2015年4月26日

オートクチュールのはずなのに 01

 お姉さまの会社に伺ってえっちな面接ごっこをした翌週、お約束通りにご連絡をいただき、その週の木曜日からお世話になることになりました。

 木曜日の午前10時前、一階のエレベーターホールでお姉さまと待ち合わせ。
「うちは服装自由だけれど、せっかくの新入社員なのだから初々しい感じで、しばらくリクルートスーツで来るっていうのはどう?」
 お電話越しにイタズラっぽいお声でのお姉さまからのリクエストにお応えして、就職活動時期に着ていた黒のリクルートスーツに身を包み、待ち合わせ時間の10分前にはオフィスビルに到着しました。

 土曜日に訪れたときとは打って変わって、スーツ姿の男性やOLさんたちがたくさん、忙しく行き交っています。
 普段穿き慣れていないパンティストッキングの圧迫感とも相俟って、なんだか不安ばかりが増してきます。
 私、お姉さまのご期待通り、ちゃんとお仕事が出来るだろうか・・・

 目の前をさまざまな人たちが通り過ぎていきます。
 溌剌とした人、憂鬱そうな人、だらけている人、怒っているみたいな人・・・
 エレベーターホールの隅でじっとひとり立ち尽くしていると、お電話の切り際にお姉さまから釘を刺されたことを思い出しました。

「それと、このあいだのことは超特別な例外的事例だからね?会社は仕事をするところ。社員になったら、オフィスでヘンなことしたい、なんてくれぐれも考えないで、ひたすら仕事だけがんばること」
 大丈夫です、お姉さま。
 私にそんな余裕なんて、当分生まれそうにありません。

「ずいぶん緊張しているみたいね?」
 エレベーターから降りてきたお姉さまにお声をかけられました。
「あっ、お姉・・・」
 いつもの調子でお答えしようとしてお姉さまのお顔を見た途端、あわててつづきの言葉を飲み込んだ私。

 プライベートのときとは明らかに違う、キリッと引き締まったご様子のお姉さまに、ドギマギしつつ深々とお辞儀をしました。
 何て言うのか、真剣に働いている大人の女性オーラ、みたいなもので、お姉さまがいつもの何倍も眩しくカッコ良く見えたのでした。

「やっぱりリクルートスーツって独特よね。着馴れていないのがすぐわかって、思わず、がんばって、って応援したくなっちゃう」
 そんなお姉さまは、メンズっぽいシンプルな白シャツブラウスにグレーのパンツ。
 広めに開けた胸元から覗く白い肌が超セクシーです。

「うちのスタッフはみんな気さくだから、そんなに身構える必要は無いのよ?」
「あ、はい・・・」
 お姉さまの物腰もなんとなくよそよそしい感じがして、いつものように気安く、でも、だって、ってお答えすることが出来ません。
 エレベーター内でもふたりきりでしたが、それ以上の会話は無く、直通で目的のフロアに着きました。

「あなたはあそこの応接で座って待っていて。区切りのいいところで、皆に紹介するから」
 オフィスに入ったところで、お姉さまはそう言い残し、スタスタとご自分のお部屋のほうへと向かわれてしまいました。

「お邪魔しまーす」
 入口から応接ルームへ向かうあいだに、オフィス内の様子をそっと窺がいました。
 お部屋の奥の大きめのデスクにおひとり、パソコンのモニターを見つめている後姿の女性しか、人はいないようでした。
 クラシックのピアノ曲、これは確かプーランク、が優雅に低く流れています。

「失礼しまーす」
 無人の応接ルームに入ってドアを閉じ、さて勝手に座っちゃってもいいものか、と迷っていると、コンコンとノックが聞こえました。
「あ、はいっ!」
 いったん座りかけた椅子を大あわてで戻し、直立不動になりました。
「失礼しまーす。こんにちはー」
 ティーポットとティーカップの載ったトレイを手にしたスラッとした女性が、にこやかに入ってきました。

「あなたが森下直子さんね?」
「はいっ」
「あ、どうぞお掛けになって。すぐにチーフたちも来ると思うので」
 おっしゃりながら優雅な手つきで、次々にティーカップを満たしていきます。
 
 私より少し背が高く、それなのに私よりも腕も脚も細くてしなやか、全体的にすごくスラッとされているスレンダー美人さん。
 土曜日に写真で拝見した、愛称たまほのさん、ってすぐわかりました。
 写真でもお綺麗でしたが、実際はその数十倍、お綺麗です。

 八人くらい掛けられそうな楕円形の応接テーブルの、窓を背にした真ん中の席を勧められ、ご自分は私の隣に、チョコンという感じで軽く腰掛けました。
「はじめまして。わたしは玉置穂花。あなたがわたしのお仕事を引き継いでくれるのよね?」
「あ、はい、はじめまして。えっと、あの、チーフさま、あ、いえ、チーフから、そのように承っておりますが・・・」
 緊張し過ぎてしどろもどろな私。

「これから引継ぎで、当分のあいだご一緒することも多いと思うから、よろしくね」
 はんなりした笑みで真横から見つめられ、胸がドキンドキン。
「はいっ!こちらこそよろしくおねがいしまっす」
 大げさなお辞儀と共に、ヘンに力が入った声でのお答えになってしまいました。
 
 その様子を苦笑まじりのおやさしげなまなざしで見守ってくださる玉置穂花さま。
 シンプルな白いカットソーにピンクのカーディガンを羽織り、ボトムも茶色のコットンパンツっていういたってラフないでたちなのに、動作や物腰に品があって、すごく優雅に見えます。

「森下さんは、今年新卒なの?」
「あ、はい、一応」
「四大?」
「いえ、短大です」
「そっか。わたしも新卒でここに来て一年だけれど、四大だったから年齢的には少し差があるのね」
 ちょっぴり残念そうに首を傾げられると、柔らかそうな巻き毛がふうわりと揺れました。

「あなたのこと、直子さんて呼んでいい?うちの会社ではみんな、下の名前で呼び合うのが普通だから。もちろん身内のあいだでだけだけれど」
「あ、はい、もちろんです。呼び捨てだってかまいません、みなさま先輩ですから」
「うーん。わたし個人的には、そのセンパイっていう呼び方はしないで欲しいの。学生の頃はかまわなかったけれど、社会人になって、部活一緒だった年下の子たちからセンパイって呼ばれると、わたしのほうが年上、っていちいち指摘されているように感じちゃってなんだか落ち着かないの」
「ヘンに思うでしょう?事実なのにね」
 いたずらっぽく微笑みながら、私の目をじっと見つめてきます。

「いえ、ぜんぜんヘンじゃないと思います。でしたら私、絶対センパイは付けません」
 こんなに魅力的な人がイヤがっていることなんて、私に出来るはずがありません。
「わたしのことは、たまほのとかたまちゃんとかほのかとか、みんな好きに呼んでいるから、直子さんも、気に入ったのを使えばいいわ」
「では私は、ほのかさんて呼ばせていただきます。これからもよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくね、直子さん」
 すごくチャーミングな笑顔で差し出された右手におずおずと自分の右手を差し出しながら、心の中では、ほのかさま、とお呼びすることに決めました。

「お待たせー」
 ほのかさまとの固い握手の手が離れたとき、ノックも無しに応接のドアがいきなり開き、お姉さまを筆頭にゾロゾロと女性たちがお部屋に入ってこられました。
 ほのかさまがさりげなくお席を立つのを見て、私もあわてて立ち上がりました。

「紹介するわね。こちらが開発部部長の早乙女綾音。それと開発部スタッフの大沢凜子と小森美咲。あ、たまほのとはもう自己紹介済んだみたいね」
「それで、あちらが今日から我が社に加わる期待の新人、森下直子さんよ」
 ざっくばらんなご紹介の後、お姉さまにまっすぐ指をさされ、腰を直角に折るくらいの大げさお辞儀。
「森下直子です。未熟者ですが、みなさまよろしくお願いいたします」
「まあ、立ち話もなんだから、座りましょう」
 お姉さま、いえ、チーフの一言で、みなさま席にお着きになりました。

 私の斜め右前にチーフ。
 そのお隣、つまり私の真正面に、早乙女部長さま。
 そのお隣にスタッフのおふたりが座り、ほのかさまは私の隣に残ってくださいました。
「あともうひとり、営業部長がいるのだけれど、昨日から出張で出社するのは来週月曜だから、そのときあらためて紹介するわね」
 チーフが私を見ながら教えてくださいました。
 そっか、デヴィッドボウイさまは、今日はご不在なんだ。

「はじめまして。この会社の企画・開発部門を担当している部長の早乙女です」
 あらためてご挨拶くださる部長さま。
 見れば見るほどお美しいかたでした。

 肩から袖がシースルーになったスクープネックの黒いシフォンブラウスにウエーブヘアがふわりとかかり、ツンと通った鼻筋とキュッと締まった理知的なお口元が高貴な雰囲気さえ醸し出して、女優さんよ、って言われれば、やっぱりそうですよね、って迷うことなくお返事しちゃいそうなほど。

「そして、こちらのふたりが、わたくしの優秀なスタッフ、大沢凜子さんと小森美咲さんコンビ」
 早乙女部長さまに促されて、部長さまの左隣の女性が会釈してくださいました。

「大沢です。主にパターン関係、デザイン画とか造形全般を担当してます。よろしくね」
 ベリーショートのボーイッシュなネコさん顔、という印象は写真と同じでしたが、こちらも実物は数段チャーミング。
 ヨーロッパの名門少年合唱団とかにひとりはいそうな、おめめクリクリのソプラノ美少年、みたいなキュートなお顔です。
 ボートネックでゆったりしたネイビーの長袖ロングTシャツ姿で、胸元に小さな音楽プレイヤーをチェーンでぶら下げています。
 あまり目立たないバスト部分に布地が当たると、うっすら突起が出来るので、確かにノーブラみたいです。

「小森美咲。担当はコンピューター関係全般。よろしく・・・」
 こちらは人見知りさんのようで、うつむきがちの小さなお声でした。
 立ち襟フリルのロリータな純白ブラウスが絵に描いたようにお似合いな幼顔ながら、フリルのラインが大げさにカーブしちゃうほどバーンと張り出したバストとの、見事なアンバランスさがコケティッシュ。
 上目遣いにじーっと見つめられると、そのあどけない可愛さになんだかドギマギしてしまいます。

「それで、森下さんは、幼稚園教諭が志望だったのよね?免許もちゃんと学校で取って。なぜやめたのかしら?」
 先ほどから私の顔と上半身をじっと交互に見つめていた早乙女部長さまが、世間話でもするような自然な感じで、投げかけてきました。
 どうやらここからは、私への質問タイムのようです。
 そんなこともあるかもしれないと思い、お家でシミュレーションはしてきました。

「あ、えっと、それは、何て言うか、よそさまのお子様をお預かりする、という責任の重さに怖気づいてしまった、と言うか・・・」
「なるほど。ちっちゃい子の相手って大変だし、最近は口うるさい保護者も増えているらしいからね。内定は、あ、幼稚園の場合内定ってあるのかは知らないけれど、そういうのはあったの?」
「はい。実習もして試験も受けて、来てくださいっておっしゃっていただいた園はあったのですが、ずいぶん悩んでお断りしました」

「あらもったいない」
 部長さまがポツリとおっしゃり、周りの方々が一斉にクスッと笑われました。
「でもまあ、それだけ真剣に考えた、っていうことなのね。お顔が真っ赤で暑そうだから、上着取ったほうが良いのではなくて?」
 部長さまのお言葉に、ほのかさまがさっと立ち上がり、ほどなくハンガーを持ってきてくださいました。
「あ、ありがとうございます」
 私も立ち上がり、大急ぎでスーツのジャケットを脱ぎました。

「森下さんて、クラシックバレエがご趣味なのよね?立ち上がったついでに、ちょっとその場でクルッと回ってみせてくれるかしら。その靴ではポワントは無理でしょうから、そのへんは適当でいいから」
 私の全身をじーっと見つめてくる部長さまに、お姉さまがおっしゃっていた、着衣でも見ただけでその人の身体サイズを把握してしまう、という、部長さまの神業のことを思い出していました。

 テーブルから離れて充分なスペースを確保し、ドゥミポワントで膝と背筋を伸ばしてからグランフェッテぽく、クルリと回ってみました。
 みなさまが、おおっ、って小さくどよめかれます。
 ペコリとお辞儀して自分の席に戻りました。
 おそらく今の一連の動作で、私のスリーサイズから体重や股下の長さまで、部長さまに全部把握されてしまったことでしょう。

「森下さんはその他にも、英検とか簿記とか、いろいろ使えそうな特技を持っていらっしゃるようだから、頼もしいわ。ぜひともこの会社のために、がんばってください」
 部長さまの表情が和らぎ、初めて笑顔らしきものを見せてくださいました。
 ホッとする反面、私にとっては恐ろしすぎる、とある懸念が脳裏に浮上していました。
 ひょっとしたら部長さまは、私の、あの履歴書、をご覧になったのではないか、チーフがお見せしてしまったのではないか、という懸念。

 今までのご質問で、事前にチーフから部長さまへ、私についての何らかのご報告があったであろうことは推察出来ました。
 でも先ほど、いろいろ使えそうな特技、とおっしゃったときの部長さまの口ぶりに、見透かしているような、すべて知っているのよ的なニュアンスが含まれているように、感じられたのです。
 
 まさか・・・
 思わずチーフのほうを見ると、チーフ、いえ、私のイタズラ好きでイジワルなお姉さまは、薄い笑みを唇にたたえ、目を細めて愉しそうに私を見ていました。

「そう言えば森下さんがうちにいらしたのは、シーナさんからのご紹介なのよね?シーナさんとはどういうご関係なのかしら?」
 一度懸念を抱いてしまった私の耳には、部長さまからのご質問すべてがもはや、何かしらの意図があってのものなのではないか、と勘ぐってしまいます。

 シーナさま、この会社とも少なくないおつきあいがあるらしいけれど、スタッフのみなさまは、どのくらいシーナさまのことをご存知なのだろう?
 シーナさまって、ご自分の嗜好を誰にでもあけすけにお見せ出来ちゃうタイプみたいだから、ここでも有名だったりしたら・・・
 あのシーナさまからの紹介なら、きっと子飼いのマゾドレイのひとりに決まっているって、最初からみなさまにバレバレだったりして・・・
 急激に高まってきたドキドキでよく働かない頭を無理矢理動かし、一生懸命無難なお答えを探しました。

「あの・・・地元が同じで、地元に居た頃からいろいろとよくしていただいていて・・・」
 捉えようによっては、そんな頃からシーナさまにいろいろされていたことを自白しているような言い方になってしまいました。
 本格的にいろいろされたのは、東京に出てきてからなのに・・・

「ああ、なるほどね。あのかた、面倒見が良いかただから。うちも、彼女から良い仕入先を教えていただいたり、腕の良い工房を紹介してくださったり、ずいぶん助けていただているの」
 部長さまの普通なリアクションにも、もはや心底安心出来ない私の懸念。

「それと森下さんには、リンコたちが大好きなアニメやマンガのご趣味もあるの。コスプレもされるみたいだし。あなたたちは、そのへんから仲良くなるといいのではないかしら」
 部長さまがスタッフのおふたりに向けておっしゃいました。
「へー、そうなんだ。ねえねえ、何のコスプレしたの?今シーズンのアニメは何チェックしている?」
 大きな瞳をキラキラさせて、ボーイッシュ美少女の大沢凜子さまが、部長さまのふった話題に即座に飛びついてきました。

 パン!パン!
 それまでずっと黙って微笑んでいたチーフが、びっくりするほど小気味の良い高音の拍手をふたつ。

「はいはいはい。そういう個人的友好は仕事が終わってからゆっくりやってね。とりあえず森下さんとの顔合わせはこんなところでいいわね。各自、仕事に戻って、今日も一日がんばりましょう」
 チーフの鶴の一声でみなさま、がたがたと席をお立ちになります。
 大沢凜子さまは去り際に、あとでゆっくりねー、とおっしゃって私に手を振ってくださいました。
 その陰に隠れるようにして、小森美咲さまの右手も小さく揺れていました。

 応接ルームに残ったのは、私とチーフとほのかさま。
 チーフが私の正面にいらして、何か差し出してきました。
「はい。まずこれが、このオフィスのカードキー。使い方は後で説明します。こっちは、このビルで働いている人全員に配られる市民証。これを提示すれば、上の水族館や展望台が半額になったり、レストラン街で割引があったりの優れもの」

 目の前に定期券大の2枚のカードが置かれました。
「あ、はい。ありがとうございます・・・」
 そのカードを手に取って、しげしげと見つめました。
 だけど私の目には、何も見えていませんでした。
 頭の中は、お姉さまに今すぐ投げかけたい、ひとつの疑問だけでいっぱいになっていました。
 あの履歴書を部長さまに、お見せになったのですか?という。

「それから・・・」
 お言葉を区切ったチーフが、私をしばらくじっと見つめ、愉しそうにニッと笑いかけてきました。
 私もすがるように、チーフを見つめ返します。
「これが、森下さんの社員証ね。IDカード」
 首から提げる用のストラップが付いたカードホルダーが、テーブルの上に裏向きで置かれました。
 見えているのは裏側ですから、もちろん真っ白。

「顔写真は、先日預かった、履歴書の写真をスキャンして、勝手に、貼っておいたから」
 ワザとのように、ゆっくりハッキリ区切るようにおっしゃって、意味ありげに私を見つめ、再びニッと笑うチーフ。
 私は、チーフのお口から、履歴書、という単語が出たときにズキンと鼓動が跳ね、それからは早鐘のよう。
 意味も無く辺りをキョロキョロ見回すと、ほのかさまがテキパキとテーブルに残されたティーカップを片付けられています。

「森下さんは、たまほのの後片付けの手伝いをして、終わったらふたりであたしの部屋にきてください。あ、それと、これからは来客のお茶の用意は、森下さんの仕事となりますから」
「はいっ」
「はいっ」
 ほのかさまに一呼吸遅れて、なんとかお返事は出来ました。
 チーフが満足そうにうなずいて、スタスタと応接ルームをあとにしました。

 大きなテーブルの上にポツンと置かれた、裏向きの社員証。
 私は、どうしてもそれに、手を伸ばすことが出来ないでいました。


オートクチュールのはずなのに 02


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