2011年6月25日

しーちゃんのこと 14

駅員さんが数人やって来て、一番偉いッぽい人が、駅の事務室に行こう、と痴漢の人に言っているようでしたが、痴漢の人は頑なに拒否しているようでした。
痴漢の人は、今は、体格のいい駅員さん二人に両脇からガッチリと腕をとられていました。
その間に別の駅員さんから、私とカップルさんが事情を詳しく聞かれました。

やがてホームに制服姿のケーサツの人が三人現われ、二人が痴漢の人の腕をしっかり掴み、駅前の交番にみんなで移動しました。
私がいつも使っている改札口とは反対側の改札口前にある交番でした。
愛ちゃんもついてきてくれました。
「なおちゃんのお家に電話して、お母さまにも伝えておいたから。すぐ行くって」
「ありがとう」
本当に愛ちゃんは、頼りになります。
「愛ちゃん、ごめんね。陸上の番組、始まっちゃう」
「いいよいいいよそんなの。ケーサツ終わるまで、なおちゃんと一緒にいてあげるから」
私はまた、涙腺が緩んできてしまい、困りました。

交番では、痴漢の人は奥のお部屋に連れて行かれ、私とカップルさんは、婦警さんからもう一度事情を聞かれました。
愛ちゃんは、心配そうに寄り添っていてくれて、ずーっと私の手を握っていてくれました。
サラリーマンさんは、たとえ裁判になっても目撃者としていつでも証言する、っておっしゃってくださいました。

婦警さんは、私のスカートのさわられていたとこらへんにテープみたいのを貼って、布地の繊維を採取していました。
痴漢の人の指先、爪とかから同じ繊維の破片みたいのが出れば、ほぼ100パーセント有罪なんだそうです。
そうしている間に父と母が車でやって来ました。
父は、珍しく早く帰ってきていたそうで、カップルさんに何度も何度もお礼を言っていました。
両親の顔を見て心底ホッとして、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。

カップルさんは、沿線にある同じ会社にお勤めしているそうなのですが、同僚さんたちには内緒でおつきあいしているので、
「今日の騒ぎを同僚の誰かに見られていたら、ちょっとヤバイかもしれないなー」
「でも、そろそろ結婚するつもりだから、バレたらバレたで、それがきっかけになるわよ」
なんて、笑っていました。
なんだかすっごくさわやかな、仲睦まじいカップルさんでした。
ちなみにOLさんのほうが3つ年上なんだそうです。

私は、男性もヘンな人ばっかりじゃなくて、このサラリーマンさんみたいにちゃんとした、カッコイイ人もいるんだな、なんて、ちょっとだけ男性全体を見直したりもしました。

ケーサツの取調べが終わって、カップルさんたちに何度もお礼を言って連絡先を交換してから車に乗り、愛ちゃんをお家まで送って、愛ちゃんのご両親にご挨拶とお礼をして、9時ちょっと前に我が家に戻りました。

痴漢されたことは、すっごくショックでトラウマが甦っちゃうんじゃないか、ってビクビクしていたのですが、今回の痴漢事件は、あんまり後を引きませんでした。
たぶん、みんながすっごく私の行動を褒めてくれたから。

両親からは、怖がらずによくやったと褒められて、愛ちゃんが連絡してくれたらしい、やよい先生からもその夜にお家にお電話をいただいて、盛大に褒められました。
「あたしの言ったこと、ちゃんと憶えていてくれて、実行したんだね」
って言ってくれたときは、嬉しくて泣きそうになりました。

うちの学校の生徒の誰かが、ちょうどあの現場に居合わせていたらしく、翌日の学校でも、うちの生徒が痴漢を捕まえたらしい、と早くもウワサになっていました。
そのときは、その捕まえた生徒が誰だかはまだわからないままで、私もその話題になると、誰なんだろうねー、なんてとぼけていました。
自分から言い出すのがなんだか恥ずかしかったんです。

その日の放課後、担任の先生に呼ばれて、職員室で簡単に事情を聞かれました。
一応ケーサツから学校にも連絡が来たみたいでした。
その後、図書室当番をした帰り道、しーちゃんにだけはお話しました。
しーちゃんもすごく褒めてくれて、私は、なんだか恥ずかしいのでみんなには内緒にしてくれるように頼んでおいたのですが、月曜日の朝、担任の先生があっさりバラしてしまい、クラスのみんなが休み時間に私の席のところに来て、口々に褒めてくれました。

実際に捕まえたのは私ではなく、あのステキなサラリーマンさんなのだけれど・・・

そして、このお話には思わぬオチがつきました。

後日、母がケーサツの人から聞いたところによると、捕まった痴漢の人は、ずっと黙秘をしていたらしいのですが、持っていたカバンを調べたら、どうやら望遠レンズや赤外線レンズで盗撮したらしい、どこかの民家やマンションでの女性の入浴姿や着替えの写真が何枚か見つかったのだそうです。
その後、私のスカートの布地の繊維成分が痴漢の人の爪から検出され、私への痴漢行為も確定しました。
余罪がありそうなので家宅捜索したところ、自分で盗撮したらしいビデオや写真がパソコンとかから大量にみつかったらしいです。
痴漢行為を書きとめた日記みたいのもあったみたい。
盗撮していたのは、全部あの鉄道の沿線のお家やマンションで、そういったことの常習犯だったみたいです。

そしてなんと、この痴漢の人は、私が通っている高校の3つ先の駅にある偏差値高めで進学校として有名な男子高の化学の先生だったのでした。
沿線周辺ではかなりの話題になって、地元の新聞にも結構大きく記事が載ったほどでした。
もちろん、新聞に私の名前は出なかったのですが、少なくとも私のクラスでは、私がその被害者っていうことはすでに知られていました。

記事が出て、一週間くらい後になって、しーちゃんがしーちゃんのお姉さん、うちの学校の生徒会長さん、から教えてもらったお話です。
その男子高のある生徒もその日、たまたま現場に居合わせていて、その男子高でも翌日、化学教師の誰々があの女子高の生徒を痴漢して現行犯で捕まった、っていうニュースが大々的に広まりました。
いつの間にかそのお話にどんどん尾ひれが付いて、その女子生徒が教師の手をグイッとひねり上げて駅員に突き出した、とか、ひねられて教師の右腕の関節がはずれた、なんていう大げさなお話にまでなり、あの女子高つえー、こえー、ってことになって、その男子高生徒と合コンを予定していた、うちの高校の先輩たちに何件も、合コンキャンセルの連絡が相次いだらしいです。
あと、その化学教師は、ネチネチ陰険で粘着質な性格だったらしく、その男子高の生徒からの評判もあまり良くなかったとか。

確かに、その新聞記事が出てからしばらくは、休み時間に知らない先輩たちが私のクラスを訪れて、痴漢捕まえたのってどの子?ってヒソヒソ聞いていたみたいです。
私は、そんな大げさなお話になっているなんてぜんぜん知らず、注目されるのがひたすら恥ずかしくて、ひたすら気づかないフリをしていたのですが・・・
そんな感じで、私は校内で、ちょっとした有名人になってしまっていました。

9月末の中間テストが終わると、その後は体育祭、遠足、文化祭とビッグイベントがつづき、学校内全体が活気づいていました。
とくにこの学校の文化祭は、二日間に渡って大々的に行なわれ、合唱や演劇など毎年趣向を凝らした演目が近隣の一般の人たちにも評判が良く、外来のお客様も多数訪れる地域の一大イベントになっていました。
普段は女子ばかりの学内に、身内以外の男性がたくさん訪れてくる唯一の機会でしたから、慢性のカレシ欲しい病にかかっている大多数の女の子たちがソワソワ盛り上がって、学校全体のテンションが日に日に上がっていくのがわかりました。

私たちのクラスでは、クラスのお教室でヤキソバ喫茶をやることになりました。
お教室内では火が扱えないので、ホットプレートを持ち寄ってヤキソバを作り、ついでにコーヒーや紅茶も出す、ということで、私としーちゃんは、一日目の調理係になりました。

私が所属している文芸部では、機関誌の発行と、図書室で古本のバザーをやります。
中川さんと山科さんがいる演劇部は、講堂のステージで三年の先輩が脚本を書いたオリジナルの演劇をやるのですが、中川さんたち一年生は全員裏方さんで、まだステージには立てないそうです。
軽音部に入った友田さんは、3人組のロックバンドを組んで最終日のステージで2曲歌うそうです。
しーちゃんの美術部は、美術室に部員全員の作品を飾り、喫茶室をやりながらCGで作った絵ハガキなども売るそうです。

文化祭が近づくに連れ、私もクラスのお友達も、毎日部室に顔を出す生活に変わっていきました。
放課後は、クラスでの文化祭準備をしてから、それぞれが所属する部室に向かい、遅くまで部での準備に励むという忙しい日々がつづき、しーちゃんと一緒にまったり下校出来ない日々が何日もつづきました。


しーちゃんのこと 15

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