2023年10月9日

彼女がくれた片想い 06

 隣室の来客が立ち去った後もしばらく物音ひとつしない静寂がつづいた。
 私は端の個室の壁に向いて、蓋を閉じた便座の上にそっと腰掛け聞き耳を立てている。
 幸いなことに尿意も便意も感じていないので、ゆっくりとお付き合い出来そうだ。

 壁の向こうで彼女が今、どんな姿なのかを想像する。
 3番めの個室の彼女にひとりの時間を邪魔されたのは明白であるから、その間にトイレ本来の目的を済ませたのかもしれない。
 そうであれば、便座の上でショーツを下ろしたままなのか。
 私が見咎めたように彼女の着衣がコンビメゾンであったならば、オールインワンゆえ上半身ごと脱がなければならない。
 そうなると彼女は上半身も下着姿ということになる。

 そんな風に想像を逞しくしていたら、端の個室からカタンという小さな音が聞こえた。
 3番めの彼女が去ってから二分も過ぎた頃だった。
 それからカサコソと衣擦れの音。
 彼女はまだ脱衣していなかったようである。
 その用心深さがこれからの展開に期待を抱かせる。
 私は便座の蓋からそっと離れ、中腰になって端の個室の壁に左耳を密着させた。

 どうやら彼女は立った姿勢で衣服を脱いでいるようだ。
 衣擦れの音が始め上の方から聞こえ、だんだんと下がっていく。
 下の方でコツコツと小さな音がしたのは、脱いだ衣服を足元から抜いて完全に脱ぎ去ったのだろう。
 
 やはりオールインワンだったようだ。
 ひょっとすると今日のこの行動は計画的で、彼女はトイレで裸になるためにワザと不自由な、上下ともに脱がざるを得ない構造の衣服を選んだのかもしれない。
 そんないささか彼女に失礼な妄想がふと浮かんだ。

 少しの間を置いて上方で小さくパチンと響いたのはブラジャーのホックを外した音。
 また少しの間を置いて下方でコツンコツンと小さく響いた足音はショーツをも脱ぎ去った音に思えた。
 そして何より私を驚かせたのは次の瞬間だった。

「…脱ぎました…」

 押し殺したようなか細い彼女の声が聞こえて来たのである。

 彼女は誰かと会話している。
 おそらくスマホでであろうが、これで脅迫者の線が一段と濃厚になってきた。
 その後長い沈黙がつづき、やがてまた彼女の押し殺した声が聞こえた。

「…はい…」

「…恥ずかしいです…」

 テレビ電話機能で送信しながらの行為なのだろうか。
 その割に相手の声が一切聞こえて来ないのは、彼女がインカムを使用しているからと考えればいいのだろうか。
 いずれにせよ彼女がこの薄い個室の壁の向こうで全裸になっているのは確実と思えた。
 その割に身体をまさぐるような物音は聞こえてこないな、と思った矢先、再び彼女の押し殺した声が聞こえてきた。

「…だってそれは、この間やよい先生が綺麗に剃り上げちゃったからじゃないですかぁ…」

 押し殺しながらも甘えるような媚を含んだ声音。
 ゾクゾクっとしながら完全にしゃがみ込んで、左耳を壁に痛いほど押し付ける私。
 何かを手にしたようなカタカタッという小さな音がしてから、今度は少し明瞭な声が聞こえた。

「…ち、乳首にください…」

 えっ?何を?

「…痛い、痛いですぅ…」

 それと同時に身体をまさぐるようなワサワサした音と、ンフゥーッという押し殺した溜息がしばらくつづいた。

 私は混乱していた。
 彼女がつぶやいた、やよい先生、剃り上げちゃった、乳首にください、痛いです、という科白が頭の中を渦巻いていた。
 その間も彼女の押し殺した悩ましい溜息が途切れ途切れにつづいている。

 やよい先生って、その先生は女性?脅迫者は女性?いやいや名字っていうことも有り得るし、UFO研究で有名な矢追という姓の聞き間違いということも…
 剃り上げちゃった、というのは陰毛を指しているはずだから、つまり彼女は今パイパンなのだろうか?
 この間というのは、今週の体育後に目撃した鞭の痕、先週末に行われたかもしれないSMプレイ疑惑のことなのだろうか?
 痛いって、テレビ電話で物理的に相手に苦痛を与えることは不可能だし、彼女が自分で自分を痛くしているということなのか?

 頭の中をクエスチョンマークがグルグル飛び交うにつれて、私の下半身はどんどん熱くなっていく。
 ジーンズに包まれていても、その一番内側が中の方から濡れてくるのがわかるほどに。
 彼女の押し殺した吐息は切なげにつづいている。

 そして数分間ほど自分の上半身をまさぐったであろう彼女がつぶやいた、相変わらず押し殺した科白で、私はすべてを理解出来た気がした。

「…やよい先生の指をください…指を直子のオマンコに挿れて滅茶苦茶に掻き回してください…」

 おおよそ清楚に見える彼女には似つかわしくない女性器の俗称をはっきり口にしたことにも驚いたが、その後につづいた物音が強烈だった。
 彼女の懇願に自分ですぐに応えたのだろう、プチュプチュクチュクチュ、どう考えても卑猥な音が聞こえてくる。
 十分に濡れそぼった女性器を指で愛撫抽挿蹂躙する自慰行為の音。

 声は極力押し殺しているようだが、粘液を掻き回す音は押し殺しようが無い。
 激しく掻き回せば水音も激しくなる。
 それにつれて押し殺している吐息、溜息もより激しくなってしまう。

「…んふぅーーっ、んぐぅぅーーーーっ…」

 最初に彼女と遭遇したときに聞いたような押し殺しきれない嬌声が聞こえ、しばらく沈黙。
 達したのだろうか?
 壁越しにハァハァハァハァという荒い彼女の息遣いが聞こえてくる。
 しばらくしてそれも収まり本当の静寂が訪れたと思ったのだが…

「…あぁんっ、またぁ…」

 彼女の少し大きめな声とともにプチュプチュクチュクチュが再び始まる。
 いつの間にか私も、ジーンズのボタンを外しジッパーを下ろし、露わになったショーツの上から自分の陰部をそっとまさぐっていた。

「…もっと、そうそこ、そこを…」

 彼女に合わせて自分を慰めながら考える。

 彼女はこの行為を嫌がってはいない、むしろ愉しんでいる。
 脅迫の線は薄いのではないか、つまり自発的な行為。
 だとするとテレビ電話の線も薄れ、これは彼女の独り芝居、妄想に没入しての密やかな自慰行為なのではないか。
 恥ずかしいです、も、痛いです、も彼女の妄想の中で自分に課した行為がフッと言葉に出ただけで、実際には彼女の頭の中では妄想の相手と絶えず会話をしている。

 やよい先生は女性でおそらく実在の人物、そして妄想の相手。
 男性であれば、指をください、ではなくもっと具体的なそのものズバリをねだるであろうから。
 ということは彼女はレズビアン?
 陰毛を剃り上げられてパイパンとなっていることもおそらく事実だろう。
 自宅ではなくこういった日常のパブリックな場所、誰かに気づかれるかもしれないスリリングな場所での行為が好みなのであれば、体育後のノーパンの意味も理解出来る。
 つまり彼女は、あんな顔をしてかなりアブノーマルな性癖の持ち主ではないのか。

「…んふぅーっ、あんっ、いいっ、んんーーっ…」

 彼女はだいぶ声を抑えきれなくなっている。
 私もかなり昂ぶっていた。

「…ああっ、いいっ、いいっ、んぐぅぅーーーっ…」

 一際低く唸るような彼女の押し殺した咆哮。
 その後ハァハァハァと息を荒くしている。
 オーガズムを迎えたようだ。

 私もほぼ同時に同じ状態に達した。
 左耳を壁に押し付けしゃがみ込んだままジーンズを膝まで下ろし、ショーツの上から腫れたクリトリスを思い切り摩擦して。
 口を真一文字に結び、絶対に声を漏らさないと覚悟を決めて。
 彼女と一緒に昇り詰められたことが無性に嬉しかった。

 徐々に収まっていく彼女の息遣い。
 私もまだ肩が大きく上下している。

 と、そのとき唐突に三限めの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
 すぐにトイレ内にも教室から解き放たれた廊下の喧騒が聞こえてくる。
 彼女の密やかな禁断の時間も終わりを告げた。
 トイレのドアを開くバタンという音がふたつつづき、個室のドアを閉じる音がそれにつづく。
 トイレ内の足音やおしゃべりも騒がしくなっていた。

 どうしようか迷っていた。
 おそらく彼女は休み時間が終了し次の講義が始まるまで個室から出てこない。
 あの日のように静けさが戻ってからそっと退散するつもりだろう。

 それに付き合って私も彼女と一緒に立て籠もり、一緒に個室を出るのも面白いと思った。
 彼女が自慰行為をしている間中、隣の個室に誰かがいて一部始終を聞かれていたと知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
 でもそれは現実的ではない。
 私は今の所、彼女との関係性を変化させる気はないし、休み時間中ふたつの個室が閉じたままなのは大迷惑だ。

 現実的には、休み時間中の喧騒に紛れて私が先に退出し、尾行を続行するのがベストと判断した。
 学校のトイレの個室で人知れずオーガズムに達した彼女が、どんな顔で日常に復帰し、どんな風にプライベートを過ごすのか。
 学内に残るにしても学外に出るにしても、まだ三時前、時間はたっぷりある。
 四限の自主休講が決定した。

 そうと決まれば急がなくては。
 ショーツが濡れそぼっているので、このままジーンズを穿き直すのは気持ち悪い。
 幸いトイレ内はドアの開け閉めやおしゃべりで騒がしいので、私は音を立てることを気にせずにジーンズを脱ぎ去った。
 
 それから濡れたショーツも脱いで小さく畳みフェイスタオルに包んでバッグへ。
 最後に濡れた陰部をトイレットペーパーで丁寧に拭った後、ジーンズを穿き直す。
 これで私は、今から帰宅までノーパンで過ごすことになってしまった。
 体育後の彼女とお揃いである。

 最後に捨てたトイレットペーパーを盛大な音を立てて水洗に流し、普通にドアを開けて個室を出た。
 一番端の個室のドアは相変わらず固く閉ざされている。
 外ではふたりの学生がトイレ内に並んで個室が空くのを待っていた。


2023年10月7日

彼女がくれた片想い 05

 木曜日の二限目が終わった後、私は彼女の行動に注目していた。
 彼女は親しい友人三人と楽しげに何か話しながら教室を出ていく。
 二階端の教室から廊下を少し進み、階段を下りて一階へ。
 昼休みの人波に紛れ、気づかれないように後を追う。

 やがて建物の正面玄関。
 先週はここで友人たちと別れ、彼女はひとり学外へと消えていった。
 今日もそうであれば、先週無事にレポート提出も済ませたことだし、四限目の講義をパスして彼女を尾行するつもりだった。

 彼女がプライベート時間をどう過ごすのか、あわよくば彼女の住まいまでつきとめられるかもしれない。
 そう思って、気づかれぬように変装する準備まで用意していた。

 だが彼女は友人たちと玄関を素通りし、その奥へと進んでいく。
 この廊下の果てにあるのは学食ホール、どうやら今日の彼女は友人たちとランチを済ませていくらしい。
 その後どうするつもりなのかはまだわからないが、私ももちろん付き合うことにする。
 気づかれぬようにこっそりとだが。

 今日の彼女は珍しく茶系の膝丈キュロットスカート。
 同系色のトップスを合わせて薄手のベージュのカーディガンを羽織っていた。
 彼女にしてはいつになく垢抜けたコーデなので、ひょっとするとこの後カレシとデート?なんていう懸念も生まれる。

 予想通り彼女たちは学食に入り、四人がけテーブルを確保すると食券売り場に並び始める。
 私も自分の定位置である出入口近くのぼっち飯相席ひとつを確保し、彼女の監視体制に入った。
 彼女と同じのものが食べたいと思ったので、彼女の注文を確認してから食券を買うつもりだ。

 やがて彼女がトレイをしずしずと捧げ持って所定の位置に着席する。
 トレイ上の平皿に盛られた料理はドライカレー。
 私が彼女を追いかけ始めてから彼女がそれを学食で食べる姿を見るのは二度目だから、気に入ったメニューなのだろう。
 私はよやく立ち上がって同じものを手に入れるべく食券売り場に並んだ。

 食事中の彼女はほとんど聞き役。
 他の三人がかまびすしいのもあるが、スプーンを動かしながら適度に相槌を打ち適度に笑っている。
 友人たちも彼女をより笑わせようとしているように感じた。
 ドライカレーは適度にスパイスが効いて美味だった。

 彼女たちは食事後、隣接している喫茶スペースに移り雑談続行。
 彼女はアイスミルクティーを飲んでいた。
 私は彼女を見失わないように注意しつつ食器を片付け、同じ場所で読書のフリを始めた。

 やがて昼休み終了、三限目の講義開始時刻が迫り、友人らが席を立つ。
 私も席を離れ、人混みに紛れて彼女らの近くまで近づいた。
 別れ際に、それじゃあまた明日ね、の声も聞こえたので、彼女がこの後に講義が無いのは確定だ。
 が、彼女はひとり喫茶スペースに残り、持っていたトートバッグから文庫本を取り出して読書モードに突入した。

 私も喫茶スペースまで踏み込もうかとも思ったが、ランチタイムが終わり空席の目立つ学食の喫茶スペースに近い位置に無料のお茶片手に陣取り読書のフリで、そっと彼女を見守る。
 素通しガラスで仕切られた喫茶スペースで彼女が読んでいる文庫本は、表紙カバーも取り外され表紙もやや黄ばんでいてずいぶん古い本のように見えた。
 私は広げている文庫本の活字も追わないまま、彼女が本から顔を上げ周りを見渡すような仕草をする度に頭を下げ、読書に没頭するフリをしていた。

 三限に入って食堂も喫茶スペースも閑散としてきた二十分を過ぎた頃、彼女が動いた。
 飲み終えたグラスを返却口に戻し、文庫本をトートバッグに押し込んで学食出口のドアに向かう。
 私も慌ててお茶のコップを戻し、気づかれないように彼女がドアの向こうに消えるのを待ってから追尾した。

 学食のドアを出ると、彼女の背中が10メートル先くらいに見えた。
 三限の講義中だが、私のようにその時間が空いている学生もいるので、廊下にはそこそこの人影があった。
 少し早足な彼女は正面玄関も素通りした。
 その先にあるのは先程下ってきた階上へつづく階段である。

 それを見て私は確信した。
 彼女はあの日のようにあのトイレに向かっているのだろうと。
 三階まで階段を上って廊下を少し行ったところにあるトイレ。
 私が時間潰し用に使っている空き教室の斜め前。
 この時間のその階はほとんどの教室で講義中、おまけに三階なので余計な人も来ず、非常に静かなのである。

 私が階段の麓までたどり着いたとき、彼女は折返し階段の踊り場を曲がったところだった。
 背中しか見えなかったので、気づかれてはいないはずだ。
 静寂の中遠ざかる彼女のパンプスの控えめなヒールの音が小さく聞こえる。
 学外への尾行にも備えてスニーカーを履いてきたのは大正解だった。

 ヒールの音が垂直の高さでどんどん小さくなっていくのを聞きながら、二階へ三階へと極力静かに階段を上がっていった。
 三階に辿り着き、壁に隠れてそっと廊下を見遣ると、まさしく彼女がトイレのドアを開けているところだった。
 いつの間にかカーディガンを脱いで左手に持っている。
 あれ?あれってコンビネゾン?

 やっぱり、という気持ちで私は静かに興奮していた。
 ここまで来ればもう焦る必要もないだろう。
 いつもの空き教室に忍び込み、いつもの席に荷物を置いて一息ついた。

 机の上に文庫本を置きながら考える。
 彼女が意図的に人のいないトイレを目指していたのは明白だ。
 それは悲嘆に暮れる為ではなく別の目的で。
 あの日彼女が洩らしていた艶っぽいため息から思うと、おそらく自慰行為。

 今日も彼女はトイレの個室で自慰行為に耽るのだろうか?
 それは脅迫者の命令で?それとも自発的に?
 いずれにしてもこんな時間に意図的にトイレに籠るのは、単純に排泄の為だけではないだろう。
 逸る気持ちを束の間落ち着けてから、私もトイレに向かった。

 極力音をたてないように内開きのドアを押す。
 今日は彼女の隣の個室で、こっそりじっくり耳をそばだてるつもりだ。
 スニーカーを履いてきた自分をもう一度褒め称えた。

 抜き足差し足でトイレ内を進み個室が5つ並ぶフロアへ。
 おや?
 5つある個室のうち2つの扉が閉じている。
 一番奥と、ひとつおいてその隣、真ん中に位置する3番めの扉が。

 彼女がトイレ内へ入ってから5分くらいが過ぎている。
 先客がいたのか、はたまた私が一息ついているあいだに誰かが駆け込んだのか。
 どちらにしても私には好都合、両方の個室の様子を窺える4番めの個室に忍び込む。
 内開きのドアは今は閉めず、ドアの陰に隠れるように身を潜めた。

 結論から言えば3番めの個室内では普通に排泄行為が行われているようだった。
 私が入ったときにはすでにチョロチョロという水音がそちらの壁の向こうから聞こえていた。
 やがて水音が止まり少しの沈黙の後、新たな大きめな水音はビデを使う音だろう。

 それにしても聴覚に集中すると、個室の薄い壁の向こうの様子が手に取るようにわかるものだ。
 水音が止まりカラカラとトイレットペーパーを引き出す音。
 小さな咳払い、つづいてショーツを上げているのであろう衣擦れの音。

 それに比べてもう一方の端の個室は、物音ひとつしない静寂がつづいている。

 排泄物を流したのであろうザザーッという一際大きな水音が流れたとき、私は個室の内開きのドアをそっと閉めた。
 間髪をいれずガタンと個室のドアを開ける音。
 カツンカツンと大袈裟なヒールの音が遠ざかっていき、小さくザザーッと手を洗っているのであろう水音。
 少しの沈黙の後キーッバタンと廊下に出ていく足音。

 これでこのトイレ内には、隣同士の個室で彼女と私のふたりきりとなったはずだ。


2023年10月1日

彼女がくれた片想い 04

 翌日から彼女のことが気になって仕方なくなっていた。
 こんなにも誰かのことが気になるという状態は、私にとって久し振りの感覚だった。
 講義中のトイレや体育授業のロッカーで彼女が見せた不可解な行動が眠っていた私の好奇心という名の猫を起こしてしまったようだ。

 一見気弱そうな彼女の笑顔と、していることとのアンバランスさ。
 その本当の意味を知りたいと切望に近い感情を抱いていた。
 かといって唐突に馴れ馴れしく話しかけることなど到底出来ない性分なので、講義中は離れた後方の席に座り彼女の背中を注視していた。

 一年生のうちは必修科目が多いので、ほとんどの講義は彼女と同じ教室だったが、一部の選択科目では彼女と別れることになる。
 私の知らないところで彼女が何をしているのかまで気になってしまい、自分の講義はそっちのけで選択科目教室までこっそりついていき、彼女が教室に入るのを確認してから自分の講義に遅刻して入るということも何度かあった。

 そんな感じで一週間、もちろん学校が休みの土日は除いてだが、彼女に注目しつづけた。
 その結果、彼女は木曜日のみ、午前中の授業だけで午後は丸々空いていることがわかった。
 これは彼女が友人たちとそのような事を話していたのも聞いたし、実際その週の木曜日に彼女は午前中の講義の後、学食で昼食も取らずに駅の方へと消えていった。

 木曜日の午後と言えば、私が最初にトイレで彼女に遭遇した昼休み後の三限から四限にかかる時間帯である。
 その時間帯、私には四限に講義が一つあった。
 その日は課題のレポート提出期日だったため尾行を断念したのだが、講義を無駄にしてでも木曜の午後は要チェックと心に書き留めた。

 他の曜日には彼女に不審な行動はなく、一週間後にまた体育の授業を迎えた。
 彼女は相変わらず、隠れるように隅のロッカーでこそこそと慌ただしく着替えをしていた。
 慌ただしくブラウスを脱ぎ、慌ただしくウエアをかぶり、相変わらず下着を脱いでからアンダースコートを穿いていた。

 ん?

 授業前の彼女の着替えを眺めながら、ほんの小さな違和感が私の五感のどこかにひっかかった。
 目で見たことなのか、音で聞いたことなのか、はたまた匂いなのか、それはわからない。
 ただ、素肌のどこかに一本のか細い抜け毛が貼り付いたような、家を出て五分も歩いた頃にそう言えばエアコンのスイッチをちゃんと切ったか思い出せない、といった類のもどかしい違和感に苛まれる。

 授業終わりの着替えでもう一度確認しよう。
 そう決めた。

 テニスの授業中、彼女は実質的には下着であるアンダースコートを盛大に露出しながら体育館を走り回っていた。
 私はそれをドキドキしながら横目で視ていた。
 そして授業は終わる。

 例によって更衣室の隅っこに壁向きで、私に背中を見せながら着替えをする彼女。
 かぶりのウエアから先に両腕を抜き、頭まで一気にたくし上げる。
 ここで露わとなった彼女の背中を見て、もどかしい違和感の正体があっさりわかった。
 やはり視覚であった。

 真っ白な彼女の背中、今日のブラのストラップも白。
 その白い肌に幾筋かの細いラインがうっすらピンク色に横切っていた。
 俗に言うミミズ腫れのような痛々しい感じではなく肌が白いがゆえに目立つ、といったうっすら加減なので上気しているようでもあり妙に艶めかしい。

 その背中も瞬くうちに白いブラウスで隠され、つづけて彼女のスコートが外される。
 すぐに薄青色花柄の膝丈フレアスカートに素足が包まれ、前屈みの状態で裾から両手が差し込まれてアンダースコートが降ろされる。

 彼女の着替えは今日もそこで終了した。
 今、彼女はウエア類を丁寧に畳んでいる。
 つまり今日もこの後はノーパンで過ごすということである。

 すっかり身支度を整え私の横を歩き去っていく彼女の背中を見つめながら私は、今まで経験したことの無いサディスティック寄りな性的高揚を感じていた。
 彼女の正体を暴いてやりたい、みたいな感情だ。

 学食、午後の講義と気づかれぬように彼女の挙動に注目しつつ、講義そっちのけで彼女について考えていた。

 まず、彼女の背中を飾っていた幾筋かの横向きなピンク色の痕。
 私の頭に真っ先に浮かんだのは、所謂SMプレイで行われる鞭打ち行為だった。
 もちろん私は実際にしたこともされたこともなかったが、ネットでその手の動画は積極的に漁り、いくつも見ていた。

 その他の可能性、たとえば虫に刺されたとか何かにかぶれたとか、あるいは痒くて自分で掻いた等では、あの程度のうっすら加減では終わらないだろうし、痕ももっと部分的になる筈だ。
 
 そして鞭打ちの結果だとすると、一本鞭での打擲痕ではあの程度で終わる筈が無いので、おそらくバラ鞭で付けられたものだろう。
 彼女の背中を横向きに染めていたピンクの筋群は、ネットで見た、四つん這いな裸の背中に振り下ろされたバラ鞭の打擲痕によく似ていた。

 この憶測で何よりも私を興奮させたのは、自分の背中を自分であんな風に痛めつけるという行為は不可能ということから、彼女とは別の人間の存在、すなわち彼女は誰か第三者の手によって鞭打たれのではないかということだった。
 そこから私の妄想がとめどなく広がり始めた。

 おそらく彼女は先週末に誰かとSM的なプレイをしたのだろう。
 では誰と?
 
 援助交際が出来るようなタイプには到底見えないから、ステディな恋人がいるのかもしれない。
 でも、それでは学内での彼女の不可解な行動の理由までは説明できない気もする。
 ここからは私の個人的な願望も入り混じってはいるのだが、内気そうな彼女が傍目に見てアブノーマルと言える行動を繰り返すような設定を私は知っている。

 脅迫。

 脅迫者に何かしらの弱味を握られ、抗いたい命令にも従うしか無い状態。
 それが彼女にはピッタリだと思えた。

 では、その脅迫者は誰か。
 自然に思い浮かぶのは、嫌らしい笑みを湛えた冴えない名無しの中年男性。
 ひょんなことから彼女の弱味を握り、その後は好き放題。
 呼び出しては彼女の身体を貪り、離れているときも破廉恥な命令を下して劣情を煽る。
 
 この設定は、私が今まで見聞きしてきたエロい創作物の影響を多分に受け過ぎているようにも感じたが、彼女が醸し出している雰囲気にしっくりと馴染み、どんどん妄想は広がっていった。

 ノーパンなはずの彼女は、その後はおかしな素振りも見せず普通に夕方まで講義を受け、友人数人らとキャンパスを去っていった。
 一瞬、尾行することも考えたが、今日は頭に渦巻く妄想のせいで自分の部屋に一刻も早く帰りたかった。

 週末に脅迫者の薄汚いアパートの一室に呼び出された彼女。
 すぐに服を脱がされ、縛られたりもしたかもしれない。
 嫌がる彼女に一方的な性行為の後、四つん這いにされ鞭打たれる彼女。
 ひょっとするとアナルまでも涜されたかもしれない。
 学内のトイレでの自慰行為も体育後のノーパンも命令されてのことであり、スマホでの自撮りや送信を強要されている。

 自分の部屋に着くなり服を脱ぎ捨てた私は、妄想の中の彼女と同化し、卑劣な脅迫者に嬲られ陵辱されるという、私にしては被虐的な自慰行為に没入していった。

 その週の木曜日。
 彼女は友人たちと学食で昼食を取っていた。