2015年5月10日

オートクチュールのはずなのに 03

 四月最終週の火曜日。
 すごく久しぶりにお姉さま、いえ、チーフとオフィスで長い時間、ご一緒出来ました。
「けっこう早く引き継げたわね。よくがんばったわ」
 そんな嬉しいお言葉もいただき、社長室でふたりきり、それぞれのデスクに向かっていました。

 お仕事に対して余裕が出てきたことと比例して、日に日に強くなるムラムラ感。
 オフィスに通い始めてしばらくは、そんなこと考える余裕なんてまったく無かったのですが、先週の半ばくらいにふと思い出だしたら、それからはそのことが、頭から離れなくなっていました。

 その朝、徒歩でオフィスへ向かう道すがら、高くそびえるビルをふと見上げて、なんとなく自分のオフィスの窓を探し始めました。
 左端の窓を上から下へ順番に数えて、カーテンに閉ざされたひとつの窓に見当をつけたとき、そう言えば私、あの夜あの窓辺に、全裸の服従ポーズでお外を向いたままマネキンのように放置されたんだっけ、って、突然、鮮烈に記憶がよみがえりました。
 見上げた窓はかなり小さかったのですが、もし今そこに人影があれば、その人が着衣か裸か、くらいの識別は容易に出来る気がしました。
 そう思った途端に全身がざわざわと、淫らにざわめき始めました。

 一度思い出してしまうと、もう止まりませんでした。
 建物内へとつづくバスターミナルを横切れば、大勢のバス待ちの人たちの前を、裸ブレザーにノーパンミニスカで歩かされたことを思い出し、エレベーターホールへ向かう通路では、素肌にボディコンニットだけで歩いた衣擦れの感触を、思い出してしまいます。
 オフィスフロアに着くと、えっちなジュエリーだけ着けた全裸をバスタオル一枚で隠して廊下を歩いたこと、トイレでは、そのバスタオルさえ剥がされちゃったこと、そして、オフィスの入口ドアの前でオナニーを命じられ、一生懸命声を殺して身悶えたこと・・・

 妄想ではなく現実に、つい一ヶ月前くらいに自分でやったヘンタイ性癖丸出しな行為の数々。
 社会人一年生という緊張と慌しさから、記憶を無理矢理頭の隅に追いやって極力触れないようにしていた、淫靡で甘美で背徳的な体験。
 ひとたび気がついてしまうと、このオフィスビルとその周辺には、お姉さまがもたらしたえっちな思い出が、そこここに満ち溢れていました。
 そして、その強烈なスリルと恥辱と快感を、もう一度味わいたいという欲求が、そろそろ限界なほどにまで、大きくなってきていました。

「チーフはこの連休は、どうされるのですか?」
 ふたりともタイミングよくお仕事が一区切りしたとき、お茶を煎れてくれる?というチーフの一声で、窓辺のテーブルに差し向かい。
 窓からは抜けるように澄んだ健全な青空が覗いていますが、私は、このテーブルの上でM字になって、敏感な箇所をチェーンで引っ張られながら、はしたないお写真をいっぱい撮られたんだなー、なんて不健全な記憶が、頭の半分以上を占めていました。

「うーん。前半は全部仕事で埋まっているから、丸々休めるのは最後の二日くらいかしら」
 チーフが気怠そうにティーカップを置き、正面からじっと見つめてきました。

 それはスケージュール表で、わかっていました。
 チーフのスケジュールは、日付が赤い日も何がしかの予定が書き込まれていて、空白なのは最後の二日だけ。
 だから私は、就職の報告も兼ねた実家帰りを、お休みの前半にして、後半は何も予定を入れないようにしていました。

「世間様が休日だとメーカーや小売店が、ここぞとばかりにイベントを打ってくるのよ。ファッションショーとか展示会とか」
「だから、お得意様先にはチラッとでもいいから顔を出しておかないとね。うちの大事なイベントも六月に控えていることだし」

 六月のイベントというのは、来年度の自社ブランド春夏もの新作を、お得意様を大勢集めてご披露する、会社にとってすごく大がかりで重要なイベントらしく、とくに開発部のかたたちは、私が入社した頃からずっとその準備で大忙しのご様子でした。
 開発部のリンコさまのお言葉をお借りすれば、連休?何それ?美味しいの?という状況だそうです。
 営業のお仕事に移られたほのかさまも、間宮部長さまの補佐で、チーフと同じように連休中もお得意様まわりだそうで、連休をちゃんと休めるのは、社内で私だけみたいでした。

「はい。それは存じています。それで、その二日間のお休みは、どうされるご予定なのですか?」
 どうしても、縋るような口調になってしまいます。
「そうね、あたしは、そういう少しまとまった休みっていつも、飯田橋の自宅にこもって死んだように寝るだけなの。お盆休みも年末年始も。あ、年末は鎌倉で死んでるんだ」
 クスッと笑うチーフ。

「そうですか・・・」
 五分五分で予想していた悪いほうのお答えが返ってきました。
 毎日お忙しくされているチーフだもの、たまのお休みくらいゆっくりされたいと思うのがあたりまえ、と自分に言い聞かせますが、もしかしたらお休みのうち一日くらいは、ずっとお姉さまと過ごせるかな、なんて期待していたほうの私が、自分でも思った以上にがっかりしていました。

「あら、なんだかずいぶんうなだれちゃったわね?ひょっとして、あたしと遊びたかった?」
 からかうようにおっしゃるチーフ。
「あたりまえですっ!」
 そのおっしゃりかたがニクタラシクて、思わずちょっと大きな声をあげてしまいました。

「ふーん」
 うつむいた私の顔を下から覗き込むようにお顔を近づけてきたチーフが、少しヒソヒソ声になってつづけました。

「そう言えば直子、あたしたちがシーナさんと遊んだとき、あたしが言ったこと憶えている?今後オナニーするときは、必ずあたしの許可を得ること、って」
「えっ?あ、はい。もちろん憶えています」
「でも、あたしも仕事が忙しいときは、いちいちそんなことにかまってあげられないと思うから、原則としてオナニーするしないは直子の自由にして、でも、したらその都度必ずメールであたしに報告すること、っていうルールにしたのよね?」
「はい。そうでした」

「それで、直子がここに通い始めてから今日まで、あたしは一度も報告を受けていないのだけれど」
「はい」
「直子が三週間以上も、一度もオナニーしていないなんて、あたしには信じられないのだけれど」
「いえ、本当にしていないんです。お仕事のプレッシャーでそれどころではなくて。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ最近は、少しだけ心とからだに余裕が出てきちゃったみたいで、そうなるとやっぱり疼き始めてしまって・・・」
「うん」
「だから、お休みはお姉さま、いえ、チーフと過ごせたらいいな、って思っていたんです」

「ふーん。つまり直子は、あたしに虐められることを期待しているのね?連休中に」
「はい。だから正直に言うとこの数日間は、すごくえっちなことをしたくてたまらないのですが、でも、もしもお会い出来るのなら、どうせならお姉さまと一緒に気持ち良くなりたい、って思ってがまんしていたのですが・・・」
「直子の連休の予定は?」
「前半は実家に帰って、後半は何もありません・・・だから連休中は、たくさん恥ずかしいご報告をすることになっちゃうと思います」
 お答えしているうちに、なんだか自分がとてもみじめに思えて、悲しくなってきちゃいました。

「そっか。なかなか正直でいいわね。それに、そこまであたしに期待してくれていたなんて、あたしも正直言って嬉しい」
 チーフがニコッと笑ってくださいました。
「そこまで乞われたら期待に応えたくもなっちゃうわよ。直子が慣れない仕事をずいぶんがんばっていたのも知っているし、ご褒美をあげてもいいかな」
「本当ですか!?」
 真っ暗だった私の目の前に、一筋の光明が見えてきました。

「経営者に必要な飴と鞭の飴のほうね。あ、でも直子だと鞭もご褒美になっちゃうのか」
「それに、そんな状態の直子を休み中ひとりで好き勝手やらせたら、何しでかすかわからないもの。休み明けたらうちの社員が、公然猥褻容疑で逮捕、ケーサツに身元引取り、なんて御免だわ」
 冗談ぽくおっしゃっておひとりでクスクス。

「休み中の最後の出張は関東圏だから車で行って、夕方にはこっちに戻れるはず。その足で直子を拾って、あたしのマンションに拉致監禁してあげる」
 萎んでいた気持ちが一気に花開きました。
「直子お得意の全裸家政婦として雇ってあげる。休み中、あたしの身の回り一切の面倒を見ること」
「嬉しいです!ありがとうございます!」
 思わず大きな声で言ってしまい、チーフにシーッとたしなめられました。

「その代わり、絶対にあたしの睡眠の邪魔だけはしないこと。とくに帰って一日目は、すぐにベッドに倒れこんで寝込んじゃうと思うから、たぶんつまらないわよ」
「大丈夫です。お姉さまと一緒にいられるだけでシアワセです」
「暮れ以来、掃除らしい掃除もしていなかったから、この機会にピッカピカにしてもらおっかなー?」
「はい。お任せください。がんばります」
 嬉しくて嬉しくてたまらない私は、頬が緩んでしまうのを止めることが出来ません。
「さっきまであんなにうなだれていたのに、すごい変わりようね」
 チーフの呆れたようなお声さえ、天使のささやきのように聞こえました。

「そうと決まったら、これも付け加えておかなくてはね。直子は今日から、あたしに会うときまでオナニー禁止」
「えっ?」
 私の笑顔が少しだけ曇りました。
「だってさっき言っていたじゃない?どうせならあたしと一緒に気持ち良くなりたい、って」
「あ、はい。そうですけれど・・・」
 チーフのお家に拉致監禁で全裸家政婦、と聞いたときから妄想が広がりまくって、今夜はそれでお祝いオナニーをしよう、って考えていたところでした。

 でもすぐに、考え直しました。
 もう今日、たった今からお姉さまとのプレイは始まっているんだ、って。
 オナニーが出来ないのはとても辛いけれど、がまんするほど、ふたりきりになったときに思いっきり気持ち良くなれるはず。

「まあ、会ってすぐは、サカッた直子の相手をしてあげられるほど体力残っていないだろうから、あたしの前でだったらオナニーしていいわよ。なんなら車の中ででも」
 お姉さまの愉快そうなお顔。
「あと、あたしの寝顔をオカズにするとかね。起こさないでいてくれたら、寝ているあいだに何してもいいから」
 本気とも冗談ともつかない、チーフのお言葉。
「何にせよ、休み中の気乗りしない仕事を乗り越えるための、お愉しみが増えてよかった。休み中、全裸家政婦直子に何をやらせるか、いろいろ考えておくことにする」
 締めくくるようなチーフのお言葉に合わせるかのように、チーフ宛てにお電話がかかってきたことを知らせる呼び出しが入り、そのお話は、そこでおしまいとなりました。

 その日を指折り数えているうちに連休に入り、その日の前日までゆっくり実家で過ごしました。

 お正月以来の実家は、相変わらずまったりと時間が流れていて、母や同居している篠原さんとたくさんおしゃべりして、篠原さんの娘さんで中学生になったともちゃんのお勉強を見たり、一緒にケーキを焼いたり。
 久しぶりにピアノを弾いたり、バレエの真似事をしたり、お部屋に置きっ放しの昔のマンガ本や映画やアニメのDVDを見直したりと、のんびりゆったり過ごしたので、えっちな欲求も束の間、息を潜めていました。

 実家にいるあいだ、何度かお姉さまからメールが入りました。
 待ち合わせの場所と時間とか、当日の服装のこととか、私のオモチャ箱から持ってくるものとか、思いついたときにメールしているご様子でした。

 ちょうど、ともちゃんと一緒にいたときにメールが来たときは、もう興味津々。
「だれだれ?カレシさん?」
 なんて冷やかされ、見せて見せて、ってせがむのをなだめるのが大変でした。

「残念ながらカレシじゃなくて、私が勤めている会社の社長さんなの。お仕事の大事なメールだから、誰にも見せてはいけない決まりなの」
 そう言ってごまかしました。
 そのときのメールは、待ち合わせ当日の私の服装についてのことで、とても中学生の女の子に見せられるような内容ではありませんでした。

「へー。直子おねーちゃんは社長さんに気に入られているんだ。それならうまくいけば、将来は大金持ちセレブだね」
 ともちゃんの無邪気な発言に苦笑い。
「そうかもしれないけれど、社長さんも女性だからねー」
 ケータイに入っていたお姉さまの写真、もちろんあたりさわりのないやつ、を見せると、うわーカッコイイ人、って、嬉しい感想をくれました。

 そしていよいよ待ちに待った当日。
 少し曇りがちのハッキリしないお天気でしたが、気温は春っぽくポカポカめで風も弱く、過ごしやすい一日でした。
 待ち合わせは、午後4時半、オフィスビルエリアにある有名ホテルのエントランス付近の路上。

 そして、当日着てくるようメールで指定された服装。

 下着は、横浜でお姉さまに見立てていただいた、両サイドを紐で結ぶ式の黒で小っちゃめスキャンティタイプと、それに合わせた黒のストラップレス、フロントホックブラ。
 
 その上に、胸元から裾まで全部ボタンで留める式でネイビーブルーのミニワンピース。
 これは、私が一年前くらいのムラムラ期のときに、とあるお店でみつけて、前全開ボタン留めという形式にえっちな妄想が、それこそむらむら湧いて、衝動買いしてしまったものでした。
 お家に帰って冷静になってから着てみると思いの外、私の安心基準よりも裾が短くてお外に着て出る勇気が出ず、そのままクロゼットの肥やしとなっていたものでした。
 約一ヶ月前に、、私のクロゼットを一度チェックしただけのお姉さまが、わざわざこんないわくつきのワンピを指定してくる、その洞察力と記憶力の良さに驚いてしまいました。

 足元は、素足に白のミュールがお姉さまのご指定でした。

 これらのご指定って、どう見てもすぐに脱がして裸にする気満々の仕様に思えます。
 きっと早速車の中で、いろいろ恥ずかしい目に遭わされちゃうのだろうな・・・
 そう考えただけで、からだがカーッと熱く火照ってしまいます。

 その上、最後に決定的なご命令が書いてありました。

 当日は、直子の一番好きなリモコンローターを挿入してくること、ただし、あたしに会うまで絶対に動かしてはダメ、と。
 こんなメールをともちゃんに、見せられるわけありません。

 その日は、朝とお昼の二回、シャワーでからだを丁寧に磨き、午後3時には、お姉さまから命ぜられた姿になっていました。
 メイクにも少しだけ気合を入れて、準備万端。
 リネンのミニワンピースの裾は、膝上20センチくらいでやっぱりとても気恥ずかしいですが、お姉さまがいるのなら、勇気も出ます。
 肩から提げたトートバッグには、えっちなお道具がいくつも詰め込まれているから、もし落として散らばったら大変。

 そんなドキドキとワクワクの鬩ぎ合いの中、きっかり午後の4時、初めての出張全裸家政婦、二泊三日の任務へ赴くため、いそいそとお家を出たのでした。


オートクチュールのはずなのに 04


2015年5月3日

オートクチュールのはずなのに 02

「さあ、カップを洗ってしまいましょう。うちの給湯室はね、室外にあるの。水周りもそこだから。ついてきて」
 使用済ティーカップをすべてトレイに乗せ、テーブルを拭き終えたほのかさまが、私の傍らにいらっしゃいました。
「あ、社員証ね。オフィスフロアの出入りに必要だから失くさないでね」
 テーブルの上に置かれたままの裏向きカードホルダーをみつけたほのかさまが、カードと私の顔を交互に見ています。

「さっきチーフが、履歴書の写真をスキャンして貼っておいた、なんておっしゃていたわね。見ていい?」
「あっ!それは・・・」
 動揺している私の右手がカードホルダーに届くより一瞬早く、ほのかさまの右手がカードを取り上げていました。
「なあに?写真が恥ずかしいの?確かにこの手の証明写真て、気合入れすぎて力んじゃって、変な感じで撮れちゃうことが多いのよね」
 ほのかさまがイタズラっぽく微笑んで、手に取ったカードを表向きにしようとしています。

 ああ、見られちゃう・・・
 社長室の窓際のテーブルの上で、乳首とラビアとクリトリスに繋がったチェーンをお姉さまに引っ張られながらイキまくった、はしたない私のアヘ顔写真。
 今すぐこの場から消え去りたい衝動に駆られ、晴天の青空が覗いている窓を見ました。
 あっ、でもここの窓って、開かないんだった。

「なーんだ。悪くないじゃない。これって一年位前?今よりちょっと幼い感じだけれど、それも可愛い」
 ほのかさまが社員証を手渡してくださいました。
 そこには、私が履歴書に貼った、本来の写真が付いていました。
 お姉さまが、ちっともあなたらしくないもの、とおっしゃった、今日と同じリクルートスーツ姿での証明写真。

「はい、かけてあげる。市民証も一緒に入れて、こうしておくのが基本ね」
 ほのかさまがストラップを私の首にかけてくださいました。
「だけど、出歩くときはカード部分を胸ポケットに入れるとか、いっそ外したほうがいいわ。好き好んで個人情報を見知らぬ人たちに見せびらかすことはないもの」
「大人数の会社なら、社員かお客様かわからなくなるから常にぶら下げておかなければいけないのでしょうけれど、うちは全員、顔見るだけでわかるものね」
「ただ、失くすとそれこそオフィスにさえ入れなくなっちゃうし、再発行の手続きも面倒だから、管理はしっかり、ね?」
「はぁい」
 極度の緊張状態から、盛大に安堵して、腑抜けになったような声でお答えしました。

 ほのかさまと室外の給湯室まで行き、ポットとカップを洗いながら、お客様が見えたときのお茶の出し方などのレクチャーを受けました。
 それからふたり揃って社長室へ。
 社員証を胸にぶら下げている私を見て、チーフがイタズラッ子みたく愉快そうに、唇の端を歪めました。

 でも、そこから先はずっと本気お仕事モードで、チーフとほのかさまのおふたりがかりで、私に任されるお仕事について丁寧に教えてくださいました。
 覚えなくてはいけないことが沢山。
 必死にノートをとりました。

 ただ、ほのかさまがお仕事のお電話でお席を外されたその隙に、どうにも我慢出来ず、姉さまにお尋ねしてしまいました。
「あのぅ、私の履歴書、ひょっとして早乙女部長さまにお見せになったのですか?」
 恐る恐る尋ねる私の不安気な表情が、お姉さまのツボにはまったのでしょう、唇が、うふふ、の形になるのをこらえるみたく、ワザとらしく無表情を作っておっしゃりました。

「うん。そのほうが話が早いからね。一昨日、この履歴書見せながらアヤと雅とで打ち合わせしたの」
 お姉さまのデスクの上に無造作に置かれた一枚の裏向きの書類を掴み、私の目の前でヒラヒラさせてきます。
「あ、それは・・・」
 手を伸ばす私を左腕で制し、焦らすみたいにゆっくりと、その書類を表に返しました。

「イタズラ書きする前にコピーとったのよ。わざわざ履歴書と同じような紙でね」
 してやったりの表情で、お姉さまに履歴書を手渡されました。
 私が提出したときのままのオリジナルな履歴書でした。
「直子が書き足したのはそのコピーのほう。そっちもその金庫の中に大事に保管されているけれどね。あの写真付けたままで」
 にんまり微笑まれるお姉さま。
 そのお顔は、会社のチーフとしてのオフィシャルなお顔ではなく、私だけが知っているエスっ気たっぷりなプライベートでのお姉さまの、それでした。

「だいたい、あんなふざけた履歴書をアヤに見せたら、激怒ものよ。即却下されちゃう。彼女、一見さばけているように見えるけれどシモネタ耐性は低めだから」
 再び私の手から履歴書を奪い取ったお姉さまは、ご自分のデスクの抽斗にそれをしまいながらつづけました。
「それに、そういうのって、周りがだんだんわかってくるほうが愉しいじゃない?まさか、こんな子だったなんて、って」
「うちに勤めて、直子が自分のえっちな嗜好をずっと隠し通せるなんて、あたしはこれっぽっちも思っていないの」
 お姉さまが立ち上がり、エスの瞳で私を見つめてきます。

「うちはエロティックなアイテムも少なからず扱っているから、そういうのに接したときの直子の反応が凄く愉しみ」
「うちのスタッフもそのへんの嗅覚は鋭いからね。遅かれ早かれ直子の恥ずかしい性癖が全員に知れ渡るときが来るはずよ。ちょうど、あたしと直子があの試着室の中で、だんだんとお互いを知っていったようにね」
「それで何が起こるか、が、あたしにとって一番愉しみなことなの」
 ゾクッとするほど艶っぽく微笑むお姉さま。

「だからまずは、仕事を普通にこなせるように一生懸命頑張ること。仕事も一人前に出来ないような人には、愉しむ権利なんてないから」
「しばらく見てみて、使えないなと思ったら即クビよ。あたしの性格から言って、そういう人には個人的な興味も薄れちゃうから、おつきあいもご破算、ジエンド。いい?わかった?」
「はいっ!一生懸命がんばりますっ!」
 おっしゃっている最中に、お姉さまのお顔がプライベートからオフィシャルなチーフのお顔に変わっていき、最後の、わかった?は、取り付く島も無いほどの冷たさ。
 それだけはイヤ、と思った私は、背筋をピンと伸ばし、心の底からお答えしました。

「お待たせしましたー」
 ちょうどそのとき、お電話を終えたほのかさまが社長室に戻っていらっしゃいました。
「あら、おふたりともなんだか怖いお顔されて。何かありました?」
 ほのかさまがチーフと私を交互に見て、少し戸惑ったご様子。
「ううん。森下さんにちょっと、社会人の心得みたいなものを説明していただけ。森下さんもがんばるって張り切っているから、たまほのも指導、よろしくね」
「あ、はい。わたしも早く直子さんに引き継いでもらって、営業のお仕事に力を入れたいですから」
 ほのかさまがはんなりと微笑まれ、その場の空気が和らぎました。

 それからしばらく、慌しい日々がつづきました。
 私に任されたお仕事は、事務職全般、メインはお金の管理でした。
 もちろんお金そのものではなく、その流れの管理って言うのかな。
 仕入れと納品の出納、送られてくる請求書、小口現金、ネット通販の売上げ、エトセトラ・・・
 ありとあらゆるお金の流れをパソコンで管理し、その数字を日々チーフと部長おふたりにメールでご報告することでした。
 それに加えて、郵便物の仕分け、ご来客の対応、お電話取次ぎ、お買い物のお使い・・・
 ほのかさまのご指導の下、チーフから見捨てられないよう、必死でがんばりました。

 覚えることが多すぎて、頭の中では桁数の大きな数字と計算式とアパレル業界用語がおしくらまんじゅう。
 家に帰っても、ほのかさまからお借りした本で勉強しなければいけないことが多く、本当に大変でした。
 そんな感じでも一週間が過ぎた頃から、ようやく周りにも目を遣る余裕が少しづつ出てきました。

 間宮雅営業部長さまは、初出勤から3日目の月曜日、朝のミーティングのときに初お目見えしました。
 第一印象は、本当に格好いい人。
 デヴィッドボウイさん、という先入観もあったせいで中性的な二枚目イメージを思い描いていたのですが、実際にお会いしたら、ぜんぜん違っていました。

 襟足長めのウルフカットに細面の端正なお顔立ち、背もスタッフの中でもっとも高く、長いおみあしにパンツスーツがスラリと似合って、と、見た目は某歌劇団の男装の麗人そのものなのですが、とても人懐っこいご性格のよう。

「あなたが森下のナオちゃん?へー、カッワイイねえ。写真よりぜんぜん可愛いじゃん」
 私を見ての第一声が、これでした。
 そしてその後、立ち上がって自己紹介しようとした私の傍らにいらっしゃり、先に自己紹介してくださいました。

「営業の間宮雅です。ナオちゃんみたいに可愛い子が我が社に加わってくれるのは大歓迎。よろしくね」
 間髪をいれず、そのしなやかで長い両腕が伸びてきて、ギュッとハグされちゃいました。
 スタッフのみなさま全員が見ているその目の前で。
 ひたすらびっくりしている私の鎖骨の下辺りに、間宮部長のシルクのブラウス越しの、そのしなやかな体躯にしては意外に豊かなバストの感触がありました。

 そんな間宮部長は、ほとんどオフィスにいらっしゃることは無く、毎日どこかへ出かけれられていました。
 全スタッフの業務スケジュール、ご自身の出張やご来客の予定などは、決まり次第逐一私宛てにメールや口頭で連絡が入り、それを私がスケジュール表としてまとめ、会社のSNSみたいな場所にアップ、更新することになっていました。
 そこにアクセスすれば、いつ誰がどこにいるのか、いつ誰が来社するのか、が一目でわかる仕組みです。
 間宮部長のスケジュール表は、3ヶ月先くらいまで、お取引先や仕入先、顧客様のお名前と共に日本全国、いいえ、アジア諸国やヨーロッパをも含めた地名であらかた埋まっていました。

 これはチーフも同じことで、チーフのスケジュールも、海外を含めた広範囲のご予定が、ずいぶん先まで書き込まれていました。
 したがってこのおふたりは、たとえ朝出社されてもずっとオフィスにいらっしゃることはまず無くて、そのまま数日お顔が見れない、なんてこともままありました。

 反対にずっとオフィスに入り浸りなのは、開発部のヴィヴィアンガールズコンビ、リンコさまとミサキさま。
 このおふたりは、ほとんどずっと開発のお部屋に篭りきりで、おふたりで何かされているようでした。
 チーフから、開発のお部屋には立ち入り禁止と言い渡されていたので、入ってみたことが無い分、内部への好奇心も湧きました。

 早乙女部長さまは、オフィスを出たり入ったり。
 オフィスにいらっしゃるときの、そのほとんどの時間は、ご来客のお相手かお電話に費やされていました。
 たまに開発室の中にも入られて、長いあいだ出てこないこともあります。
 いつも品の良いエレガントな感じのスーツ姿で、テキパキと優雅に業務をこなされていました。

 ほのかさまとは、初出勤から三日間くらい、ずっと一緒に行動を共にしたので、すっかり打ち解けていました。
 ほのかさまからの業務引継ぎのご説明はとてもわかりやすく、何のためにそれをやるのか、なぜそうするのか、間違うとどんなリスクがあるのか、まで丁寧に教えてくださるので、飲み込みの遅い私でも、与えられたお仕事のノウハウをひとつひとつ着実に身に付けることが出来ました。

 ランチタイムは、ほのかさまと一緒に社長室や応接で、それぞれ持参のお弁当を食べました。
 最初のうちは、オフィスビル市民専用の合同社員食堂?や階下のレストラン街に連れて行ってくださいました。
 もの珍しさも手伝ってワクワクもしていたのですが、やっぱりお昼時はどこも混んでいますし、それに外食のランチだと私には量が多すぎる感じでした。
 外食慣れしていない私が思い切ってそのことをほのかさまに告げると、ほのかさまはほのかさまで私に気を遣っていたらしく、それまでずっとお弁当持参だったのを、新社会人なら、そういうのにも憧れているだろうと思い、無理して外食に誘ってくださっていたのでした。

「わたしも実はあんまり、お昼時の外食は好きではないの。量が多いし、がやがやしているし」
 というわけで、私とほのかさまはお弁当仲間となり、私は毎朝のサンドイッチ作りが楽しみのひとつとなりました。

「このビルの隣に公園があるでしょう?あの公園にはね、人懐っこい野良ネコがいっぱいいるの。お弁当食べていると寄ってくるのよ。あ、直子さんはネコ好き?」
「はい、大好きです。飼ったことはないけれど」
「よかった。今日はそこでお昼にしない?」

 お勤めを始めて2回目の週末、きれいに晴れ上がったポカポカ陽気のお昼時、ほのかさまに誘われて初めての屋外ランチタイム。
 公園には、あちこちにお弁当をまったりつつく、OLさんやサラリーマンさんたち。
 そのあいだをウロウロする10匹以上のネコさんたち。
 私たちも空いているベンチに腰を下ろし、お弁当を広げました。

「直子さんもだいぶ慣れてきたみたいよね。どう?うちの会社」
 ほのかさまのお弁当はいつも、ちっちゃくてオカズぎっしり、ご飯少な目。
 オカズは和風なものが多く、ひじきとかおひたしとか和え物とか、愛らしい見た目に似合わず渋い感じでした。
「わたし、濃い味の食べ物ってだめなの。すぐお腹いっぱいになっちゃって」
 可愛らしくおっしゃるほのかさまに、こういうかたこそ本物のお嬢様なのかもしれないな、なんて思いました。

「慣れたなんて・・・まだまだです。みなさんおやさしいし、親切に良くしてくださるので、一日も早く追いつきたいです」
「ううん。直子さんはよくやっているわよ。昨日も早乙女部長が褒めていたの、直子さんが作った試算表見て」
「本当ですか!?それは嬉しいけれど、あのかた、ちょっと怖いですよね?いつも冷静で、あまり笑われないみたいだし」

「そう?お話してみるとけっこう楽しいかたなのだけれど。でも確かに、仕事には厳しいわね」
「はい!このあいだなんかお電話で、どれだけ時間がかかったかは、こちらの問題ではありません。結果が出せないのであれば、他を当たるしかありませんね。なんて、平然とおっしゃっていました」
「ふふ。あのかたらしい言い方だわ」
「それも、別に怒っているふうではなくて、さも当然、ていう感じだったんです。私、それを聞きながら、このかた、怖いなーって」

 お答えしながら、ほのかさまがなぜ私をお外へ誘ってくださったのか、わかったような気がしました。
 私のガス抜きをしてくださっているんだ。
 オフィス内ではこんなお話、出来ませんから。

「間宮部長は?」
「あのかたも、つかみどころのないかたですよね。すごくお優しいのだけれど、接し方が独特と言うか・・・」
 めったにお会い出来ない間宮部長さまには、初顔合わせのあと2回だけ出勤され、そのたびに私に抱きついてきてペタペタ触られていました。
 あーいい匂い、気持ちいいなー、とかおっしゃりながら。

「あのかたは、誰にでもあんななのですか?その、ボディコンタクトと言うか、スキンシップと言うか・・・」
「そうね、誰にでも、ということはないわ。そういう意味で直子さんは好かれちゃったみたいね」
 なぜだか嬉しそうに、ほのかさまが微笑まれました。
「あのかた基本、博愛主義者だから」
 お弁当を食べ終わったほのかさまが、足元でうずくまる黒ぶちネコさんの背中をやさしく撫ぜながらおっしゃいました。

 そう言えばチーフは、間宮部長さまとほのかさまが惹かれあっているようなことをおっしゃっていたっけ。
 そうすると私は、あまり間宮部長さまに馴れ馴れしくしてはいけないのかも。

「開発のおふたりとは、すっかり仲良くなれたみたいね?」
「はい。アニメのお話で気が合ったので。今度コスプレ衣装も作ってくださるって。たまに息抜きしたくなると、社長室へもおふたりで遊びにいらっしゃいます」
「へー。わたしも直子さんに教えてもらって、アニメ仲間に入れてもらおうかしら。シャイな美咲さんのほうとは、未だにあまりお話したことないから」
「はい。いつでもおっしゃってください。ミサキさんも、好きな作品のお話になると、かなりおしゃべりになりますよ」

 そんなこんなで、初出勤から2週間を過ぎた頃には、ほのかさまのお手を煩わせなくても、どうにかひとりで業務がこなせるようになっていました。
 それと同時に、それまでムラムラのムの字さえ感じる暇も無かった緊張感が、ゆっくりと解けていくのがわかりました。
 考えてみればそのあいだ、お姉さまとのイチャイチャはおろか、オナニーさえ一度もしていませんでした。
 そんなこと、東京に出てきて以来、初めてのことでした。

 お姉さまがおっしゃった通り、この会社が扱っているアイテムの中には、私のえっちな妄想を駆り立てるエロティックなアイテムがけっこうありました。
 ボディコンシャスなドレス、ローライズジーンズ、マイクロビキニの水着、シースルーの下着、キャットスーツ、ヌーディティジュエリー・・・
 そういうものを目にするたびに、お姉さまが冷たい瞳で言い放った、ジエンド、というお言葉を思い出し、気を抜けば広がり始めるえっちな妄想を必死にシャットアウトしてきました。

 そんな我慢もそろそろ限界に達しそうな頃、世間は春の大型連休を迎えようとしていました。


オートクチュールのはずなのに 03


2015年4月26日

オートクチュールのはずなのに 01

 お姉さまの会社に伺ってえっちな面接ごっこをした翌週、お約束通りにご連絡をいただき、その週の木曜日からお世話になることになりました。

 木曜日の午前10時前、一階のエレベーターホールでお姉さまと待ち合わせ。
「うちは服装自由だけれど、せっかくの新入社員なのだから初々しい感じで、しばらくリクルートスーツで来るっていうのはどう?」
 お電話越しにイタズラっぽいお声でのお姉さまからのリクエストにお応えして、就職活動時期に着ていた黒のリクルートスーツに身を包み、待ち合わせ時間の10分前にはオフィスビルに到着しました。

 土曜日に訪れたときとは打って変わって、スーツ姿の男性やOLさんたちがたくさん、忙しく行き交っています。
 普段穿き慣れていないパンティストッキングの圧迫感とも相俟って、なんだか不安ばかりが増してきます。
 私、お姉さまのご期待通り、ちゃんとお仕事が出来るだろうか・・・

 目の前をさまざまな人たちが通り過ぎていきます。
 溌剌とした人、憂鬱そうな人、だらけている人、怒っているみたいな人・・・
 エレベーターホールの隅でじっとひとり立ち尽くしていると、お電話の切り際にお姉さまから釘を刺されたことを思い出しました。

「それと、このあいだのことは超特別な例外的事例だからね?会社は仕事をするところ。社員になったら、オフィスでヘンなことしたい、なんてくれぐれも考えないで、ひたすら仕事だけがんばること」
 大丈夫です、お姉さま。
 私にそんな余裕なんて、当分生まれそうにありません。

「ずいぶん緊張しているみたいね?」
 エレベーターから降りてきたお姉さまにお声をかけられました。
「あっ、お姉・・・」
 いつもの調子でお答えしようとしてお姉さまのお顔を見た途端、あわててつづきの言葉を飲み込んだ私。

 プライベートのときとは明らかに違う、キリッと引き締まったご様子のお姉さまに、ドギマギしつつ深々とお辞儀をしました。
 何て言うのか、真剣に働いている大人の女性オーラ、みたいなもので、お姉さまがいつもの何倍も眩しくカッコ良く見えたのでした。

「やっぱりリクルートスーツって独特よね。着馴れていないのがすぐわかって、思わず、がんばって、って応援したくなっちゃう」
 そんなお姉さまは、メンズっぽいシンプルな白シャツブラウスにグレーのパンツ。
 広めに開けた胸元から覗く白い肌が超セクシーです。

「うちのスタッフはみんな気さくだから、そんなに身構える必要は無いのよ?」
「あ、はい・・・」
 お姉さまの物腰もなんとなくよそよそしい感じがして、いつものように気安く、でも、だって、ってお答えすることが出来ません。
 エレベーター内でもふたりきりでしたが、それ以上の会話は無く、直通で目的のフロアに着きました。

「あなたはあそこの応接で座って待っていて。区切りのいいところで、皆に紹介するから」
 オフィスに入ったところで、お姉さまはそう言い残し、スタスタとご自分のお部屋のほうへと向かわれてしまいました。

「お邪魔しまーす」
 入口から応接ルームへ向かうあいだに、オフィス内の様子をそっと窺がいました。
 お部屋の奥の大きめのデスクにおひとり、パソコンのモニターを見つめている後姿の女性しか、人はいないようでした。
 クラシックのピアノ曲、これは確かプーランク、が優雅に低く流れています。

「失礼しまーす」
 無人の応接ルームに入ってドアを閉じ、さて勝手に座っちゃってもいいものか、と迷っていると、コンコンとノックが聞こえました。
「あ、はいっ!」
 いったん座りかけた椅子を大あわてで戻し、直立不動になりました。
「失礼しまーす。こんにちはー」
 ティーポットとティーカップの載ったトレイを手にしたスラッとした女性が、にこやかに入ってきました。

「あなたが森下直子さんね?」
「はいっ」
「あ、どうぞお掛けになって。すぐにチーフたちも来ると思うので」
 おっしゃりながら優雅な手つきで、次々にティーカップを満たしていきます。
 
 私より少し背が高く、それなのに私よりも腕も脚も細くてしなやか、全体的にすごくスラッとされているスレンダー美人さん。
 土曜日に写真で拝見した、愛称たまほのさん、ってすぐわかりました。
 写真でもお綺麗でしたが、実際はその数十倍、お綺麗です。

 八人くらい掛けられそうな楕円形の応接テーブルの、窓を背にした真ん中の席を勧められ、ご自分は私の隣に、チョコンという感じで軽く腰掛けました。
「はじめまして。わたしは玉置穂花。あなたがわたしのお仕事を引き継いでくれるのよね?」
「あ、はい、はじめまして。えっと、あの、チーフさま、あ、いえ、チーフから、そのように承っておりますが・・・」
 緊張し過ぎてしどろもどろな私。

「これから引継ぎで、当分のあいだご一緒することも多いと思うから、よろしくね」
 はんなりした笑みで真横から見つめられ、胸がドキンドキン。
「はいっ!こちらこそよろしくおねがいしまっす」
 大げさなお辞儀と共に、ヘンに力が入った声でのお答えになってしまいました。
 
 その様子を苦笑まじりのおやさしげなまなざしで見守ってくださる玉置穂花さま。
 シンプルな白いカットソーにピンクのカーディガンを羽織り、ボトムも茶色のコットンパンツっていういたってラフないでたちなのに、動作や物腰に品があって、すごく優雅に見えます。

「森下さんは、今年新卒なの?」
「あ、はい、一応」
「四大?」
「いえ、短大です」
「そっか。わたしも新卒でここに来て一年だけれど、四大だったから年齢的には少し差があるのね」
 ちょっぴり残念そうに首を傾げられると、柔らかそうな巻き毛がふうわりと揺れました。

「あなたのこと、直子さんて呼んでいい?うちの会社ではみんな、下の名前で呼び合うのが普通だから。もちろん身内のあいだでだけだけれど」
「あ、はい、もちろんです。呼び捨てだってかまいません、みなさま先輩ですから」
「うーん。わたし個人的には、そのセンパイっていう呼び方はしないで欲しいの。学生の頃はかまわなかったけれど、社会人になって、部活一緒だった年下の子たちからセンパイって呼ばれると、わたしのほうが年上、っていちいち指摘されているように感じちゃってなんだか落ち着かないの」
「ヘンに思うでしょう?事実なのにね」
 いたずらっぽく微笑みながら、私の目をじっと見つめてきます。

「いえ、ぜんぜんヘンじゃないと思います。でしたら私、絶対センパイは付けません」
 こんなに魅力的な人がイヤがっていることなんて、私に出来るはずがありません。
「わたしのことは、たまほのとかたまちゃんとかほのかとか、みんな好きに呼んでいるから、直子さんも、気に入ったのを使えばいいわ」
「では私は、ほのかさんて呼ばせていただきます。これからもよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくね、直子さん」
 すごくチャーミングな笑顔で差し出された右手におずおずと自分の右手を差し出しながら、心の中では、ほのかさま、とお呼びすることに決めました。

「お待たせー」
 ほのかさまとの固い握手の手が離れたとき、ノックも無しに応接のドアがいきなり開き、お姉さまを筆頭にゾロゾロと女性たちがお部屋に入ってこられました。
 ほのかさまがさりげなくお席を立つのを見て、私もあわてて立ち上がりました。

「紹介するわね。こちらが開発部部長の早乙女綾音。それと開発部スタッフの大沢凜子と小森美咲。あ、たまほのとはもう自己紹介済んだみたいね」
「それで、あちらが今日から我が社に加わる期待の新人、森下直子さんよ」
 ざっくばらんなご紹介の後、お姉さまにまっすぐ指をさされ、腰を直角に折るくらいの大げさお辞儀。
「森下直子です。未熟者ですが、みなさまよろしくお願いいたします」
「まあ、立ち話もなんだから、座りましょう」
 お姉さま、いえ、チーフの一言で、みなさま席にお着きになりました。

 私の斜め右前にチーフ。
 そのお隣、つまり私の真正面に、早乙女部長さま。
 そのお隣にスタッフのおふたりが座り、ほのかさまは私の隣に残ってくださいました。
「あともうひとり、営業部長がいるのだけれど、昨日から出張で出社するのは来週月曜だから、そのときあらためて紹介するわね」
 チーフが私を見ながら教えてくださいました。
 そっか、デヴィッドボウイさまは、今日はご不在なんだ。

「はじめまして。この会社の企画・開発部門を担当している部長の早乙女です」
 あらためてご挨拶くださる部長さま。
 見れば見るほどお美しいかたでした。

 肩から袖がシースルーになったスクープネックの黒いシフォンブラウスにウエーブヘアがふわりとかかり、ツンと通った鼻筋とキュッと締まった理知的なお口元が高貴な雰囲気さえ醸し出して、女優さんよ、って言われれば、やっぱりそうですよね、って迷うことなくお返事しちゃいそうなほど。

「そして、こちらのふたりが、わたくしの優秀なスタッフ、大沢凜子さんと小森美咲さんコンビ」
 早乙女部長さまに促されて、部長さまの左隣の女性が会釈してくださいました。

「大沢です。主にパターン関係、デザイン画とか造形全般を担当してます。よろしくね」
 ベリーショートのボーイッシュなネコさん顔、という印象は写真と同じでしたが、こちらも実物は数段チャーミング。
 ヨーロッパの名門少年合唱団とかにひとりはいそうな、おめめクリクリのソプラノ美少年、みたいなキュートなお顔です。
 ボートネックでゆったりしたネイビーの長袖ロングTシャツ姿で、胸元に小さな音楽プレイヤーをチェーンでぶら下げています。
 あまり目立たないバスト部分に布地が当たると、うっすら突起が出来るので、確かにノーブラみたいです。

「小森美咲。担当はコンピューター関係全般。よろしく・・・」
 こちらは人見知りさんのようで、うつむきがちの小さなお声でした。
 立ち襟フリルのロリータな純白ブラウスが絵に描いたようにお似合いな幼顔ながら、フリルのラインが大げさにカーブしちゃうほどバーンと張り出したバストとの、見事なアンバランスさがコケティッシュ。
 上目遣いにじーっと見つめられると、そのあどけない可愛さになんだかドギマギしてしまいます。

「それで、森下さんは、幼稚園教諭が志望だったのよね?免許もちゃんと学校で取って。なぜやめたのかしら?」
 先ほどから私の顔と上半身をじっと交互に見つめていた早乙女部長さまが、世間話でもするような自然な感じで、投げかけてきました。
 どうやらここからは、私への質問タイムのようです。
 そんなこともあるかもしれないと思い、お家でシミュレーションはしてきました。

「あ、えっと、それは、何て言うか、よそさまのお子様をお預かりする、という責任の重さに怖気づいてしまった、と言うか・・・」
「なるほど。ちっちゃい子の相手って大変だし、最近は口うるさい保護者も増えているらしいからね。内定は、あ、幼稚園の場合内定ってあるのかは知らないけれど、そういうのはあったの?」
「はい。実習もして試験も受けて、来てくださいっておっしゃっていただいた園はあったのですが、ずいぶん悩んでお断りしました」

「あらもったいない」
 部長さまがポツリとおっしゃり、周りの方々が一斉にクスッと笑われました。
「でもまあ、それだけ真剣に考えた、っていうことなのね。お顔が真っ赤で暑そうだから、上着取ったほうが良いのではなくて?」
 部長さまのお言葉に、ほのかさまがさっと立ち上がり、ほどなくハンガーを持ってきてくださいました。
「あ、ありがとうございます」
 私も立ち上がり、大急ぎでスーツのジャケットを脱ぎました。

「森下さんて、クラシックバレエがご趣味なのよね?立ち上がったついでに、ちょっとその場でクルッと回ってみせてくれるかしら。その靴ではポワントは無理でしょうから、そのへんは適当でいいから」
 私の全身をじーっと見つめてくる部長さまに、お姉さまがおっしゃっていた、着衣でも見ただけでその人の身体サイズを把握してしまう、という、部長さまの神業のことを思い出していました。

 テーブルから離れて充分なスペースを確保し、ドゥミポワントで膝と背筋を伸ばしてからグランフェッテぽく、クルリと回ってみました。
 みなさまが、おおっ、って小さくどよめかれます。
 ペコリとお辞儀して自分の席に戻りました。
 おそらく今の一連の動作で、私のスリーサイズから体重や股下の長さまで、部長さまに全部把握されてしまったことでしょう。

「森下さんはその他にも、英検とか簿記とか、いろいろ使えそうな特技を持っていらっしゃるようだから、頼もしいわ。ぜひともこの会社のために、がんばってください」
 部長さまの表情が和らぎ、初めて笑顔らしきものを見せてくださいました。
 ホッとする反面、私にとっては恐ろしすぎる、とある懸念が脳裏に浮上していました。
 ひょっとしたら部長さまは、私の、あの履歴書、をご覧になったのではないか、チーフがお見せしてしまったのではないか、という懸念。

 今までのご質問で、事前にチーフから部長さまへ、私についての何らかのご報告があったであろうことは推察出来ました。
 でも先ほど、いろいろ使えそうな特技、とおっしゃったときの部長さまの口ぶりに、見透かしているような、すべて知っているのよ的なニュアンスが含まれているように、感じられたのです。
 
 まさか・・・
 思わずチーフのほうを見ると、チーフ、いえ、私のイタズラ好きでイジワルなお姉さまは、薄い笑みを唇にたたえ、目を細めて愉しそうに私を見ていました。

「そう言えば森下さんがうちにいらしたのは、シーナさんからのご紹介なのよね?シーナさんとはどういうご関係なのかしら?」
 一度懸念を抱いてしまった私の耳には、部長さまからのご質問すべてがもはや、何かしらの意図があってのものなのではないか、と勘ぐってしまいます。

 シーナさま、この会社とも少なくないおつきあいがあるらしいけれど、スタッフのみなさまは、どのくらいシーナさまのことをご存知なのだろう?
 シーナさまって、ご自分の嗜好を誰にでもあけすけにお見せ出来ちゃうタイプみたいだから、ここでも有名だったりしたら・・・
 あのシーナさまからの紹介なら、きっと子飼いのマゾドレイのひとりに決まっているって、最初からみなさまにバレバレだったりして・・・
 急激に高まってきたドキドキでよく働かない頭を無理矢理動かし、一生懸命無難なお答えを探しました。

「あの・・・地元が同じで、地元に居た頃からいろいろとよくしていただいていて・・・」
 捉えようによっては、そんな頃からシーナさまにいろいろされていたことを自白しているような言い方になってしまいました。
 本格的にいろいろされたのは、東京に出てきてからなのに・・・

「ああ、なるほどね。あのかた、面倒見が良いかただから。うちも、彼女から良い仕入先を教えていただいたり、腕の良い工房を紹介してくださったり、ずいぶん助けていただているの」
 部長さまの普通なリアクションにも、もはや心底安心出来ない私の懸念。

「それと森下さんには、リンコたちが大好きなアニメやマンガのご趣味もあるの。コスプレもされるみたいだし。あなたたちは、そのへんから仲良くなるといいのではないかしら」
 部長さまがスタッフのおふたりに向けておっしゃいました。
「へー、そうなんだ。ねえねえ、何のコスプレしたの?今シーズンのアニメは何チェックしている?」
 大きな瞳をキラキラさせて、ボーイッシュ美少女の大沢凜子さまが、部長さまのふった話題に即座に飛びついてきました。

 パン!パン!
 それまでずっと黙って微笑んでいたチーフが、びっくりするほど小気味の良い高音の拍手をふたつ。

「はいはいはい。そういう個人的友好は仕事が終わってからゆっくりやってね。とりあえず森下さんとの顔合わせはこんなところでいいわね。各自、仕事に戻って、今日も一日がんばりましょう」
 チーフの鶴の一声でみなさま、がたがたと席をお立ちになります。
 大沢凜子さまは去り際に、あとでゆっくりねー、とおっしゃって私に手を振ってくださいました。
 その陰に隠れるようにして、小森美咲さまの右手も小さく揺れていました。

 応接ルームに残ったのは、私とチーフとほのかさま。
 チーフが私の正面にいらして、何か差し出してきました。
「はい。まずこれが、このオフィスのカードキー。使い方は後で説明します。こっちは、このビルで働いている人全員に配られる市民証。これを提示すれば、上の水族館や展望台が半額になったり、レストラン街で割引があったりの優れもの」

 目の前に定期券大の2枚のカードが置かれました。
「あ、はい。ありがとうございます・・・」
 そのカードを手に取って、しげしげと見つめました。
 だけど私の目には、何も見えていませんでした。
 頭の中は、お姉さまに今すぐ投げかけたい、ひとつの疑問だけでいっぱいになっていました。
 あの履歴書を部長さまに、お見せになったのですか?という。

「それから・・・」
 お言葉を区切ったチーフが、私をしばらくじっと見つめ、愉しそうにニッと笑いかけてきました。
 私もすがるように、チーフを見つめ返します。
「これが、森下さんの社員証ね。IDカード」
 首から提げる用のストラップが付いたカードホルダーが、テーブルの上に裏向きで置かれました。
 見えているのは裏側ですから、もちろん真っ白。

「顔写真は、先日預かった、履歴書の写真をスキャンして、勝手に、貼っておいたから」
 ワザとのように、ゆっくりハッキリ区切るようにおっしゃって、意味ありげに私を見つめ、再びニッと笑うチーフ。
 私は、チーフのお口から、履歴書、という単語が出たときにズキンと鼓動が跳ね、それからは早鐘のよう。
 意味も無く辺りをキョロキョロ見回すと、ほのかさまがテキパキとテーブルに残されたティーカップを片付けられています。

「森下さんは、たまほのの後片付けの手伝いをして、終わったらふたりであたしの部屋にきてください。あ、それと、これからは来客のお茶の用意は、森下さんの仕事となりますから」
「はいっ」
「はいっ」
 ほのかさまに一呼吸遅れて、なんとかお返事は出来ました。
 チーフが満足そうにうなずいて、スタスタと応接ルームをあとにしました。

 大きなテーブルの上にポツンと置かれた、裏向きの社員証。
 私は、どうしてもそれに、手を伸ばすことが出来ないでいました。


オートクチュールのはずなのに 02