2011年10月2日

ピアノにまつわるエトセトラ 01

 高校2年生の二学期が始まって衣替えも近づく頃、私はピアノを習い始めました。
 私の将来の希望、幼稚園の先生になるためには必須だと知り、必要に迫られての選択でした。
 幸い、母の友人にピアノがすごく上手いかたがいて、そのかたが週一くらいのペースで個人レッスンをしてくださるということになりました。

 私は、小学校3年生までピアノを習っていました。
 きっかけは幼稚園のとき。
 幼稚園の建物に隣接して、とある音楽教室があり、母の意向で幼稚園入園と同時にそちらにもお世話になることになりました。
 その音楽教室は、今にして思えばけっこう本格的なもので、若めのご夫婦が経営されていて、幼稚園児から大人の人まで、いろいろな楽器のレッスンを手広く幅広くご指導されていました。
 私がずっと教わっていた先生は、そのご夫婦の奥さまのほうで、きよみ先生と呼んでいました。
 長いストレートヘアを真ん中分けにして、いつもキレイなリボンで長いポニーテールに結んだ、丸ぽちゃでえくぼがステキな気さくな感じの女性でした。

 幼稚園のときのレッスンは、幼稚園でやるおゆうぎの延長のようなもの。
 カスタネットやトライアングルを手に持って鳴らしながら、音楽に合わせてヒョコヒョコ踊るような感じのものだったと思います。
 幼稚園がキリスト教系だったので、聖歌のようなお歌の合唱もよくしていました。
 母によると、音楽教室での私がすごく楽しそうだったので、幼稚園を卒園しても、その音楽教室にはそのまま籍を置くことにしました。
 小学校1年生になると週に一回、学校が終わった後に母と一緒にその音楽教室に通って、ハモニカやリコーダーのレッスンを受けました。

 クラシックの名曲をかけて、それを聞いて感想を言い合う、みたいなレッスンもありました。
 私は、たとえばプロコフィエフのピーターと狼、とか、ケテルビーのペルシャの市場にて、みたいな楽しげな雰囲気の曲だとニコニコしてご機嫌で、ドヴォルザークの新世界より、とか、ショパンのノクターン、みたいな哀愁を帯びたメロディを聴くとしょんぼりしてしまうような、非常にわかりやすい子供だった、と母が笑いながら話してくれたことがありました。
 ドヴォルザークのユーモレスクが大好きで、前半の軽快で優雅なメロディのところでは、すっごく嬉しそうにしてるのに、真ん中へんの暗めなメロディになると途端に泣き出しそうな顔になって、また最初のメロディに戻るとニコニコし始めるのが面白くて、何度もくりかえし聞かせたものよ、って笑いながら懐かしそうに語る母。
 確かに私、今でもユーモレスクを聞くと同じ反応をしてしまいます。
 さすがに今は、そんなにわかりやすく顔には出さないけれど。

 小学2年になると、本格的な楽譜の読み書きと、何か一つ、習う楽器を決めることになりました。
 確か、ピアノ、電子オルガン、ヴァイオリン、フルートが選べたと思います。
 電子オルガンを担当していたのは、きよみ先生の妹さんで、発表会のときの模範演奏が素晴らしくって、まるでオーケストラみたいでした。
 すごいなー、と思った反面、見ていると両手両足がめまぐるしくも忙しく動いていて、難しそうだなー、とも思いました。
 かなり迷って、たぶんピアノが弾けるようになれば、あとは足を練習すれば電子オルガンも弾けるのじゃないかな、なんて甘い考えに達し、きよみ先生が教えてくれるピアノにすることにしました。

 母がなぜだか当時、ピアノの音も出せるシンセサイザーを持っていたので、それをアンプに繋げてリビングに据え付け、練習しました。
 楽器の調整は全部、父がやってくれました。
 小学3年の年度末に転校するまで、バイエルの半分くらいまでは進んだと思います。

 転校してしばらく経つと、まったく鍵盤にはさわらなくなってしまい、いつの間にかシンセサイザーも片付けられてしまいましたが、音楽を聞くのは大好きでした。
 もともと父が洋楽好きで、当時の父のお部屋には、今ではめったにお目にかかれない大きなLPレコードやCDがたくさんあって、父のお部屋に遊びに行くと必ず何か音楽が流れていました。
 ビートルズやカーペンターズ、アバやマイケルジャクソンさん・・・
 それに、そういうのよりもっとギターがギュワーンとうるさいロックな音楽。
 父のお部屋には、真っ黒な平べったいひょうたんみたいな形をしたエレキギターも置いてあって、ときどき爪弾いていた姿もはっきり憶えています。

 母は、クラシックと日本の女性シンガーの曲が好きみたいで、母のお部屋にもそれなりにCDがたくさん並んでいました。
 私が最初に、母にねだって買ってもらったCDは、パフィだったかな。
 母が好きでよく聞いていたスパイスガールズも、プロモーションビデオをテレビで見て、この外国人のお姉さんたち、なんてカッコいいんだろう!って思ったのを憶えています。

 そんな感じの音楽遍歴な私の8年ぶりのピアノレッスン復帰に、森下家は大騒ぎでした。
 母は、アップライトのアコースティックピアノを買う気マンマンだったのですが、定期的な調律の問題や、生音によるご近所迷惑、大学生になったら私が家を出てしまうかもしれない、っていうことも鑑みて、鍵盤がアコースティックピアノのタッチに近くて、夜でもヘッドフォンで練習出来るエレクトリックピアノにしよう、という父の提案が採用されました。
 父が妙に生き生きとして、いろいろなカタログや雑誌を集めて検討した結果、日本の老舗メーカーの、ピアノだけでも音色が10個以上もある88鍵の細長いエレピが私のお部屋にやってきました。

 9月中旬の日曜日、お昼過ぎ。
 私のお部屋に親子3人と篠原さん親娘が勢ぞろいして、エレピとアンプを繋げる父の配線が終わるのを待っていました。
 こんな風に勢ぞろいしてガヤガヤするのも久しぶり。
 なんだか心がウキウキしています。

 ピアノの音が出るようになって、早速、父がつっかえつっかえでしたがジョンレノンさんのイマジンを小さな声で弾き歌いしてくれました。
「けっこう忘れてないもんだねー」
 弾き終わった後、父が照れ笑いしながら母に席を譲ります。
「もうずいぶん弾いていないから、なんだかドキドキするわー」
 なんて言いながら、母もジョーサンプルさんのメロディーズオブラヴを、何箇所かヘンなところもありましたが弾ききりました。
「うわー、すごい!パパもママもなんで楽譜も見ないで弾けるの?」
 私は、真剣に驚いていました。
 両親がこうして楽器を弾くところなんて、ずいぶん見ていなかったから。

「ママは大学生のとき、文化祭の野外ステージでこの曲のソロを取ったんだよ」
 父が懐かしそうに教えてくれました。
「家にピアノが来るっていうんで、こっそりお友達の家で二、三回練習しておいたのだけどね」
 母が白状しました。

 篠原さんちの小学3年生、ともちゃんもずっとピアノを習っていて、もうとっくにバイエルは終わっているそう。
 ともちゃんは、小さなからだでエレピの前にチョコンと座り、ベートーベンのエリーゼのために、を見事に弾いてくれました。
 
 大トリは篠原さん。
「私もフルートばっかりで、ピアノはほとんどさわっていないのだけれど・・・」
 そう言いつつ、ショパンの別れの曲を難なく弾きこなす篠原さん。
「なんだー、みんなピアノが弾けるんじゃない?なんだかズルイーっ!」
 私が今、ささっと弾けそうなのって、ネコふんじゃったとチョップスティックスくらい?
 それさえも弾き通せるか、自信はありません。

「篠原さんのお家にもピアノがあったんだ?早く言ってくれたら良かったのにぃ」
 なんとなく篠原さんに文句を言ってしまう私。
「ええ・・・こんなに立派なのじゃないけれど智子のために・・・」
 篠原さんがなんだかすまなそう。
「だってなおちゃん、ともちゃんがピアノの練習している音が聞こえてきても、今までは何の反応もしなかったじゃない?」
 母が篠原さんに助け舟を出しました。

「こんなにみんなが弾けるんなら、みんなに教えてもらえばすぐ、上手くなれるかなー?」
 篠原さんに申し訳なくなって、その場をごまかそうと愛想をふる私。
「だめよ。わたしたちはみんな昔習ったまま我流になっちゃっているから、ちゃんと筋道たてて教えてくれる先生につかないと」
 母がその場をまとめて、うんうんとうなずくみんな。

「でも、わたしは今習っている最中だから、ときどき一緒に練習しよ?」
 ともちゃんが私に抱きついて笑いかけてくれました。
「うん。一緒にがんばろうね」
 ともちゃんと手を取り合って、私は俄然、ヤル気が出て来ました。

 そして9月三週目の金曜日。
 早めに学校から帰宅した私は、リビングで母と二人、ピアノのレッスンをしてくださる先生をお迎えするべく、ワクワクしながらお待ちしていました。
 先生のお名前は、大貫木綿子さん。

 そう。
 約3年前、私が中学2年で、トラウマもまだ受けていなかった夏休みのある日。
 母の主催で自宅のお庭で開かれたガーデンパーティに、紐みたいなキワドイ水着でめちゃくちゃ恥ずかしがりながら参加されていた、あのオオヌキさんでした。


ピアノにまつわるエトセトラ 02

2 件のコメント:

  1. 新しいお話が始まりましたね。
    シンセサイザーという言葉にピクリ!
    今までのお母さんからのイメージからすると、少しかけ離れているように思うのですが、なにゆえシンセを持っていたのでしょうね?

    シンセと言えばKORG、いやいやローランド、でも学生にはお金がないからエレピのカシオトーンなんていうのも結構好きだったりして・・・

    ひょうたん型のギターはレスポールですよね。
    フェンダーが主流だったのにレスポは根強い人気がありました。
    お父さんはひょっとして玄人派?

    新しいお話、楽しみしていますので頑張って下さいね♪

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  2. あおいさま
    コメントありがとうございます。

    今度のお話は、いろいろと個人的な趣味も紛れ込ませて遊んじゃおうと思っています(≧∀≦)

    母のシンセは、DX-7っていうやつでした。
    (≧∀≦)

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