イベントまであと3日と差し迫った、その日の社長室。
午前11時過ぎにリンコさまとミサさまが息抜きに訪ねてこられ、お部屋に入るなりパソコンのモニターに映し出された監視カメラの映像に気づかれたミサさまの一言です。
「たまほのがここを担当していた頃にも、こんな画面を見たことがあったな。たまほのに聞いたの?これ」
「あ、いえ。パソコン弄っていて偶然みつけて。あ、でも、ほのかさんに使っていいか、ご相談はしました」
「ふーん。そこの真っ暗な部分はアタシらの部屋なんだよね。アタシらはぜんぜん映されても構わないんだけどな。別に中でコソコソサボってるワケじゃないし」
「ほのかさんによると、来社されて中で着替えられるモデルさんのプライバシーにご配慮されたとか」
「うん。アヤ部長の方針でね。わざわざ外すのもめんどいから、カメラのレンズを黒い布で覆っただけだけど。ちょうど2年前くらいだったかな」
思い思いの場所に腰を落ち着け、リラックスされたご様子でくつろがれるリンコさまとミサさま。
「でも、見ていてそんなに面白いものでもないでしょう?映っている場所、ずっと同じでしょ?それも見知ったオフィス内なんだし」
「確かにそうですね。でも、ドアのお外の通路が映るカメラだけは、重宝しています。ご来客さまがいらしたのが事前にわかるので。予定がある日は、そのカメラをメインにしています」
そうお答えして、玄関先のカメラ画面だけに切り替えました。
「なるほどね。ナオっちはお茶とかの用意もしなくちゃだしね」
うなずかれたリンコさまは、それきりモニター画面へのご興味は失われたようでした。
「アタシら今日は、早上がりしていいんだって。イベント準備でやるべき仕事はもうほとんど終わっているから。アヤ部長さまさまからの粋な計らいね」
リンコさまが持参されたスナックお菓子を私にも勧めてくださいました。
細長いプレッツェルにチョコレートがコーティングされた有名なお菓子。
「アヤ女史が来たら最終の打ち合わせしてお役御免。まあ、明日はアトリエでゲネプロだから、またコキ使われるんだけどね」
ウサギさんが野菜スティックを食べるみたいに、前歯だけをしきりに動かしてお菓子をポリポリ齧るリンコさまがとても可愛らしいです。
「明日ゲネプロ、明後日は会場の設営、そんで当日本番。イベント前の雰囲気って浮き足立ってワクワクするよね。学生時代の文化祭前みたい」
リンコさまのお言葉にミサさまもコクコクうなずいています。
「ボクら、今日の午後は、池袋と秋葉原を満喫してくるんだ」
ピンクの乗馬鞭をヒュンヒュン振りながら、ミサさまが嬉しそうにおっしゃいました。
ミサさまは、このお部屋に飾ってある、チーフのフランス製乗馬鞭がたいそうお気に入りのご様子で、ここにいらっしゃると必ず手に取り、もてあそびながらおしゃべりされます。
ミサさまが乗馬鞭を振るたびに、豊かなお胸も一緒にブルンブルン。
「アタシら、先週もらった休みは、夏コミに向けてのコスプレ衣装の構想に費やしちゃったのよ。前半は、死んだようにひたすら寝てたし」
「だから、街にくりだしてアニメショップめぐりはすごい久しぶり。絶対ハンパなく散財しちゃいそうな予感」
リンコさまが、ワクワクを抑えきれない表情でおっしゃいました。
「直子も、何か探しものあれば、みつけてきてあげる」
ミサさまの乗馬鞭のベロが、私のジーンズの太腿を軽くペチペチ叩いてきます。
うーん、何かあったかな・・・
それからひとしきり、アニメの話題に花が咲きました。
「そう言えば私・・・」
何が、そう言えばなのか、自分でも分からないのですが、ふと思いついたことを口にしていました。
「今度のイベントのショーで、どんなお洋服がご披露されるのか、まったく知らないんです」
「ああ。ナオっちは、ずっと決算の仕事だったものね」
リンコさまがすかさず、うなずいてくださいました。
「だけど、今まで知らないでいられたのなら、いっそ当日まで一切情報を入れないことをお勧めするわ。そのほうが絶対、びっくり出来るから」
イタズラっぽいお顔になるリンコさまとミサさま。
「明日のアトリエでのゲネプロも、ナオっちはお留守番なのでしょう?」
「はい。ほのかさんとふたりで電話番です。ほのかさんは明日のお昼頃、出張からお戻りになるご予定で」
「そっか。そこまで情報が遮断されているなら、明日上がってくるパンフも敢えて見ないほうがいい。全部当日のお愉しみにしとけば、アタシらの何倍も楽しめると思うわ」
それからリンコさまが、今回のイベントについての社内的な変遷を、簡単に説明してくださいました。
「今年のテーマは、エレガント・アンド・エクスポーズ。そのテーマに負けないだけの仰天アイテム揃いよ」
「うちの会社名のダブルイーにちなんで、毎年このイベントのテーマは頭文字Eで統一するのね。具体的には、エレガント・アンドなんとか」
「最初の年は、社名と同じエレガント・アンド・エロティック。次の年は、エンヴィ。イーエヌヴィワイ。羨望、みたいな意味ね」
「それで3回目の去年は、エレガント・アンド・エンバラスっていうテーマで、一歩踏み込んだキワドめのアイテムを投入してみたのね。エンバラスってわかる?」
「えっ?あのえっと・・・」
「イーエムビーエーアールアールエーエスエス。当惑、とか、恥ずかしい、っていう意味ね」
「それで、肌色多めになるローライズとかシースルーみたいなイロっぽいアイテムを多めに投入したら大好評だったの。それで今年は、更にもう一歩、踏み出しちゃったワケ」
「エクスポーズは、わかるよね?さらけ出す、とか、暴く、とか。まあ、えっちな意味での、露出、ってことね」
ノーブラのリンコさまのお口から艶っぽく、露出、というお言葉が聞こえたとき、まるで私の性癖をを見透かされたかのように感じて、心臓がドキンと大きく跳ね上がりました。
「・・・そんなに、凄いのですか?」
「うん。企画して作ったアタシらがこんなことを言ったらアレだけど、着ているほうより見ているほうがいたたまれなくなっちゃうようなキワドイのが何点もある」
「そういう意味では、今回、モデルをしてくれる絵理奈って子も凄い。よくこんな仕事、引き受けたなー、って」
「あれを着て澄ましていられる、そのプロフェッショナルぶりには感心した。ちょっとタカビーなところが鼻についたけど、その点にだけは素直に脱帽」
「タカビーってリンコ、それ死語」
ミサさまがポツンとおっしゃり、三人でうふふ。
「そういうことで、ナオっちは当日まで情報遮断して、愉しみに待っているといいわ。絶対驚くから。ナオっちのリアクションが今から楽しみ」
リンコさまとミサさまが意味ありげに見つめあった後、リンコさまは、私にイタズラっぽくウインクされ、ミサさまはまた、私の太腿を乗馬鞭で軽くペチペチ叩かれました。
「あっ!アヤ姉、来たみたい。アタシら戻るね」
モニターに映った通路の映像に目ざとく早乙女部長さまのお姿をみつけたリンコさまがおっしゃり、お菓子を置き去りに素早くおふたりとも社長室を飛び出していきました。
出社された部長さまと小一時間くらい打ち合わせされた後、リンコさまとミサさまは笑顔で退社。
そのあいだにお弁当を済ませた私は、社長室でチーフのドキュメントフォルダーの中味を眺めていました。
今日は、この後ご来客の予定も無く、チーフ、間宮部長さま、ほのかさまは出張中で明日のお戻り。
オフィス内には私と早乙女部長さまだけ。
かかってきたお電話を部長さまにお繋ぎする以外、これといったお仕事も無く、なんとも手持ち無沙汰でした。
そろそろ3時になろうとする頃、内線が鳴り、部長さまに呼び出されました。
「森下さん、決算書類一式はすでに、すべて先生にお送りしたのよね?」
「はい。先週末にすべて終わりました」
「ご苦労様。それなら今日は早めに上がってください。明々後日のイベントに向けて、ゆっくりからだを休めるといいわ」
繊細な白レースでシースルー気味のシックなブラウスを召された部長さまが、私を見ながらおやさしく微笑まれました。
肩と胸元が程よく抜けて白いブラのストラップが微妙に透けているそのお姿が、いつもよりいっそう艶やかに感じられたのは、私の気のせいだったのでしょうか。
「お気遣いありがとうございます。だけど私、まだ帰れないのです」
私が恐縮しつつお答えすると、部長さまは一瞬、意表を突かれたようなご表情をされました。
間単に言えば、えっ!?っていうご表情。
それからちょっと宙空を見上げ、何か考えるようなそぶりをされた後、落ち着いたお声で尋ねられました。
「帰れない、とは?」
「あ、はい。あの、今日中に税理士の先生から、お電話をいただくことになっているのです。先日お送りした決算書類に関する最終確認ということで」
「ああ、そういうこと」
「はい。書類を吟味してご不明な点をまとめてご質問いただけるということで。もしも何か不足している数字があったら、それを追加したり・・・イベント前に片付けておいたほうが、あなたも気が楽でしょう、って先生がおっしゃってくださって」
「わかったわ。それは席を外すわけにはいかないわね。わたくしでは細かいところまでは答えられないでしょうし」
部長さまが再び、何かを考えるように両目を閉じられました。
「それで、いつ電話がかかってくるかは、わからないのよね?」
「はい。遅くとも夜の7時頃までには、としか」
「そう。わかりました。お忙しい先生ですからね。それでは森下さんは、その仕事が終わるまでここにいてください」
部長さまの口調が、なぜだかご自身に言い聞かせているみたいな、覚悟を決めた、みたいなニュアンスに聞こえました。
「はい。せっかくのお心遣いをお受け出来なくて、申し訳ございません・・・」
「何言ってるの?仕事が一番大事だし、その仕事は我が社にとってもとても重要な案件よ。先生としっかり打ち合わせしてください」
「はいっ」
一礼して社長室に戻ろうとすると、背後から部長さまに呼び止められました。
「あ、それでね、森下さん」
「あ、はい」
振り向くと部長さまが、何か思いつめたようなお顔で、まっすぐに私を見つめていました。
大急ぎでデスクの前に戻りました。
「このあと、そうね、たぶん4時ごろまでに絵理奈さんが来社することになっているの。絵理奈さん、わかるわよね?」
「はい。今度のイベントのモデルをやってくださるという、お綺麗な・・・」
「そう。明日アトリエで通しリハーサルだから、その前の大事な最終打ち合わせをすることになっているの」
「はい」
「彼女が来ても、お茶とかは出さなくていいから。わたくしたちはすぐに、デザインルームに入ってしまうから」
「はい」
「それで、わたくしたちがデザインルームに入ったら、もうわたくし宛ての電話は取り次がなくていいわ。不在と言って、お名前とご用件だけ承って、わたくしのデスクの上にメモを残しておいてくれればいいから」
「はい。わかりました」
部長さまは、時折宙を見つめて、ひとつひとつ念を押すように、丁寧にご指示くださいました。
「それで、森下さんは先生との用件が終り次第、そのまま帰っていいわ。わたくしたちに声をかけなくていいから。社長室だけきっちり片付けていってください」
「はい」
「たぶんわたくしたちのほうが遅くなると思うから、戸締りはわたくしがやっておきます」
「わかりました」
「では、絵理奈さんがいらっしゃったら内線で伝えるから、その後は今言った通りにしてちょうだい」
「はい。わかりました」
部長さま、なんだか今日はご様子が違うな。
社長室に戻り、モニター画面を四分割に戻してから、椅子に座って考えました。
いつものように自信たっぷりの優雅さも残ってはいるものの、なんだかソワソワしていらっしゃると言うか。
モニターの右上には、どこかへお電話されている部長さまの後頭部が映っていました。
お電話を終えられるとお席をお立ちになり、そそくさとドアのほうへ向かわれました。
あれ?
部長さまのスカート、いつもより短い。
いつも絶対膝丈以上なのに、今日は太腿が10センチくらい見えていました。
お話しているときはずっと、部長さまが座ったままでしたので、今まで気がつきませんでした。
ベージュのストッキングに覆われてピカピカ輝くお奇麗過ぎるスラッとしたおみあしが、モニター越しにもわかりました。
ドアをお出になった部長さまを追ってモニターの左上に目を移すと、向かわれた方向から、どうやらおトイレっぽい。
やっぱり早乙女部長って、お綺麗だなー。
そのときは、それ以上深くは考えず、のんきにそんなことを思っていました。
5分くらいして、部長さまが戻られました。
そのときの映像を見て、再び、あれ?
太腿の光沢が消えていました。
ストッキングを脱がれた?
解像度の粗い監視カメラの映像ですから、確かなことはわかりませんが、そう見えました。
でも、なぜ?
そうしているうちに今度は、左上の映像に見覚えのある大きなサングラスのお顔が見えました。
絵理奈さまでした。
いつもファッション誌のグラビアから抜け出してきたような華やかな装いで来社されていたのですが、今日はずいぶん地味めなお姿でした。
両袖をむしり取ったようなラフなジージャンにインナーは柄物のTシャツかな?
ボトムは、スリムなダメージジーンズにミュール。
それでも、タレントさんぽさを隠せない特徴あるサングラスと、いつも引いていらっしゃるブランド物のカートで一目瞭然でした。
絵理奈さまは、インターフォンも押さず無言でドアを開け、いきなりオフィスに入ってこられました。
ガタンとお席から立ち上がる部長さま。
その後の光景が信じられませんでした。
歩み寄ったおふたりが、互いに両腕を広げギューッとハグ。
それも、部長さまのほうが力が入っているみたいに見えました。
部長さまのほうが背が高いですから、絵理奈さまが包み込まれている感じ。
天井からのカメラなのでよくはわかりませんが、おふたりの髪の毛が絡み合うようにくっついていたので、ひょっとしたらキスを交わされていたかもしれません。
えっ?えっ?えーっ???
ひとしきり呆気に取られた後、今すぐメインフロアに飛び出して、実際のところを自分の目で確かめてみたくてたまらなくなりました。
同時に早乙女部長さまが、この監視カメラの存在をすっかりお忘れになられていることも確信しました。
だって憶えていれば、私が社長室にいることを知っていながらあんなこと、絶対に出来るはずないですもの。
両目でモニターを食い入るように凝視したまま、そこまで考えて思考停止に陥いりました。
モニターの中の絵面が何を顕わしているのか、理解出来なくなっていました。
立ちくらみみたいなものを感じて、咄嗟に両目をギュッとつむりました。
突然、甲高く内線を告げる呼び出し音が鳴り響きました。
モニターの中では、すでにおふたりのからだは離れていました。
内線の音に驚き過ぎて本当にキャッと一声鳴いてから、あわてて受話器を取りました。
「森下さん?絵理奈さんがいらっしゃいました。打ち合わせを始めますので、さっき説明した通りにお願いね」
努めて冷静を装うような、落ち着いた中にもどこか上ずったような、部長さまのお声。
「は、はい。かしこまりましたっ!」
ドキドキが収まらず、掠れ気味な声を振り絞り、妙にバカ丁寧な応答をしてしまう私。
すぐに電話は切れ、ツーツーツーという音だけになりました。
モニターには、部長さまが受話器を戻し、絵理奈さまに何か耳打ちされてから、寄り添うようにデザインルームへと向かうお姿が映し出されていました。
部長さまと絵理奈さまって、そういうご関係だったの?
この後、デザインルームで一体何が行なわれるのだろう・・・
私は、好奇心の塊と化していました。
モニターには、デザインルームのドアを開き、中へと消える絵理奈さまの後姿が、画面の端っこに辛うじて映っていました。
でも、それもすぐに消え、ドアが閉じられました。
ああん、デザインルームの中は見ることが出来ないんだ・・・
部長さまがご提案されたという、カメラの目隠しを心底怨みました。
ん?ちょっと待って。
目隠し?
そのとき、パッと光明が見えました。
確かリンコさまは、カメラは外していない、とおっしゃっていたっけ。
すぐに机の抽斗から、お仕事中に好きな音楽を聴くためにこっそり使っていたイヤーフォンを取り出し、パソコンのイヤーフォン端子に挿しました。
それを両耳に詰めてからモニター画面を真っ暗闇に合わせ、コントロールパネルのヴォリュームアイコンを上げていきます。
ザザザ、ガサガサ、ゴソゴソ、ザザザ、ガサゴソ・・・
衣擦れのような物音がハッキリと聞こえてきました。
やっぱり。
カメラに付いているマイクが、音だけは拾っているのです。
場面を見ることは出来ないけれど、音なら聞こえる。
モニターいっぱいに大映しとなった真っ暗画面に、イヤーフォンを突っ込んだ両耳に両手をあてがい、縮こまるようにして固唾を呑んでいる、自分の浅ましい顔が映っていました。
これって、立派な盗聴行為、盗み聞き、プライバシーの侵害。
わかってはいるのですが、溢れ出る好奇心を抑えることは出来ませんでした。
しばらくガサゴソ音がつづいた後、ふいに明瞭なお声が聞こえてきました。
「ほら、早く見せてよ。ちゃんと約束通りにしているのか、確認するから」
最初に聞こえてきたのは、早乙女部長さまではないお声でした。
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*オートクチュールのはずなのに 35へ
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