2011年11月19日

ピアノにまつわるエトセトラ 14

 歩きながら考えていたのは、ゆうこ先生は今日ご自宅で、どんな格好をしてお出迎えしてくれるのかな?ということでした。
 
 前回のゆうこ先生のお家でのレッスンの帰り際、私はゆうこ先生に、あの水着を着てレッスンしてください、ってお願いしていました。
 いいえ、あのときにもう二人のSMのプレイが始まっていたとしたら、命令、と言ってもいいかもしれません。

 私が中学2年生の夏休み。
 我が家でのガーデンパーティでゆうこ先生が身に着けていたベージュのビキニ水着。
 
 上下ともほとんど細い紐状で、必要最低限の箇所だけ、かろうじて隠せるくらいの過激過ぎる水着。
 いっそのこと脱いで裸になっちゃったほうがいやらしさが減るだろう、って思うほど恥ずかしすぎるえっちで露出狂な水着。

 あれを着て玄関先で迎えられたら、私は思わず抱きついて、ゆうこ先生を押し倒してしまうかもしれません。
 だけど、確かゆうこ先生は、プレイはいつものレッスンが終わってから、ともおっしゃっていました。
 
 ということは、まずは普通にレッスンをして、それから着替えてくれるのかな?
 普通のお洋服の下にあらかじめ着ておいてストリップしてくれる、っていうのも考えられるかな…

 そんな勝手な妄想をしつつ、両足は着実にゆうこ先生のマンションに近づいていました。
 ゆうこ先生が教えてくれた目印になる建物が的確だったので、けっこう複雑な順路なのですがまったく迷わずにマンションの入り口までたどり着けました。

 キンコーン。
 エントランスでゆうこ先生をお呼びしてロックを解除してもらい、エレベーターで7階まで上がります。
 
 エレベーターホールから向かって左側のドアの前に立ちました。
 高鳴る胸の鼓動を、深呼吸を一回して落ち着かせてから、ドアチャイムを押しました。
 ピンポーンッ。

 ゆっくりと開いてくる外開きのドアの向こうに現われたゆうこ先生は、きわめて普通の格好をしていました。
 膝上10センチくらいの柔らかそうな生地でゆったりとしたシルエットの、淡いブルーの七分袖チュニック。
 
 ボトムは、たぶんこの間と同じ、ウォッシュアウトのスリムジーンズ。
 スリッパと裾の間からは黒のストッキングが覗いていました。

 私は、ですよねー、って感じで少し落胆しつつも、ゆうこ先生のニコニコ微笑んでいる綺麗なお顔を見て気を取り直し、今日これから、いったいどんなことになるのか、抑えようもない期待が新たにどんどん膨らんできて、ゆうこ先生につられるように自然と満面の笑顔になっていました。

 お部屋の中は、心地良い温度に暖まっていて、私はコートとブレザーも脱ぎ、制服の赤いリボン付き長袖ブラウスと膝丈スカート、白のハイソックスという姿になりました。
 レッスン前のお茶とケーキで雑談のときは、二人ともわざとらしいくらいに普通のお話をして、えっちな話題にはいっさい触れないようにしていました。
 まるでそこに暗黙の了解でもあるように。

 今日のゆうこ先生は、髪の毛をアップにしてサイドで束ねて、その端正なお顔立ちがなおさら際立ち、すっごく綺麗な上に、いつもよりいっそう若々しくも見えました。
 私とゆうこ先生は、20センチの距離を保って隣り合って座り、私は、沈黙を怖がっているみたいにいつもよりよく動くゆうこ先生の唇を中心に、その美しいお顔にずっと見蕩れていました。

 いつもより短かめで切り上げたお茶会の後、お隣のお部屋に移ってピアノレッスンが始まりました。
 このお部屋は土足仕様なので、私は茶色いローファーを、ゆうこ先生は黒くてヒールの低いパンプスを履いています。
 こちらのお部屋も準備良く、すでに適温に暖められていて、これなら裸になっても寒くありません。

「今日のレッスンはちょっと、番外編ね。直子ちゃんにコード弾きのこと、教えてあげる」
 
 ゆうこ先生がご自分で作られたらしい何枚かのプリントを私に手渡してくれて、ご説明が始まりました。

「クラシックピアノだけを習っている人は、意外と教えてもらえないのよね、コードの概念」

「楽譜に書かれた音符と記号通りに間違えずに弾くのはもちろん大切なことだけれど、各メロディに呼応する和音を知って、それを応用して自分っぽくアレンジ出来ることを知ると、ピアノを弾くのがますます楽しくなるわよ」
「もちろん、クラシック曲の演奏ではそんなことは、ご法度だけどね。でも、ポップスやロック、ジャズの世界ではこっちが主流。コードに慣れておくと、バンドとかでいろいろ楽しく遊べるわよ」
 
 ご説明されながら、ゆうこ先生が私の背後から両手を伸ばし、私の背中にご自分の胸を押し付ける体勢で、手ほどきが始まりました。

 長調と短調の三和音と四和音。
 曲全体の基本音階、キー音のみつけ方とその調で使える音階、スケールのこと。
 トップノートを動かすことで響きががらりと変わったりすること。
 などなどをわかりやすく解説してくださいました。

 背中に押し付けられるゆうこ先生の胸に、始めのうちはドギマギして気が散りがちな私でしたが、ゆうこ先生のご説明をお聞きしながら、実際に鍵盤を叩いているうちに、どんどんコード弾きに興味が湧いてきて、いつのまにかレッスンに集中していました。
 
 あっ、という間に2時間近くが経ち、私は、楽譜も見ずにコード譜だけで、ビートルズのレットイットビーをそれらしく弾けるようになっていました。
 最後にゆうこ先生にピアノを譲り、ゆうこ先生がジャズ風とバロック風に即興アレンジしたステキなレットイットビーを披露してくださいました。

「はい。これで今日の直子ちゃんのレッスンはしゅうりょおーーーっ!」
 
 明るく大きなお声で宣言して、ピアノのペダルから足を外したゆうこ先生。
 時刻は午後の5時ちょっと前。
 サスティーンしていた和音が途切れ、沈黙が訪れたレッスンルーム。
 
 スクッと立ち上がり私のほうに振り向いたゆうこ先生のお顔は、さっきまでとは打って変わって、目尻に涙を湛えているような、潤んだキラキラお目目になっていました。
 何て言うか、訴えかけるような、媚びるような、淫らな、でもすごく美しいお顔…

 ゆうこ先生は、そのままスタスタと奥の窓際の応接セットのところまで歩いて行き、ソファーに置いてあったバーキンバッグを手に取って提げ、また戻ってきました。

「直子ちゃんに、これを…」
 
 ゆうこ先生がバッグから取り出して私に差し出してきたのは、プラスティックの30センチ定規でした。

「ここからは、直子ちゃんがわたしの先生で、わたしは出来の悪い生徒、ね?わたしを厳しく、躾けてください」
 
 ゆうこ先生がみるみるうちにマゾのお顔になっていきました。

 頬から首筋にかけて薄桃色に染まり、眉が悩ましげに寄って、伏目がちに睫毛が瞬き、お口が少しだけ開き、唇がテラテラと濡れそぼっています。
 中二のとき、父が隠し持っていたSM写真集で見て、私の性癖を目覚めさせてしまった、縛られたモデルさんたちの儚くも美しいお顔。
 
 やよい先生に撮られた写真や自分で撮ったビデオで、自分もそういう表情になることを知っている淫らさ全開の顔。
 ゆうこ先生は今まさに、そんなお顔になっていました。

「あ、でも虐めてもらうのに、直子ちゃん、て馴れ馴れしく呼ぶのはおかしいわよね…かと言って、ご主人様とか、なんだかお芝居じみていて、かえって白けちゃうし…うーん…」
 
 ゆうこ先生がお悩みモードに入ってしまいました。

「うーん…まあ、ここは普通に、森下さん、って呼ぼうか…でも森下さんだと、お母様のほうのお顔も浮かんじゃう…」
「わたし、年下の女の子に虐められたいっていう願望もずっと持っていたから、ストレートに直子さま、にしよっか」

「わたしはずいぶん年上だけれど、直子さまには絶対に逆らえないの。直子さまは、わたしがドMの露出狂なことを知っていて、それを世間に暴露されたらわたしは破滅してしまう…ふたりはそんな関係という設定で、ね?」

「はい」
 
 私が考えてきた妄想でも、ふたりはそんな感じの関係だったので、私も即答で従いました。

「それでは直子さま。まずは、わたしのピアノ演奏を聴いてください」
 
 さっきの私のレッスンのときとは打って変わって、ピアノに向かってもなんだかモジモジ頼りないご様子なゆうこ先生が、一呼吸置いてからおもむろに演奏を始めました。
 
 ストラヴィンスキーのペトリューシュカ。
 私にはまだまだ、とうてい弾きこなすことの出来ない難曲です。
 
 そして、この曲にまつわるゆうこ先生のエピソードと言えば…
 つまり、ゆうこ先生は、ゆうこ先生が高校生の頃に受けたドSな女性講師さんとの思い出のレッスンを、まず再現してみることにしたみたいです。

 私は、腰掛けているゆうこ先生の背後に立ちました。
 ゆうこ先生は、チュニックの襟元のボタンを一番上までキッチリ留めていたので、上から見下ろす格好になっても、ゆうこ先生の胸元の素肌を覗きこむことは出来ませんでした。
 
 ゆうこ先生は、このチュニックの下にあの水着を着けているのかしら?
 いずれにしてもまずは、お約束通りゆうこ先生にあの水着姿になってもらって、羞じらう姿をじっくりと見せてもらわなければなりません。

 ゆうこ先生の背後で、手渡されたプラスティック定規で自分の左手のひらを軽くパチパチ叩きながら、ワクワクする気持ちがどんどん高まっていく私でした。


ピアノにまつわるエトセトラ 15

2011年11月13日

ピアノにまつわるエトセトラ 13

「なおちゃん、ずいぶん大貫さんに気に入られちゃったみたいね?」
 
 帰宅する車の中で母に、からかうみたいな口調で笑いながら言われました。

「飲み込みが早いし、一度注意すれば同じミスはくりかえさないし、って、ずいぶん褒めていたわよ」
「なおちゃんは、先生運がいいのね。百合草先生にしても大貫さんにしても」
 
 母は、なんだか上機嫌でいろいろ話しかけてきます。
 私は、曖昧にお返事しつつも、お尻がくすぐったいような、ビミョーな罪悪感を感じていました。

「大貫さんは、いろいろご苦労されたみたいだけれど、音楽家みたいな華やかなお仕事をされていてもだらしないところはないし、きちんとしたかただから、ママも大好き」
「うちでピアノを買うことになったときも、なおちゃんの前でいきなり弾いてびっくりさせちゃおうと思って、大貫さんにご相談して、彼女のお家でこっそり練習させてもらったのよ」

「あれってやっぱり、そうだったんだ?」

「それに、あのかた、ファッションセンスいいでしょ?プロポーションもバツグンだし、あんなお美しい方と離婚される旦那さまがいるなんて、信じられないわ」
 
 母は、まるでご自慢の身内の人みたいな感じで、ゆうこ先生を褒め称えていました。
 裏話を聞いてしまったばかりなので、若干の居心地の悪さを感じながらも、なんだっかすっごく嬉しい気持ちにもなっている私でした。

 その週の金曜日にも、ゆうこ先生が我が家を訪れました。
 月曜日のことなんて無かったみたいに、いつも通り母と3人で雑談して、いつも通りピアノのレッスン。
 
 レッスンの最後に恒例となっているゆうこ先生の模範演奏は、ドビュッシーの月の光でした。
 透明感のある素晴らしい演奏にうっとりしました。

 レッスンが終わってお夕食待ちの雑談中、やっと月曜日の流れに沿った話題がゆうこ先生のお口から出てきました。

「それで、次のうちでのレッスンはいつにしよっか?」
 
 ゆうこ先生が綺麗な瞳をキラキラさせて、私に聞いてきました。

 私の期末試験が控えているので来週、再来週は無理だから、12月の第一週、私のお誕生日が間近に迫った金曜日、ということになりました。
 17歳寸前に、私はエスデビューするのか…
 そんな、よく考えてみればすっこく意味の無い可笑しな感慨が、ふと湧きました。

「ところで、あの本は読んでみた?」
 
 ゆうこ先生のひそひそ声に我に返りました。

「あ、はいっ」

 ゆうこ先生のお家でのレッスンの帰り際にこっそり渡された一冊の文庫本。
 私は、いただいた日の寝る前から、すぐ読み始めました。
 その夜に、その本は持ち歩いて読むような種類の本ではないとわかったので、机の鍵のかかる抽斗にしまって、次の日からは、学校から帰って寝るまでの間にワクワクしながらじっくり読みました。
 
 紙面が少し変色し始めるくらい古い発行の本のようで、くりかえし何度も読まれたのでしょう、文庫本全体がなんだかクタッとくたびれていました。
 それは、一般に官能小説と呼ばれる類のえっちなシーン満載のSMチックな物語でした。

 とある全寮制の女子学園でくりひろげられる愛欲や嫉妬、策略や陰謀に満ちた百合物語。
 主人公的立場のSとMのカップルに加えて、ドSな美貌の女性寮長や気弱で言いなりの可憐な新入生などが、学園内や寮内でさまざまな痴態をくりひろげていました。
 
 性的な表現をわざとらしく過剰にお下品に書いているようなところもありましたが、全編、お上品な良家のお嬢さま風雰囲気を基本として進行し、物語としても普通に面白く、二晩で一度目を読み終えました。
 
 ゆうこ先生がおっしゃった、参考になる、っていう意味もすぐ理解出来ました。
 それから、M属性の登場人物に感情移入しつつもう一度読み終えて、今度はS属性の人の気持ちになって、更にもう一度読み返していました。

「あの本はね、わたしが先生からもらったものなの。高校1年のとき」
「それまでそんな小説、一度も読んだことなかったから、当時は文字通り、ぶっとんじゃった。それで夢中になって、何度も何度も読み返したの」
「レッスンのときに先生が登場人物と同じ科白を言ったりしてね。二人の共通言語だったな」
 
 ゆうこ先生が懐かしそうに目を細めて宙空を見つめました。

「直子ちゃんは、気に入ってくれた?」

「はい。すっごく」

「参考になった?」

「はい。とっても」

「そう。よかった。レッスン当日が楽しみね」

 ゆうこ先生宅でのレッスン以前に、その後2回、我が家でのレッスンがありました。
 そのとき、レッスン後の雑談の流れで聞かせていただいたのが、私の母について、ゆうこ先生から見た印象でした。

「素子さんはね、一言で言うと、すごく出来たお嬢さまがそのままオトナになった、って感じかな」
「あの人はね、物事に対して否定的な捉え方をしないの。どんなにつまらないことでも、そこに何かしらの面白みをみつけて楽しもうとするタイプなのね」

「物腰が柔らかくて、気取ったところも無いでしょ?ちょっとフワフワしていて、一見捉えどころが無いようにも見えるけれど」
「でも、芯が一本通っているから、たとえば性格が合いそうも無い人とかとご一緒することになっても、あの人自身にはブレがないの。懐が深いのね」

「だから、いったん気が合っちゃえば、一緒にいて楽だし、楽しいし、リラックスした気持ちになれるし、おまけに包容力もあるから、自然とまわりに人が集まってくるのよね」
「実の娘さんを前にして言うのも失礼だけれど、ちょっぴり天然なとこもあって、普通の人にとっては何でもないことをすごく驚いてくれたり、感心してくれたり」
「でも、そういうところも含めて全部、可愛らしく見えてしまうのは、素子さんの人徳よね」
 
 母を盛大に褒めてもらって嬉しいのは嬉しいのですが、娘としては、すっごくこそばゆい感じです。

 ゆうこ先生が少しお声をひそめました。

「ずっと前に直子ちゃんちでやった水着パーティのときも、わたしはレイカ、あ、タチバナさんのことね、に言われて、あの水着を着たのだけれど、素子さんは、純粋にわたしのプロポーションを褒めちぎってくれたの」
「あんな水着だもん、普通だったら、何て言うか、性的な気まずさ?道徳的なはしたなさ?みたいな、こう、一歩引いちゃう感じもするじゃない?」

「直子ちゃんのお母さまは、そんなことぜんぜん気にしないで無邪気に、こういう水着がお似合いになるのは、大貫さんしかいないわ!なんて本当に嬉しそうに言ってくれるの」
「素子さんもすごくキレイなプロポーションなのにね」
 
 ゆうこ先生は、なぜだかうつむいて照れていました。

 生憎そのときは、そこまでお話が進んだときにお夕食の時間になってしまったので、あの夏の日の詳しいあれこれまでは、お聞きすることが出来ませんでした。
 
 でもいいんです。
 それは12月のレッスンのとき、あの水着を着たゆうこ先生を虐めながらじっくり聞き出そうと、即席エス役に任命された私は、夜な夜なあれこれ、計画を練っていました。

 そしていよいよ、ゆうこ先生のお宅でのレッスン日がやって来ました。

 その日は、タイミングの良いことに学校の都合により、授業は全学年、午前中で終わりの日でした。
 
 私は、お弁当を食べた後に直接、ゆうこ先生のお宅へ伺うことになっていました。
 更にその日は、母が遠出をして一泊しなくてはならない用事があり、帰宅もお迎えも出来ないので、期末試験も終わったことだし、どうせならゆうこ先生のお宅にお泊りしてじっくりピアノの極意を教えていただきなさい、ということになっていました。
 
 無人のお家のお留守番は、篠原さんが快く引き受けてくれました。
 なんてラッキーなめぐりあわせ。
 土曜日の朝まで、半日以上ゆうこ先生と二人だけで過ごせるのです。

 えっちなお道具もいくつか持っていったほうがいいかな、とも思いましたが、すぐに却下しました。
 だって、その日は学校から直行。
 ということは、お道具もまず学校へ持参しなければなりません。
 
 もしも抜き打ちで持ち物検査とかあったら…
 そんなことキケン過ぎます。
 それにきっと、ゆうこ先生もそういうお道具をいくつかは持っているはず。
 ひょっとしたら、すでに準備良く、お部屋に用意されているかもしれません。

 そんなわけで、愛用のトートバッグに着替え用の下着とジーンズ、ニットを詰め、一番底にお借りした文庫本だけしのばせて、制服にコートを羽織った姿で、ゆうこ先生の最寄り駅に降り立ちました。
 
 時刻は午後2時前。
 今日は、ゆうこ先生の駅でのお出迎えはありません。
 
 よく晴れたいいお天気でしたが、さすがに吹く風は冷たく、行き交う人も背中を丸めがちな商店街。
 ワクワクな気持ちを抑えきれない私は、そんな商店街を足早に歩き始めました。


ピアノにまつわるエトセトラ 14

2011年11月12日

ピアノにまつわるエトセトラ 12

「先生とのSMなレッスンは、高校3年の秋ごろまでずっとつづいたの。もちろんわたしの受験もあるから、3年生の頃は月2回ぐらいだったけれど、わたしと先生は会うたびにいろいろえっちなアソビをして、お互いが満足するまで快楽を貪り合っていたの」
「それが、あることを境にガラッと状況が変わってしまったのね」
 
 ゆうこ先生が久々にワイングラスのほうに唇を触れさせました。

「先生がピアノを教えていた生徒さんの一人が、ヨーロッパの、フランスだったかベルギーだったか、のコンクールで入賞しちゃってね」
「しちゃってね、っていう言い方も失礼だけれど、それも、18歳の男の子。わたし、あの先生が男の子にもレッスンしていたなんて、想像もしなかったし、出来なかったな」

「その子が中学生だった頃から、っておっしゃっていたから、わたしと同じくらいの期間、並行してずーっとレッスンしていたことになるの」
「その子がまた、あ、でも、コンクールのビデオを見せていただいただけで、実際には会ってはいないのだけれど、その子がまた、何て言うか、らしくないルックスなの」

「180センチはあるがっしりした体格で坊主刈り、顔はまあ普通。少し田舎くさい純朴な感じ?」
「高校では陸上部で幅跳びかなにかをやっていたんだって。もろ体育会系。先生が言うには、その子は、一人きりで黙々と作業するのが大好きなタイプだったそう」

「でも、彼のピアノ、確かに凄かった。ダイナミックでいながら情感に溢れていて、繊細なタッチもちゃんと出せていて」
「向こうでは、彼のその求道的な雰囲気から、ブシドーピアニスト、とかニックネームつけられて大人気だったそうよ」
「先生ったら、その子にはずっとちゃんと、真剣にピアノ教えていたのよね。わたしとは、えっちなことばかりしていたのに」
 
 ゆうこ先生が小さく笑いました。

「その男の子のビデオを見て、わたしは少なからずショックだった。わたしも、ちゃんとピアノをレッスンしてもらっていたら、彼の代わりに今頃ヨーロッパで歓声を浴びていたかもしれないのかな、なんて、しょーもない想像をして」
「もちろん先生に問い詰めちゃったわ。まさか先生、彼にもわたしとやっているようなこと、しているのじゃないでしょうね?って」
「先生は笑いながら、わたくしはまったく男性には興味がありません。だからむしろ遠慮なくビシビシしごけるから、やりがいがあるわ、ですって」

「それで、それ以降、先生のお仕事が格段に忙しくなってしまったの」
「東京やら海外に長い間行ったきり、帰って来れない日々がつづいて」
「その年の10月以降は、まったく会えなくなってしまっていたの」

「それまで、わたしは地元の大学に進んで、今のバンドメンバーとバンドつづける気だったのね。もちろんプロデビューを狙って」
「だけど先生に会えないのなら地元にいることもないかな、って考え始めて」
「それで急遽、東京の大学を受験することに決めたの」

「それで、東京で初めて男性とヤって、同じ頃にタチバナさんと出会うことになるのだけれど…」
 
 おっしゃりながら、ゆうこ先生がご自分の腕時計をチラッと見ました。

「あらやだ。もうこんな時間。そろそろ素子さんがお迎えにきちゃうわね」
「えーっ?もうそんな時間ですか?」
 
 ゆうこ先生のお話のつづきが聞きたくて聞きたくて仕方なかったのですが、母が同席しているところで、そんなお話をつづけるわけにもいきません。
 がっかりした気持ちを隠さずに、黙ってゆうこ先生のお顔を見つめていたら、ゆうこ先生がスススッとソファーの上のお尻をすべらせて20センチの距離を詰め、私の横にピッタリと寄り添ってきました。

「つづきは次の機会にまたゆっくりとお話することにして、とりあえず今日の結論を急ぐわね」
 
 ゆうこ先生が至近距離から、私の顔をじーっと見つめてきます。

「今までのわたしの話を聞いた限りでも、わたしが直子ちゃん以上のヘンタイだって、わかったでしょ?」
 
 そんなにストレートに聞かれても、私は肯定していいものか悪いものか、判断に困ってしまいます。
 確かに私と同じくらいの、ヘンタイさんだとは思うのですが。
 どちらとも答えずに、ゆうこ先生の綺麗なお顔を見つめていました。

「わたしはね、女性に対してはエムで、男に対してはエスになってしまう、いやらしいヘンタイバツイチ女なの」
 
 ゆうこ先生の潤んだ瞳が射るように私を見つめてきます。
 私の胸は、ワクワクドキドキ最高潮。

「そんなわたしの、今、一番の願いはね…」
 
 ゆうこ先生がご自分の左右の指を合わせてお腹の辺りで組んだあと、そのままご自分の後頭部に持って行きました。
 ゆうこ先生が身に着けているニットが全体的に上にずり上がって胸元に貼りつき、モヘア越しにもバストの頂上部がこれみよがしに突起しているのがわかりました。
 
 それは、ある意味を持つ、私も大好きなポーズ…
 私の心臓がドキンと跳ね上がりました。

「直子ちゃん?」

「は、はいっ!」
 
 私のうわずった声に、ゆうこ先生がクスリと笑いました。
 でもまたすぐに、真面目なお顔に戻りました。
 この後につづくゆうこ先生のお言葉が、なんとなくわかる気がしてドキドキがいっそう高鳴ります。

「直子ちゃんに、虐めて欲しいの」

「えっ!?」
 
 両手を後頭部に回してバストをこちらに突き出しているゆうこ先生が、哀願するような、媚びるような、何かを期待する目つきで私を見つめてきます。
 私は、直子ちゃんと気持ちいいことしたいの、もしくは、直子ちゃんと一緒に恥ずかしいことしたいの、みたいな言葉を予想していたので、かなり、心の底から、ビックリしていました。
 
 私が、この私が、虐める側?

「レッスンで直子ちゃんと会うたびにそういう欲求が膨らんで、もう抑えられなくなってしまったの。直子ちゃんにわたしの恥ずかしい姿を見られたり、わたしのいやらしいからだを虐めたりして欲しいの。どうかお願い。お願いします」
 
 ゆうこ先生は、頭の後ろに組んでいた両手を解き、私が腿の上に置いていた両手をやんわり握ってきました。

「で、でも…私が、ゆうこ先生を、虐める、のですか?」
 
 ゆうこ先生の汗ばんだ両手の感触にボーッとしながらも、私は困惑していました。
 ゆうこ先生とえっちな遊びが出来るのは、それはもう願ったり叶ったりなのですが…
 ドMな私が虐める側なんて…

「だいじょうぶ。直子ちゃんなら出来るわ!」
 
 ゆうこ先生は、私の手を握ったまま、覗き込むように私を見つめてつづけます。

「直子ちゃん、さっき、いつも自分が虐められるのを妄想して遊んでいる、って教えてくれたでしょう?」
「その、直子ちゃんが自分にされたいこと、を、わたしにしてくれればいいの」

「直子ちゃんが、自分にされたい、って思っていることは、イコール、わたしが直子ちゃんにされたいと思っていることと、たぶん、いえ、絶対同じなの」
「有能なエムの人は、必然的に優秀なエスの素質を持っているものなの。だって自分と同じようなエム気質の人なら、どんなことをされると嬉しいのか、全部わかっているのだから」
 
 そう諭されて、パーッと霧が晴れるように、おっしゃっていることの意味が理解出来た気がしました。

 確かに私は、自分をどういう風にいやらしくえっちに虐めようか、いつもいろいろ妄想しています。
 それをそのまま、ゆうこ先生にしてあげればいいのか。
 出来そうな気がします。

「私、やってみます!」
 
 ゆうこ先生に握られている自分の手に力を込めてギュッとして、私は決心しました。

「よかったー。ありがとう。すごく嬉しい!」
 
 握り合った手にいっそう力を込めて、私の顔にご自分のお顔をゆっくり近づけてきました。

「次のうちでのレッスンのとき、また少し早めに集合して、もちろん普通のレッスンはちゃんとやった後、二人でヒミツのアソビをしましょう、ね?」
 
 私の耳元で低くささやくゆうこ先生の唇が徐々に私の顔正面に近づいてきて、私の唇に触れそうになったとき、キンコーンってチャイムの音がお部屋に鳴り響きました。
 
 ガタッガターン!
 ソファーとテープルを盛大に揺らして、それぞれソファーの両端へと飛び退く二人。
 お互いお顔を見合わせて、すぐに大きな声をあげて笑い転げました。

「残念。お迎えが来てしまったわ。次の直子ちゃんちでのレッスンのときに、こっそり細かいことを決めましょう」
 
 インターフォンに応答した後、ゆうこ先生がキッチンでお茶の準備をしながらおっしゃいました。

「はい。それで先生、ちょっと、おトイレをお借りしていいですか?」

「はーい。どうぞ」

 母と顔を合わせる前に自分の気持ちを落ち着けておきたくて、母がお部屋まで上がってくるのを待たずに、おトイレに篭りました。
 オシッコをした後、流しっぱなしの冷たいお水に両手をさらして深呼吸。

 今更ながら、ゆうこ先生は母のお友達、ということを思い出し、なんだか後ろめたいフクザツな気分も湧き起こっていました。
 でもそれは、たとえば幼い頃にこっそりやったお医者さんごっこの後、お家に帰って母の顔を見たときに感じたような、禁断のヒミツを持っている後ろめたさ、に似ていて、どちらかというとワクワクする気持ちのほうが強い感情。
 
 そして、今日の、期待以上の急展開。
 いよいよゆうこ先生との新しい関係が始まるのです。
 それも、私が虐める側。
 少しの不安と大きなワクワク。

 懸命に気を落ち着かせようと思うのですが、ドキドキとワクワクが次から次へと湧いてきてしまいます。
 でも、いつまでもおトイレに篭っているのも怪しいので、もう一度深く深呼吸してから、思い切ってリビングに戻りました。

 リビングでは、母がさっきまで私が座っていたソファーに腰掛けて、ゆうこ先生は対面の椅子に座り、お紅茶のカップ片手におしゃべりをしていました。
 母の隣にも新しいお紅茶の用意。
 
 私は母の隣にいつものように腰掛けて、ゆうこ先生と母のとりとめもない世間話を上の空で聞きながら、そう言えばまだ、初めて会ったときの水着のお話、出来ていなかったな、なんてふと思い出していました。
 そうだ!

 それではそろそろおいとましましょう、となったとき、母がおトイレを借りました。
 再び束の間のふたりきりの時間。
 ゆうこ先生が私に、書店カバーがついてタイトルがわからない文庫本をササッと手渡してくれました。

「読んでみて。参考になると思うから」
 
 ひそひそ声。

「早くバッグにしまっちゃって」
 
 足元に置いていた自分のバッグに文庫本を押し込んだ後、私もゆうこ先生のお耳に自分の唇を近づけました。

「ゆうこ先生?」
 
 さっき思いついたことを、思い切って口にしました。

「今度のここでのレッスンのときは、私が中学生だった頃の夏休み、先生たちが我が家へいらっしゃったときに着ていたあの水着…えっと、あの夏の日、憶えていらっしゃいます?」

「えっ?う、うん…」
 
 ゆうこ先生のお顔がみるみる赤く染まっていきます。

「あの水着を着て、レッスンしてください」
 
 真っ赤になったゆうこ先生が上目遣いに潤んだ瞳で私を見つめてから、しばらくして、小さくコクンとうなずきました。

 私は早くも、自分にあてがわれたエスな役割を愉しみ始めていました。


ピアノにまつわるエトセトラ 13