゃんも振り向いて、その男子の顔を敵意丸出しで、まっすぐに睨みつけています。

そんな愛ちゃんを見て私は、なんだかホっとしていました。
こういう人なら、お断りしてもあまり心が咎めません。
最初からまったく縁が無かったのでしょう。
私は、スカートのポケットに入れていた封筒を黙って差し出しました。
その男子は、きょとんとしたまま、封筒を受け取りません。
私は、曖昧な笑顔を浮かべて、
「これ、お返しします」
とだけ言いました。
それでも封筒を受け取らないので、指をゆっくり広げました。
白い封筒がヒラヒラと地面に落ちていきました。
それから、愛ちゃんの手をぎゅっと握って、二度と振り返らずに二人で小走りに校舎の入口へ向かいました。

「あいつ、確かどっかの運動部の3年だよ。部活のときにあの顔、見た覚えがある」
愛ちゃんと教室に戻ると、もうみんな下校してしまったようで誰もいませんでした。
「なんか冴えないやつだったね。あれになおちゃんなんて、もったいなさ過ぎって感じ」
「だいたい3年て、もうすぐに受験じゃない?色気づいてるヒマなんてあるのかしら?」
愛ちゃんは、自分のことのようにご立腹です。
「愛ちゃん、つきあってくれてありがとうね。おかげでなんだかスッキリしたから」

私と愛ちゃんは、それから一緒に下校して、途中コンビ二でアイスの買い食いとかしながら、夏休みに何をして遊ぼうかをたくさんしゃべって、ラブレターのことは、その日のうちにすっかり忘れてしまいました。


トラウマと私 02

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