2013年9月8日

コートを脱いで昼食を 08

 その人は、私の姿を見て一瞬、ギクリと立ち止まりましたが、すぐに艶やかな笑顔を向けてきました。
「あらあ、お客さんがいらしてたのね。ごめんなさいね。大きな声出しちゃって」
 妖艶に微笑むその人は、お顔立ちもいでたちも全体的に派手めで肉感的な女性でした。
 幾重にもウエーブした豊かな髪を頭の上に盛り上げ、なぜだか目の周りだけ入念にお化粧しています。
 そのせいか、綺麗だけれど、気の強そうなお顔立ちに見えました。
 青いハイネックのピッタリとした長めニットの上に、全体的に銀色な、ヒラヒラがいっぱい付いたショールを軽く羽織り、下はレギンス。

「これからお店?」
「そうなんだけどさ、お化粧してたら突然、アレをきらしてることを思い出してさ、あわてて取りにきたってワケ」
 私に軽く会釈をしてから、おばさまのご質問に明るいお声で答えるその人。
 私も会釈を返しながら、その人をそっと上目遣いに観察します。

 お年は・・・ちょっとわからない。
 白衣のおばさまよりはお若いと思うけれど、30代か40代か・・・
 何て言うか、女ざかり、っていう雰囲気で、からだ全体から、お色気、みたいなものが滲み出ている感じ。
 そう思ったのは、その人の全身から盛大に香っている、ローズ系の甘いパフュームのせいも多分にあるとは思います。

「この人はね、西口のお店でチーママやってらっしゃるの。クラブのね」
 白衣のおばさまが教えてくれます。
「あっ、クラブって言っても、若い子が集まる踊れるほうのじゃないわよ。中年の殿方が鼻の下伸ばして通ってくる、いわゆるナイトクラブのほうね」
 その女性がすかさず冗談ぽく訂正をいれてくれました。
 ああ、夜のお仕事の人なんだ、なるほど。

「そう。だからお嬢ちゃんには、ぜんぜん縁の無いお店だけれどね」
「そんなことないわよ」
 白衣のおばさまの私に向けたお言葉を、チーママさんが即座に否定しました。
「働くって手があるもの。あなただったらすぐに、いいお客さんがつきそう」
 私の全身を上から下まで舐めるように見た後、ニコッと微笑みます。
「あなた今バイトとかしてる?お金に困ってない?カレシはいるの?そのコートいい色ね?」
「あっ、あの、えっと・・・」

 チーママさんの脈絡の無い矢継ぎ早のご質問についていけないでいると、おばさまが助け舟を出してくださいました。
「こらこら。うちの大切なお客さんを悪の道に引きずり込まないでちょうだい。このお嬢ちゃんは真面目な大学生さんなんだから」
「あらあ、悪の道なんて失礼ね。水商売はヘンなバイトよりも断然、お金が溜まるし社会勉強にもなるのよ?」
「前に働いていた子なんて、お店でいいお財布みつけて、オーストラリアに留学しちゃったんだから。それに・・・」
 おばさまとチーママさんの、冗談とも本気ともつかない言い争いをドキドキしながら聞いていたら、不意にチーママさんが沈黙しました。
 視線が一点をじっと見つめています。
 その視線をたどると・・・

「スゴイものが置いてあるわねえ・・・」
 チーママさんの目は、ガラスケースの上で白い箱の中に横たわるガラスの浣腸器を凝視していました。
 それに気づいた私は、なぜだかピクンと小さく震えてしまいました。

「ああ、それはね、このお嬢ちゃんがお通じの悩みでいらっしゃってね」
「ほら、そういうのって恥ずかしいじゃない?だからわざわざ遠くからうちのお店まで来てくださったのよ」
「それでいろいろご説明していたの、やりかたとか」
 おばさまったら、何もそんなに詳しくご説明なさらなくても・・・

「えっ!ていうことは、これ、こちらさんが、あなたが買うの?」
 チーママさんが驚いたお顔で、浣腸器と私を交互に見ています。
 私も、えっ!?ていう顔をしていたはず。
 確かに欲しいとは思っていたし、今度来たときおばさまがこれを使ってくださる、っておっしゃったから、私のもののようなものでもあるけれど、でも・・・
 言い訳にもならないことをくどくど考えながら顔だけが熱くなって、何も言えない私。
 再びおばさまに助けられました。

「まさかー。お嬢ちゃんが買ったのはお薬よ。これはお話しの流れでお見せしていただけ」
「なるほどねー。納得。シモの悩みは恥ずかしいからねー。ワタシも若い頃、買うの恥ずかしいもの、いくつかあったっけなー」
 チーママさんが束の間、遠い目をされてから、再び私の全身をしげしげ眺め、ニッと笑いました

「それならさ、あなた、恥ずかしいついでに買いにくいもの、みんなここで買ってっちゃえば?たとえばコンドームとかさ」
「えっ?そ、それは別に・・・」
「あれ?あなた、カレシいないの?」
「は、はい・・・そういうのは、まだ・・・」
「えー?おっかしいーなー。あなた、若くて可愛らしい感じなワリに、ヘンに色っぽいフェロモンみたいのが漂っているから、絶対オトコいると思ったんだけどなー」
 チーママさんがニヤニヤ笑っています。

「そっかー。カレシもいないのにコンドームだけ準備してるオンナってのも、ちょっと切ないわね。それならさ水虫はどう?あれも買いにくいわよね?大丈夫?」
 私は、からかわれているんだと思いました。
 それで、ちょっとムッとした顔になっていたかもしれません。

「ほらほら、またうちのお客さんイジメてー。だめよー?このお嬢ちゃんは、まだこっち来て半年くらいなんだから。あんまりいじくりまわさないでちょうだい」
「お嬢ちゃんごめんなさいね?この人いつもこんな調子なの。口は悪いけれど悪気はないから許してね?」
 おばさまのフォローに少しホッとして、チーママさんにお愛想笑いを向けながら、
「み、水虫は、なってないから、大丈夫です」
 とお答えしました。

 チーママさんが、あはは、と笑ってから再び浣腸器に目を向けました。
「でもさ、世の中にはこういうものを、けしからんことに使う輩もいるのよね」
 チーママさんがおばさまに向けて話題を振りました。
 私は、お店を出るきっかけを探しつつも、チーママさんの振った話題に惹かれてしまいます。

「ああ。エスエムっていうのでしょ?女の子を縛り付けて無理矢理、みたいな」
 お上品なおばさまのお口から、意外な単語が飛び出しました。
「そうそう。あの手が好きな人たちにとっては、こういう浣腸器って、それ用のえっちな道具のひとつなのよね」
「まったく。他人が排泄してるの見て、何が楽しいのかしら?」
 おばさまが真剣に憤ってらっしゃいます。

「まあ、俗に言う変態っていうやつよね。うちの店にもそういう話題が大好きな客がひとりいてさ、来るたびにその手のことばっかり言ってたから、女の子が席に着きたがらなくて、そのうち来なくなっちゃった」
 おばさまとチーママさん、ふたりで、あはは、と笑っています。
「でもさ、オンナの恥ずかしがる姿を見て悦ぶオトコってけっこういるのよ。恥ずかしさって、えっちな気分と直結してるっていうかさ」
 そこで、チーママさんがなぜだか私をチラッと見ました。
 それに気がついて、私の心臓がドキン。

「恥ずかしがる姿を見て悦ぶオトコの変態が、オンナの子の両脚を大きく広げたまま縛り付けてみたり、無理やり浣腸して人前で漏らさせたりするんだけどさ」
「同じように、そういう姿を見られて興奮する人、っていうのも、この世にいるのよ」
「つまりね、オンナの変態っていうのも、世の中には意外といるみたい」
 チーママさんのひそめたお声を、おばさまが、あらまあ、というお顔で真剣に聞いています。
 もちろん私もドキドキしながら耳をそばだてています。

「これは別のお客さんの話なんだけどね・・・」
「その人の以前のカノジョっていうのが、そういう類のオンナだったらしくてさ」
「普通の内気そうなOLさんで、そこそこ美人だったらしいんだけど、ふたりでハワイに海水浴にいったとき、すごいキワドイ水着持ってきてたんだって」
「もうえっちも済ませてて、それが最初からすごく激しかったし、辱めれば辱めるほど乱れちゃうみたいな兆候もあったんで、ひょっとしてと思って聞いたら、白状したそうなの」
「やっぱりそうだったんだって。いわゆる露出狂ってやつね」

「どうもその前のオトコに仕込まれちゃったらしくてさ、そのお客さんも、その手が好きなほうだったから、それからはもういろんなこと、シタそうよ」
「ドライブのときは助手席でオッパイ丸出し。観覧車で裸にしてみたり、シースルーで買い物させたり、覗きで有名な公園でシタり」
「デート、イコール、そのオンナの屋外露出調教散歩みたいな感じだったそうよ」
「脱げ、って言われた途端に目がウルウルしちゃうんだって。そのオンナ。それも人の目があればあるほど」

「しばらくは楽しかったんだけれど、そのうち不安になってきたんだってさ」
「このオンナ、別に俺じゃなくても、誰に言われても、その場で服脱ぐんじゃないか、って」
「縛った覚えが無いのに肌に縄の痕がついていたことがあったんで問い詰めたら、ひとりで全身ロープで縛って、コートひとつで深夜のコンビニとかにお散歩にも行ってたんだって」
「まあ、セフレならいいけど、真剣にはつきあえないわよね、そんなオンナ」
「だから、適当に遊んで、そのうち会わなくなっちゃったらしいわ」

 それでチーママさんのお話は終わりのようでした。
 私の全身はカッカと火照り、同時に今すぐにこの場から逃げ出したいような居心地の悪さを感じていました。
 ひょっとして私、チーママさんから見透かされている?

 さっき私をチラッと見て以来、一度もこちらにお顔を向けなかったチーママさんが振り返り、まっすぐに私を見て、こうつづけました。
「だからあなた、オトコには充分気をつけなさい。ロクでもないオトコに捕まったら、あなたもヘンな道に目覚めちゃうかもしれないから、ね?」
 冗談めかした感じでそう言って、あはは、って笑いますが、その目だけは笑っていないように見えました。
 て言うか、シーナさまと同じ、冷たいエスの目。
 私に対してのご忠告も、さっきのお話からは、ぜんぜん脈絡のない結論です。

 やっぱり、チーママさん、ある程度私の性癖に勘付いている・・・
 それで、言葉責めして、愉しんでいる・・・
「・・・は、はい・・・」
 私はチーママさんから目をそらし、うつむいて答えました。

 トゥルル、トゥルル・・・
 そのとき、お店の奥の電話が鳴りました。
「あっ、はい、はいー」
 白衣のおばさまが、あわててお店の奥に駆けていきました。
 レジの前に私とチーママさんだけ、取り残されました。

 チーママさんは、私のほうは見ず、浣腸器のガラスの表面を指で撫ぜています。
「そっか。これからあなたは、お家に帰ってひとりで、浣腸するんだ?」
 チーママさんがそのままの体勢で、独り言みたいにポツンと言いました。
「えっ?あっ、えっと・・・」
 私は、そのお言葉にビクンとして、ドキンとして、キュンとして・・・

「そうよね?これからお家に帰って、ひとりでお尻を出して、浣腸するのよね?」
 浣腸器から指を離し、こちらを向いたチーママさんの目が、イジワルく私を見つめています。
「・・・は、はい・・・」
 チーママさんの目から、今度は目をそらすことが出来ず、見つめたままやっとお返事をしました。

 チーママさんが私の傍らにそっと寄ってきました。
「そう。まあいろいろと、がんばりなさい、ね?」
 私の耳元に唇を寄せて低い声で囁いてから、私の右肩を軽くポンと叩きました。
 その低くてセクシーなお声にゾクゾクしつつ、コートの下で裸のおっぱいがプルン、内腿をおツユがツツツー。

「ごめんなさいね。お得意さまからだったわー」
 電話を終えたおばさまが、あたふたとレジ前に戻ってらっしゃいました。
「あらー、もうこんな時間。早く帰ってお化粧のつづきしなくちゃー」
 チーママさんがわざとらしく腕時計を見て、大きなお声をあげました。
「それじゃあこれは、もらっていくわね。お代は月末にまとめてねー」
 それからもう一度私を見て、ニヤッと笑いました。
 
 浣腸器の横に置かれた、チーママさんのために用意された紙袋を取るとき、チーママさんの右肘が私の胸をコートの上から思い切り擦りました。
 コートの中でおっぱいがグニュッとひしゃげるくらい。
 ワザとだと思いました。
 なんとなく、チーママさんが何かしてくると予期していたので、グッと唇を噛んで、なんとかいやらしい声をあげずにすみました。

「それじゃあまたねー」
「はーい、毎度ありがとうございましたー」
「そっちのカノジョも、縁があったらまたお話ししましょうねー、お大事にねー」
「お嬢ちゃんもまた来るって言ってるから、またきっと会えるわよー」
「それじゃーねー」
 来たときと同じような、おばさまとチーママさんの大きめなお声の応酬が、ガラガラッという引き戸を開ける音とバシッという閉じた音を合図に、終わりました。

「ごめんなさいねー。夜のお仕事の人とのおしゃべりだと、いつの間にか話題がお下品になっちゃって」
「いいえ。大丈夫です。何て言うか、派手なかたでしたね?」
「そうね。けっこうお高いお店に勤めているみたいだし、お住まいもほら、地下鉄の駅の近くの高層マンションらしいから」
「へー」
「なぜだかうちでいろいろ買ってくれる、いいお客さんなのよ」
「そうでしたか・・・お話、楽しかったです。それでは私もそろそろ・・・」
「あっ、そうね。ごめんなさいね。長いあいだお引止めしちゃって」
「いえいえ。今日はありがとうございました」
 
 私が買ったものを入れた手提げ袋をおばさまから受け取り、出て行こうとしたとき、
「あっ、そうだ。お嬢ちゃん、本当にカレシ、いないの?」
 背後からまた、お声がかかりました。
「あ、はい。本当ですけれど・・・」
 出口に向って2、3歩踏み出していた私は、立ち止まり振り返ります。

「それだったら、うちの息子どうだろう、って思ってね。今、医大に通ってるの、北海道だけど」
「えっ、あっ、いえ、それは・・・」
 あまりの想定外なご提案にあたふたしてしまう私。
「あっ、ごめんなさい。わたしったらまた不躾なことを・・・」
 困惑している私を見て、おばさまもまたあたふたしてしまい、すぐに自らご提案を却下。

「会ったこともない相手に、どうもこうもないわよね。ごめんなさい今のは忘れて、ね?」
「それはそれとして、いつでもいらっしゃいね?恥ずかしがらずに」
「いつでもしてあげるから、遠慮なさらずにいらしてね。これも消毒しておくから」
「あっ、はい。ありがとうございます。そのときはよろしくお願いします」
 ペコリと頭を下げながらも、またもや内腿が濡れていました。

 逃げるようにお薬屋さんを出て、走るように我が家を目指しました。
 一刻も早くひとりになって、今日あったことを整理したいと思っていました。
 会う人みんなにいろんなことを言われ、それがいちいちいやらしいことに結びついてしまって、下半身のウズウズが暴発寸前でした。
 歩きながら、魔除けのおまじないを、両耳に突っ込みました。
 もう誰ともお話したくありませんでした。

 あっ、そうだった。
 お部屋に入る前にもう一度、柏木のおばさまと会話をしなければならないんだった。
 今の私のいでたちがあまりお買物帰りに見えない気がして、自宅のそばのドラッグストアでボックスティッシュとトイレットペーパーのパックを無言のまま買い、それを両手にぶら下げてマンション入口のアーチをくぐりました。


コートを脱いで昼食を 09


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