「うわーっ!」
思わず感嘆の声をあげてしまうほど、予想外にオシャレな空間が、目の前に広がっていました。
バスケットボールのコートが二面は取れそうな、広い長方形の空間。
入って真正面が、階段にして三段分くらい高いステージになっていて、大きなお花スタンドが両サイドに飾ってあります。
ステージの中央から幅二メートルくらいの赤いカーペットを敷いた直線が、入口のほうへと伸びてきています。
これがショーのとき、モデルさんである絵理奈さまが歩くランウェイとなるのでしょう。
ランウェイの両サイドには、カーペットから1メートルくらい離して、白いクロスを掛けた3人掛けの長テーブルと椅子が、ステージとランウェイの両方とも見やすいように、少し斜めになるような感じでゆったりと並んでいます。
壁一面には、濃いワインレッド色の暗幕が張られ、要所要所に艶やかなお花スタンド。
場内には、洋楽女性アーティストの聞き覚えあるバラードが、耳障りにならないくらいの音量で流れていて、ステージ近くの天井に吊り下げられたキラキラ煌く大きなミラーボールが、その曲に合わせてゆっくりと回転していました。
ちょうどステージ上の大きなスクリーンの映写テストをされているところらしく、灯りを落として薄暗かったので、ステージ周辺にキラキラ降り注ぐ光がすっごく奇麗で幻想的。
「どう?なかなかのものでしょう?」
うっとり見惚れていたら、いつの間にかお隣に来ていたリンコさまがお声をかけてくださいました。
「は、はい。凄いです。さっきまでオフィスに居たのに、突然、六本木かどこかのオシャレなクラブに迷い込んでしまったみたい」
「おや、ナオッち、クラブなんて行ったことあるの?」
「あ、いえ、ないですけれど・・・」
「あはは。クラブは、こういう感じではないなー。どっちかって言うと、結婚式場のチャペルに近いイメージ?」
会場の奥へと進みながら、リンコさまとおしゃべりしました。
「私、会場は会議室、ってお聞きしていたので、なんだかもっとこう、事務的と言うか、学校の大教室みたく無機質なのを想像していたので」
「もうこのイベントも4回目だからね。アタシらも馴れてきたって言うか、どんどん理想に近いレイアウトが出来るようになってはいるんだ」
「本当に凄いです。テレビとかでしか見たことないですけれど、本当のファッションショーの会場みたいです」
「キミは中々失礼な子だねえ。アタシらは明日、本当にファッションショーをやるんだよ?」
リンコさまが笑いながら私の脇腹を軽く小突き、ふたりで顔を見合わせて、うふふ。
「そっか。ナオっち、ファッションショーをライヴで観たことないんだ。今度、てきとーなのに連れて行ってあげよう」
「うわー。本当ですか?ありがとうございます」
そんな会話をしていると、不意に場内が明るくなりました。
スクリーンのチェックテストが終わったのでしょう。
明るくなると、場内にけっこうな人数の方々がいらっしゃるのがわかりました。
ステージ上には、チーフと早乙女部長さまが、左端に置いてある司会用の台のところで何かしら打ち合わせされていました。
ステージ下では、間宮部長さまとほのかさまが、立ったまま仲良さそうに談笑されています。
あとの方々は、ランウェイ沿いの椅子にポツンポツンとお座りになり、携帯電話されているかた、おしゃべりされているかた、ラップトップパソコンを開いているかた・・・
オフィスへのお客様として見覚えのあるかたもいれば、まったく知らないかたもちらほら。
あ、あそこにいらっしゃるのはシーナさま?あっちの女性は里美さま?
「ミサさんのお姿が見当たりませんね?」
「ああ、彼女はたぶん、ステージ裏でパソコン弄っているんじゃないかな。スクリーンに映す映像を作ったの、ミサだから。ライティングの構成やショーの選曲も、全部ね」
「へーー。凄いですね」
「あの子はそういうの、パソコンで全部3D映像で編集して組んじゃうの。本当、たいしたもんよ」
リンコさまが、ご自分が褒められたみたく嬉しそうにおっしゃいました。
「大沢さんと小森さん。いたら至急、ステージまで来てください」
突然、マイクを通した早乙女部長さまの澄んだお声が場内に響き渡りました。
「あ、ご指名かかっちゃった。ちょっと行ってくる。またあとでね」
リンコさまがステージのほうへと駆け出すと、入れ代わるようにシーナさまが近づいてこられました。
「ごきげんよう。お久しぶりね、直子さん」
「ごきげんようシーナさま。お久しぶりです」
「いよいよイベントね。わたし、エミリーの会社のこのイベント、大好きなの。わたし好みなアイテムばかり出てくるから。直子さんなら、わかるでしょ?」
「あの、えっと私、今度のイベントでどんなアイテムがご披露されるのか、他のお仕事にかかりきりになっていて、ぜんぜん知らないんです」
「そうなの?」
「はい。そこまで知らないなら、いっそ本番まで知らないほうが数倍楽しめる、って他の社員のみなさまから勧められて、パンフの中もまだ見ていません」
「ふーん。なるほど、それはそうかもね。じゃあ、本番、愉しみにしていなさい。直子さんなら思わず、着てみたい、って思っちゃうようなえっちなアイテム揃いのはずだから」
シーナさまも、他のみなさまと同じようにイタズラっぽい意味深な笑みを、私に投げかけてきました。
それから、ふっと真顔に戻り、私におからだを寄せて来て、右耳に唇を近づけ、お声を潜めてつづけました。
「それはそうとして直子、ひょっとして会社のみんなにマゾばれ、しちゃったの?それともカミングアウト?」
「えっ!?それはどういう・・・」
「だって、堂々と首輪デザインのチョーカー着けちゃって、他の人も別に気にしていないみたいだし」
「ああ、これですか。これは何て言うか・・・成り行きで・・・」
シーナさまに、例のアイドル衣装開発会議のことを簡単にご説明しました。
もちろん、裸に近い格好にさせられたことや、その姿でバレエを踊らされたことは隠しました。
「ふーん、よかったじゃない。そのおかげで堂々と直子らしい恰好が出来るようになったってワケなのね。みんなが、どういう意味で、似合う、って言ったのかは知らないけれど」
それから私の右耳にぐっと唇を近づけ、ヒソヒソ付け加えられました。
「わたしのマゾセンサーは、ビンビン反応しているわよ。チョーカー着けている直子は、着けていないときと比べて、マゾ度が約3倍増しね。そんなの着けていたら、ずっとムラムラしっ放しなんじゃない?」
私がそれについて何か弁解しなくちゃ、と言葉を探していたら、ステージ近くでキャーという歓声が沸きました。
何事?ってそちらを見ると、グレイのシャープなパンツスーツ姿の間宮部長さまが、赤いカーペットのランウェイの真ん中を、見事なモデルウォークでこちらのほうへと歩いてこられるところでした。
少し気取ったようなお顔で淡く微笑み、スクッと姿勢良く、優雅に歩いてこられます。
流れている軽快な音楽のビートに見事に乗って、本物のショーのモデルさんのよう。
その両脇を、ほのかさまとリンコさま、それに数名の見知らぬ女性が、ヒューヒュー冷やかしながら嬉しそうに着いてきていました。
途中で間宮部長さまの視線が私たちを捉えたようで、急にランウェイから逸れて、モデルウォークのまま私たちへと近づいてきました。
「やるじゃない?カッコいいわよミャビちゃん。さすがダブルイーのオスカル、男装のシン・ホワイト・デュークって呼ばれるだけのことはあるわね」
シーナさまが間宮部長さまへ、からかうみたいにおっしゃいました。
「えへへ。こう見えても昔、モデルの真似事をしていたこともありましたからね。昔取ったなんとかっていう」
「どうせなら、明日のモデルもミャビちゃんがやったら?」
「いやいや、とんでもない。あの手の衣装は、もっと若い子じゃなきゃ、お客様にお見せできませんて。ワタシなんて、司会役だけで精一杯でーす」
どうやらシーナさまと間宮部長さまも、打ち解けた間柄みたいです。
「ナオちゃんも見てくれた?ワタシの華麗なるモデルウォーク」
間宮部長さまが笑顔で、私にお話を振ってきました。
「はい。すっごくカッコよかったです」
「嬉しいなあ。ありがと。あ、でもナオちゃん、バレエ踊れるんだし、モデルウォークなんか朝飯前の余裕のよっちゃんなんじゃない?」
「ま、まさか・・・いえいえ、そんなことは・・・」
そうお答えしつつも、バレエ教室の頃、姿勢が良くなるからと、やよい先生からレッスンの息抜きに教えていただいたことを思い出していました。
「あー。その顔は何か、自信ありげじゃない?」
イタズラっぽく私の顔を覗き込んでくる、間宮部長さま。
「そう言えば、百合草先生も昔、モデルをされていたことがある、って聞いたことがあったけ・・・」
シーナさまが、若干ワザとらしい独り言、みたいにつぶやかれました。
「そっか、シーナさんて、昔のナオちゃんのことも、ご存じなのでしたね。その百合草先生っていうのが、ナオちゃんのお師匠さん?」
間宮部長さまが、すかさず食いつかれました。
でも、間宮部長さまはチーフと違って、やよい先生のことは、ご存じないのかな?
「それなら絶対、教わっているはずよね?さあ、ナオちゃん?もう逃げられないからね。バレエのときは除け者にされちゃったし、部長命令。今度はワタシと一緒に歩きましょう」
右の手首を掴まれ、強引にステージのほうへと連れていかれました。
ギャラリーのみなさまもゾロゾロと後を着いてこられます。
「さあ、ナオちゃんから、先に行っていいわよ」
ステージを降りてすぐの、レッドカーペットの始まり真ん中に立たされました。
実際に立つと、ランウェイも階段にして一段分、床よりも高くなっていました。
やよい先生から教わった、モデルウォークの注意点を一生懸命思い出しました。
視線を前方一点に定め、軽くアゴを引いて背筋を伸ばすこと。
足を前に出すのではなく、腰から前に出る感じ。
体重を左右交互にかけ、かかっている方の脚の膝を絶対に曲げない。
両内腿が擦れるくらい前後に交差しながら、踵にはできるだけ体重をかけない。
肩の力を抜いて、両腕は自然に振る。
あと他に、何だったっけ・・・
「ほら」
考えている途中で、間宮部長さまに軽くポンと肩を押され、仕方なく歩き始めました。
歩くうちにからだがどんどん思い出して、自分でもけっこう堂々としているかな、という感じになってきました。
それにつれて、ギャラリーのみなさまが、おおっ、と小さくどよめくお声も。
「ほら。やっぱり上手いじゃない?」
半分くらいまで歩いて立ち止まると、後ろから来た間宮部長さまにまた、軽く肩を叩かれました。
「そ、そうでしたか?」
「うん。後ろから見ていて惚れ惚れしちゃった。颯爽としていて、とてもエレガントだったわよ」
周りのかたたちもにこやかに、ウンウンて、うなずくような仕草をしてくださって、なんだかとても嬉しい気分でした。
そうこうしているうちに、会場設営もすっかり終わり、もうあとは、本番を残すのみ。
お手伝いのかたたちと、お疲れ様、ありがとう、また明日、のご挨拶を交わして、お見送りしました。
シーナさまとは、お帰り際にもう一度ヒソヒソ話が出来て、こんなことを教えてくださいました。
「明日は、直子にとってお久しぶりな人たちも来るはずよ。エンヴィのアンジェラと小野寺さんとか、あと、西池の純ちゃんも呼んだから。憶えているでしょ?純ちゃん」
「もちろんです」
思いがけないお名前が次々に出てきて、懐かしい羞じらいに頬が火照ってきてしまいました。
「そ、それだったら、やよい、あ、百合草先生もお呼びになったのですか?」
モデルウォークで思い出した懐かしさもあったのでしょう、火照りをごまかすみたいに、焦りながらの勢いでお尋ねしちゃいました。
「百合草女史は、業種が違うから。それに金曜日はお店、お忙しいでしょうしね」
「そうですか・・・」
期待はしていなかったものの、やっぱりがっかり。
「でも、打ち上げの後、お店に寄る、っていう手はあるわね。エミリーたちと一緒に」
「それ、ぜひお願いしたいです」
お尋ねして良かった・・・瓢箪から駒。
本当にお久しぶりに、やよい先生にお会い出来るかもしれない・・・
まだイベント前日なのに、こんなことを言っては、チーフをはじめ、社員のみなさまに叱られるでしょうが、イベントが終わるのが今から待ち遠しくなっちゃいます。
シーナさまの背中をお見送りしたら、会場に残ったのは社員7人だけの状態となりました。
チーフと開発部は、最終打ち合わせでステージ裏。
場内には、私と間宮部長さまとほのかさまが手持無沙汰。
ここに来たときからずっと気になっていたことを、スタッフの誰かにお尋ね出来るチャンスが、やっとやってきました。
「そう言えば、明日のモデルをされる絵理奈さんは、今日はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、もうそろそろ来るんじゃないかな」
間宮部長さまが、屈託なく教えてくださいました。
「このイベントで誰がモデルをするか、っていうのは、トップシークレットなのよ。彼女もそれなりにネームバリュー持っているからサプライズ的な、ね」
「だから身内といえども、一応当日まで内緒にするの。お手伝いの人たちがみんなはけた後、こっそり来て最終チェックする手はずになっているの」
「でもまあ、オフィスでの打ち合わせとかで、たまに鉢合わせしちゃってたりしてるみたいだから、知っている人もいるかもしれないけれどね」
「さっきチーフがいらっしゃって、こっちはもう少しかかるけれど、あなたたちはもうあがっていい、っておっしゃっていたの」
「あなたたちって、いうのは、ワタシとほのかとナオちゃんのことね」
おふたりで口々に教えてくださいました。
早乙女部長さまと絵理奈さまのツーショットが見れないのは残念でしたが、間宮部長さまの、イベント前祝いに3人でどこかで食事でもして帰ろうか、というお誘いが嬉しくて、ご同行。
美味しいイタリアンをご馳走になって楽しく過ごし、早めに帰宅しました。
今日は、早めにシャワーして大人しくベッドに入り、脳内で明日の予習です。
当日は、お昼の12時にオフィス集合。
仕出しのお弁当を全員でいただいてから、荷物をまとめて部室へ移動して待機。
わざわざ高層ビルを上り下りして行き来するより、部室からのほうが7階の会議室に断然近いからです。
午後2時開場、3時開演、5時終演、6時まで商談会。
打ち上げパーティは7時から隣接のホテルの宴会場。
私に割り振られたお仕事は、開場までは、受付の補佐。
スタンディングキャットの男性のかたと一緒にお仕事することになるので不安でしたが、今日少しお話した感じでは、みなさまとても物腰が柔らかく、やっぱり普通の男性とは違う感じがして、ホッとしました。
なんとかなりそうです。
開演してからは、一番後ろで会場全体のチェックという、曖昧なお仕事。
一応インカムを着けて、スタッフの誰かに呼ばれたらすぐ駆けつけるように、というご指示でした。
その後は、チーフに着いて回って、社長秘書のお仕事。
打ち上げの席では、ご来場くださったお客様やお得意様のかたがたに、あらためて私をご紹介くださる、とのことでした。
ちなみにイベントの司会は、間宮部長さまで、アイテムの解説役に早乙女部長さま。
このおふたりがずっとステージに上がられます。
リンコさまはスタイリストとして絵理奈さまにつきっきり。
ほのかさまは、リンコさまの補佐。
絵理奈さまには、その他に専属ヘアメイクのかたもつくそうです。
ミサさまは、スタンディングキャットのみなさまを手足として使い、音響、照明、スクリーン映写の指示と大忙し。
コンピューターにお強い里美さまが、ミサさまのお手伝い。
チーフは、総監督として始終客席でスタンバイ。
イベント始まりと終わりのご挨拶のために、ステージにも上がるそうです。
当日は、フォーマルを基本に、自分で考え得る一番オシャレな服装とメイクをしてくること、と社員全員厳命されました。
早乙女部長さまと間宮部長さま、それにほのかさまは、明日朝一番でヘアサロンのご予約をされているそう。
そのせいで、集合時間がお昼になったと、間宮部長さまがご冗談めかしておっしゃっていました。
私は、服装は買ったばかりのシックな茶系のスーツで、インナーのコーディネートもだいたい決めていましたが、メイクに手こずりそうな予感。
明日は早めに起きてがんばらなくちゃ。
いろいろ確認していたら、やっぱり私もどんどんワクワクしてきました。
リンコさまが以前おっしゃっていた、学生時代の文化祭前みたい、というお言葉が、ぴったりな感じ。
華やかな会場、着飾った人たち。
生まれて初めて生で観るファッションショー。
誰もがみなさまお口を揃えて、キワドイ、とおっしゃるアイテムの数々。
それを身に着けてたくさんの人たちの前に立つ絵理奈さま。
明日は、そんな絵理奈さまを見守る早乙女部長さまにも注目しておかなくちゃ。
フォーマルに着飾ったお姉さま、カッコいいだろうな。
エンヴィのアンジェラさまや小野寺さま、それに純さまにも再会出来るんだ。
そしてイベントが終わったら、ひょっとすると、やよい先生にも。
そして次の日から始まる、お姉さまとの休日・・・
ごちゃごちゃとまとまりのつかない、楽しみ、の洪水の中で、いつの間にかシアワセに眠りに就いたようでした。
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*オートクチュールのはずなのに 39へ
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