2010年6月19日

第二次性徴期と私 03

初めてのオナニーに挑戦したのは、生理がひけて4日後の土曜日の夜でした。

もちろん、生理後すぐに、やる気まんまんでした。
でも、生理自体が初めての体験です。
ショーツは汚れなくなっていましたが、本当に終わったのか私にはわかりません。
つい前の日までは血を流していたんです。
がまんして、様子を見ているうちに3日たっていました。

夕食のあと早めにお風呂に入って、パジャマに着替えました。
母はリビングで映画を見ていました。
けっこう大きい音を出して見ていました。
父は出張中で帰ってきません。

「ママ、私宿題やってから、寝るね」
「そう。おやすみー」
「おやすみなさい」

自分の部屋に入り、一応鍵をかけます。
わくわくしています。
自分の姿が映ると恥ずかしいので、鏡を裏返しにします。
部屋の電気を二段ほど暗くして、ベッドの中央に座りました。
キッチンからこっそり、ウエットティッシュを5枚くらい持ってきていました。
両手の爪も短く切りそろえてあります。

まず、パジャマの上のボタンを全部はずして胸をはだけ、下は足首まで下ろしました。
ショーツはそのままで、仰向けにベッドに寝転び、上半身だけ起こします。
両脚は、膝を立ててちょっとだけ開きました。
両手を入念にウエットティッシュで拭ってから、左腕を胸をかばうような形に置き、右手はショーツの上から、手のひらでアソコを包み込むような感じに置いて、右手と左腕を同時に上下にサワサワと動かしてみました。
しばらくそうしていましたが、くすぐったいのが気持ちいいといえば気持ちいい、のかな?みたいな感じです。

そこで今度は、アソコに置いた右手を、軽く全体を握るようにモミモミ、胸は、左手のひらで右の胸、左の胸と、交互にモミモミしてみました。
その状態でしばらくつづけていると、なんだか、からだ全体がふわっとしたような、くすぐったさとは違う、不思議なむずむず感を覚えました。
なんとなくいい気分。

そうか、これがオナニーなんだ、と思いながら、少しモミモミの速度を上げると、気持ち良くなるにつれて、アソコの奥から、じわっと、何か液体がにじみ出ててきたような感覚がありました。
この感覚は、つい最近初めて味わったもの・・・
そう、生理のときに血が出始めたときの感覚です。

「えっ!?」

私は思わず、大きな声を出して、両手の動きを止めました。
また、生理になっちゃうの!?
おそるおそる右手をショーツのアソコからはずしてみます。
ショーツは別に汚れていません。
まだ少量の出血なのでしょうか?
アソコに指を入れて確かめるわけにもいきません。

そのとき、ひらめきました。
さっき感じていた、むずむず感はオシッコをしたいときの感覚に似ていました。
私はオシッコをしたいのかもしれません。

そうだ!トイレに行って、見てみよう。

パジャマの前がはだけたまま部屋を出て、2階のつきあたりのトイレに駆けこみました。
パジャマの下をショーツごとずり下げて便座に座り、オシッコする体勢に入りました。
出ません。
さっきのむずむずの余韻はあるのに出ません。

私は、便座に座ったまま、自分の裸のアソコを覗き込みました。
この頃には、私の陰毛は、密度は薄いながら上から見ると狭い逆三角形に生え揃っていました。
私は、ぐいっと上半身をかかがめて、アソコを覗き込みながら、大きく両膝を開いてみました。
ワレメの綴目が少し開きました。
何か内臓を思わせるようなピンク色の内部が、全体に濡れたようにテカっています。

私が、自分のアソコの内部を見たのは、たぶんこれが初めてでした。
ちょっとキモチワルイと思いましたが、ちょっとキレイとも思いました。
血が出ている様子は、ありません。
私は、思い切ってさわってみようと、右手の人差し指をそろそろ近づけていきました。
そこに触れるか触れないかまで来たときに、指先に何かぬるっとした、透明な液体がつきました。

そうか。
これが気持ちいいときに出る液なんだ。

なんだかほっとして、力が抜けました。
やっぱり、私は気持ち良かったんだ。
今日はもうこれでいいかな・・・
興奮が醒めてしまい、ちょっと眠くもなってきたので、この先は、また日をあらためて挑戦することにしました。

このままだと、なんだかキモチワルイので、オシッコを拭く要領でトイレットペーパーをオシッコの穴より、ちょっと下にあててみました。
なんか、ぬるっと、指がアソコの内部に入る感触があります。
しばらくペーパーで押さえつけてから、ゆっくりとアソコから離して行くと、液がアソコとペーパーの間でツーーッと糸を引いている感覚がありました。

ふと気づいて、トイレの洗浄装置のうち、まだ使ったことのなかった『ビデ』 を使ってみようと思いました。
確か、これはアソコを洗うためのもの。
お尻用のは、いつも使っていて、その、こそばゆさがすごく好きでした。

スイッチを押してみると、お尻の穴よりちょっと前の部分に、ぬるま湯がシュワシュワと当たります。
あ、これも気持ちいい。
これなら、ぬるぬる液も洗い流されるでしょう。
しばらくあてた後、スイッチを切りました。
これからは、ビデも使うようにしよう。
そう決めました。

洗われてキレイになったはずのアソコをペーパーで軽く拭いてから、ショーツとパジャマを上げました。

その後、なんとなくオナニーに再挑戦する気になれず、気がつけば4月下旬からの連休に突入していました。


第二次性徴期と私 04

第二次性徴期と私 02

そして、もうすぐ小学生最後の夏休みというある日。

ひさしぶりに母と一緒にお風呂に入っていたときに、
「あら、なおちゃん。生えはじめたのね。おめでとう」
という、母の言葉で、私のアソコにうっすらと毛が生えてきていることを知りました。

あわてて自分のアソコを覗き込むと、たしかにスジの割れはじめあたりにうっすらと、産毛ではなく、もっと色の濃い毛がぽつぽつと、生え始めていました。
私はなんだか、すごく恥ずかしくなって、きっと泣きそうな顔をしてたんだと思います。
「恥ずかしがることはないのよ。なおちゃん。大人に一歩近づいたんだから」
「あなたも、もうすぐママみたいなセクシーボディのステキな女性になるわよ」
おどけた声でそう言って、母は私の前に全裸で立ち、上半身を反って形の良いおっぱいを前に突き出し、片手を頭の後ろ、片手を腰に当てて、片脚をくの字に曲げた、よくある『セクシーポーズ』 をとりました。
母とは、小さい頃からよく一緒にお風呂に入っていましたが、あんなにまじまじと母の裸を至近距離で見つめたのは、初めてでした。
女性の裸って、キレイなんだなあ、って思いました。

そして、毛が生えてきた、と指摘されたとき感じた恥ずかしさが、昔なにかのときに感じた恥ずかしさとよく似ているな、と思いました。
すごく恥ずかしいのに、下半身から、なんだか気持ちいい電流みたいなのが、からだ中にじーんと駆けめぐる、そんな恥ずかしさ・・・

今私はこれを、自分のマンションの部屋で全裸のままPCに向かい、打っているのですが、今思うと、私のからだは、あの時見た母の裸にそっくりです。
なんて言うと、私のからだはきれいなのよ、って、自分で言ってるみたいで、はしたないのですが・・・
下の方がぽってりしてるおかげで、ちょっと垂れ気味な、まあるくて弾力のある乳房。
白い肌にくっきり浮かぶ若干広めな乳輪と、ツンと上向きで長めな乳首。
そして、下半身に狭く三角形を作る、縮れの少ない薄めな陰毛。
あらためて自分のからだを見てみると、私のからだの特徴は、全部、母から受け継いだものでした。
あの頃の母は、今の私より10いくつ歳上だったはずですから、プロポーションを維持するために、ずいぶん陰で努力していたんだろうなあ、と思います。
私もがんばらなくっちゃ・・・
と、話がズレました。

初潮が訪れたのは、中学校の入学式を2日後にひかえた日の夕方でした。
家にいたので、まっ先に母に伝えると、
「おめでとう、なおちゃん。あなたは、もう女の子じゃなくて、おんな、よ」
と、私の手を握り、抱き寄せて頬ずりくれました。
その日の夕食は、私の大好きなオムライスでした。
ケチャップの文字で「なおちゃんLOVE」 と書いてありました。

小学校5年の終わり頃に、放課後女の子だけが集められて開かれた講習会を、ちゃんとまじめに聞きましたから、だいたいの心がまえは出来ていました。
その後、自分でも本でいろいろ調べたりして、ついでに知った、『あるお楽しみ』 のために、初潮が来るのを心待ちにしていたと言ってもいいでしょう。

でもやっぱり、自分のアソコから血が出ている・・・っていうのは、びっくりするし、なんか不安になります。
最初の生理が始まって終わるまで、私はヒマさえあれば、学校でも家でも、ナプキンをこまめに変え、トイレやものかげで、こっそりスカートをめくり、母が用意してくれた生理用ショーツのゴムをひっぱって、出血が止まっていないか確認していました。

そんなわけで、中学校の入学式は、生理まっただ中での出席でした。
一緒に来てくれた母と別れてから、クラス分けを見て、新しいクラスの教室に入ります。
遠くの町から転居してきた私には、見事に全員知らない顔です。
他の子たちはみんな、地元の小学校から上がってきていますから、一人や二人、知っている顔がいるようで、がやがやとおしゃべりをしています。
私は一人だけ無言で、ぽつんと座っています。
すごく不安になっていました。
クラスでずっと一人だったらどうしよう・・・

小学4年生の転校のときを思い出してみます。
あの時は、一応先生が『転校生』 として紹介してくれましたから、みんなも気を使って話しかけてくれて、比較的早くなじめました。
でも今回は違います。
いきなり私だけがよそ者です。
みんなが、あれ誰?、とヒソヒソ話してるような気にさえなってきました。
不安と恥ずかしさで、胸がすごくドキドキしていました。

そして、これは後になって気づいたことですが、私の性的なむらむらは、大きな不安や恥ずかしさ、みじめさを日常の場で感じたときに、スイッチが入りやすいみたい。
それはどんどん、えっちで淫らな妄想に姿を変えて私の中でふくらみ、ときには現実世界にまで暴走してしまい、今までも何度か、後で思い出すと、何であんないやらしいことができたんだろう?、と赤面してしまうようなことを、やらかしてきました。

中学のクラス担任になった先生が、何かお話している間、私は、目先の不安から目をそらすように、生理後にやってくる『あるお楽しみ』 のことばかり考えていました。こうしている間にも、生理が終わっているのではないかと確認したくて、その場でスカートをまくり上げ、ショーツを下ろしてみたくて、たまりませんでした。

私の初めてのお客さんは、4日で去っていきました。

私の胸が少しずつふくらみはじめた頃から、私の知的好奇心は、えっちなこと、性的なことに大きく比重が傾いていました。
ティーン向けの月刊誌やレディースコミックっていう女性向けマンガ雑誌には、そういうえっちなことが、たくさん載っているらしいことは知っていましたが、小6女子な私には、恥ずかしくて買えません。
それに、その町の本屋さんで私は、何冊も小説や少女マンガを買っているので、店員さんにも顔見知りの人が何人かいます。
なので、立ち読みもできません。

結局、一番の情報源は町の図書館でした。
図書館の『医学』 のコーナーにこそこそ行って、性器の図解をながめたり、セックスの項目を調べたり・・・。
でも一番役に立ったのは、子供向けの悩み相談を集めた本でした。
そこには、学校での悩みとか、家庭での悩みなんかにまざって、からだの悩み、の項目がありました。
女の子向けの編集なので、女の子のことしか載っていないのも私向けでした。
初潮が来ない、とかアソコの毛が濃い、みたいな悩みと、その答えを夢中で読み耽りました。

その『悩みシリーズ』 の本は、3巻までありました。
借り出したいのですが、貸し出しカードのところに私の名前が書かれてしまうのも恥ずかしく、その本をみつけてから三日間くらい毎日、学校が終わると、まっすぐ図書館に飛び込んで、一時間くらい飽きもせず、その3冊の同じ項目、つまり、えっちなところだけを何回も読みかえしました。

その本によって知った新しい知識が『オナニー』 という行為。
オナニーに関して重要と思われる知識を、私は勉強のノートに、すごく小さな字で書き留めました。

「初潮が来ると、性欲を感じるようになる」
「性器の周辺や、胸をやさしくマッサージすると、気持ち良くなれる」
「汚れた手でしてはいけない。ちゃんときれいに洗うこと」
「ワレメに無理に指を入れると、中を傷つけるので、注意」
「気持ち良くなると、奥からオシッコではない、ぬるぬるした液が少しずつ出てくる」
「そうなったら、指が入る」
「オシッコの穴の上にある突起がクリトリス」
「クリトリスが一番敏感」
「胸もアソコも、あまりさわりすぎると黒ずんでくることがあるので、やりすぎないこと」

ノートの切れ端を小さく折りたたんで、定期入れの中に入れて持ち歩いていました。
そして、何かつまらないことがあったときとかに取り出し、そのメモを何度も読み返しながら、私は、初潮がやって来るのを心待ちにしていました。

初潮が来て、中学生になった私は、生理の間中、何度も何度もそのメモを読み返して過ごしました。


第二次性徴期と私 03

第二次性徴期と私 01

私の父は、とある貿易関係の会社に勤めています。
父のお仕事の都合による転勤で、子供の頃に私は引越しを3回経験しました。
最初は、私がもの心つく前。
これは、私には記憶がありません。
次が小学校4年生のとき。
そして、今回のお話の始まりとなる、私が小学校を卒業したとき、です。

自分で言うのは、とてもはしたないのですが、私はかなり裕福な環境で育ちました。
父と母の実家がそれぞれ、大きなお屋敷でしたから、その援助もあったのかもしれません。
でも、父は、朝早く仕事に出かけて行って、夜遅くに帰ってくる、という生活をずっとしていました。
すごくがんばってお仕事しているのは、子供の私にもわかりました。

父は、娘の贔屓目をさしひいても、ハンサムでした。
目鼻立ちのはっきりした整った顔をしていて、背も高く、からだつきは細身だけれど、がっしりしていました。
幼い頃の私は、8時か9時にはもう眠っていましたので、一週間のうち父の顔が見れるのは、日曜日のお昼過ぎからだけでした。
私はそれがとても待ち遠しくて、父が起きる頃になると、父と母の寝室に駆けて行き、寝ている父のお布団の上に飛び乗ったものでした。
そんな私を、眠そうな目をこすりながら抱き上げて、高い高いをしてくれる父が大好きでした。

父と母は、大学の頃にレジャー系サークルで知り合い、5年間交際してから結婚したと、母から聞いていました。
父との交際時代の思い出を、少し照れながらも嬉しそうに話してくれる母も大好きでした。

小学校の卒業式を終えた翌日に、私たち家族は新居に向かいました。
今度のお家は、新築の一戸建てです。
父の転勤もこの先はなさそうだ、という見通しがついたので、東京近県のベッドタウンに、思い切って新築したものでした。
広い敷地に大きく芝生のお庭をとった、洋風でかわいい感じのお家でした。
中に入ると、広いリビングとダイニング、お庭にはウッドデッキまでしつらえてあります。
親子3人で住むには、いささか広すぎる感じもしました。
私が、思ったままにそんな素直な感想を言うと、
「でも、ひょっとしたらもうすぐ、なおちゃんの弟か妹がやってくるかもしれないでしょ?」
母が、照れたように笑いながら言ったのを、今でも思い出します。

順番にお話します。

小学校高学年から中学生時代の私の趣味は、読書でした。
きっかけになったのは、小学4年生のときの引越しです。

引越してしばらくは、お友達もできなかったので、家に早く帰っては、それまで両親が買ってくれていた本を全部もう一度読み返していました。
子供向けの文学全集みたいなやつです。
低学年の頃に、一度ずつくらいは読んでいたはずですが、理解力が違います。
それからすっかり、『私じゃない誰かの物語』 の世界で遊ぶことにはまってしまい、学校でも、自然と一人で本を読んでいることが多くなりました。

そんな内気な転校生の私でしたが、毎日学校に通っていれば、だんだん新しい環境にもなじんできます。
夏休み前までには、おしゃべりしたり一緒に遊ぶお友達が何人かできていました。
そして、お友達との交流とは別枠で、知的好奇心を満たす趣味としての読書の習慣も私の中に定着していました。

面白そうだと思った本を、手当たりしだい、学校の図書室や町の図書館で借りたり、自分のおこずかいで買ったりして、ひまさえあれば読んでいました。
母は、私が本を買いたいと言うと、いつも黙ってお金をくれました。
その代わり、どんな本を買ったのか、ちゃんと報告すること、がルールでした。
でも、母は一度も、私が買ってきた本に関して注意めいたことを言いませんでした。
少女マンガを買ってきても、今思えばちょっと猟奇的な場面が多い推理小説を買ってきたときも、
「読んでおもしろかったら、私にも貸してね」
と、笑っていました。
そして実際、私の買ってきた本を、母は、ほとんど読んでいたみたいです。

6年生になる頃には、ベストセラーになった大人向けの本なども普通に読んでいました。
私がムラカミハルキさんの本を買ってきたときの、母の言葉を覚えています。
「あら、なおちゃん。その本なら、私持ってたのに。きれいなお話よ。ちょっとえっちだけどね」

たしかにえっちでした。でも、すごくロマンティックなお話でした。
登場人物の一人の名前が、私と同じだったこともあり、感情移入してしまい、何回か読み返したほどでした。
性的なシーンでは、もちろん当時の私に具体的なイメージを描くことはできませんでしたが、なんとなくきれいで、儚い、肌色な映像を思い浮かべていました。
男性と女性が愛し合うと、自然とそういうことをしたくなるんだろうな、と素直に受け入れていました。

ムラカミさんの本だけでなく、他の作家さんの小説にも、ときどきその手の性的なシーンが描かれていていました。
そして、後から思えば幸いなことに、それらはすべて男女の愛あればこそ的な、愛情の確認のためのセックス描写ばかりでした。

そんなふうに、読書を通じて性的なものに『耳年増』 状態となっていた私は、それに対する好奇心と期待感のほうが、その年頃の女の子にありがちな、セックスや、えっちなことに対する嫌悪感よりも、上回っていたように思います。

だから、あの日母に、弟か妹うんぬん、と言われたときも、あ、やっぱりしてるんだな、くらいにしか思いませんでした。
父と母がセックスしている、ということは、彼らが愛し合っている証拠なのですから。

その頃に思い当たったことなのですが、実際、父と母は、頻繁にセックスしていたみたいです。

小学校4年生から6年生まで、私たち家族が住んでいたのはマンションでした。
家族向けのけっこう広い賃貸で、一応、部屋はリビングを除いても4部屋あり、父、母、私に一部屋づつ、残りの一部屋は畳の部屋で、客間と呼んでいました。

4年生の頃、夜中にオシッコがしたくなって、その客間の前を通ったとき、なにか、がさごそする音を聞いたことがありました。

翌朝、母にそれを告げると、母は笑顔で、
「ああそれね。あのお部屋には、我が家の神様が住んでいるの。なおちゃんには、見えないけど、ずっとおしゃかさまみたいに座った形でフワフワ浮いて、なおちゃんを見守ってくれているのよ。夜だけ、下に降りてきて、ちょっと運動をなさるの。だってずっと浮いてたら疲れちゃうでしょ」
しれっと言ったものでした。
それを、つるっと信じてしまった私は、それからもたまに聞こえていたその音を、ぜんぜん気にしなくなっていました。
「あ、今日も神様いるな」
なんてくらいにしか。
親が親なら、子供も子供ですね。

休日の昼下がりに、私とさんざん遊んだあと、父がふっと、いなくなることもありました。
そして、15分後くらいに、父から家に電話がきて、母が私に告げます。
「パパが、今、会社の人と会ってて、大事なものをお家に忘れてきちゃったんだって。ママ、車で届けてくるから、しっかり、お留守番、お願いね」
みたいなことを。
母も出かけていき、夕方にケーキを持って、二人で車で帰ってきます。

一月に一回か二回、そんなことがありました。
もちろん、二人が出かけていくときに、いろんな言い訳があったと思いますが、いちいち覚えていません。
でも、いくら鈍い私でも、それが半年もつづけば、なんかパターン化しているのくらいはわかりました。
そして私は、そのパターンの日は、ケーキが食べられる日、と喜んでいました。

そんな謎も、小学校6年のその頃には、解けていました。
二人はきっと、国道沿いにあるラブホテルまで行っていたのだと思います。
たまには、大きな声出して、やりたいですものね。

そしてその頃、私のからだに大きな転機が訪れていました。
胸が、かすかにふくらみはじめたのが、小学校6年生になった頃。
乳首に、なんかひきつるような痛みを感じることが増えて、お風呂の時に毎回、脱衣所の鏡でチェックしていると、日に日に乳首がちょっとずつ大きくなっているような気がしました。
そのうち胸全体も少しずつふくらんできました。


第二次性徴期と私 02