2010年10月23日

トラウマと私 10

ゴンゴン、とドアを強くたたく音で目が覚めました。
私は、ベッドの上に座ったまま脱力して、またうつらうつらしてしまっていたようです。

「なおちゃーん、ちょっと鍵、開けてくれないー?」
母の大きな声がドア越しに聞こえました。
私はあわててドアに駆け寄り、鍵をはずします。
とりあえず今は、何もなかったフリでいよう、と決めました。
外開きのドアをそーっと開けると、母が誰か女の人と寄り添うように立っていました。

「ヨシダのおばさまが酔っ払ってしまわれて、ね」
母の肩に腕を絡めてしなだれかかっているのは、昨夜このお部屋に一緒に泊まったおばさまがたのうちの一人でした。
「ベッドに腰掛けさせてあげたいから、なおちゃん、ベッドの上、お片付けしてくれる?」
私は急いでベッドの上をささっと手で払い、たるんでいたシーツを伸ばしました。
ヨシダのおばさまは、へべれけでした。
薄目を開いて、ぐでーっとしたまま、なんだか嬉しそうなお顔をしています。
母がおばさまをベッドの縁に座らせると、そのままコテンと上半身をベッドに倒して動かなくなりました。
すぐにかすかな寝息が聞こえてきました。

「雨が小降りになったから、やっとみなさん、お帰りになり始めたわ」
「ママ、鍵持ってるのだけれど、ヨシダさん支えていたからポッケに手を入れられなくて」
「今夜はみなさん、ほとんどお帰りになるみたい。今夜泊まっていくのはパパの親戚筋のかたたちだけみたいね」
「あのワイン、美味しいから、ママもちょっと飲みすぎちゃったー」
母は、着替えをしながら脈絡の無いお話を投げかけてきます。
私の返事は別に期待していないみたいです。

「昼間のマイクロバスで全員、駅まで送ってくださるんだって」
「そうそう、さっきのカミナリさま、スゴかったわねー」
「きっと近くに落ちたのよ」
「今夜このお部屋に泊まるのは、ヨシダさんと私たちだけだって」
お酒のせいでだいぶテンションが上がっているみたい。

黒いワンピースから生成りなコットンのシンプルなワンピースに着替え終えた母は、言葉を切って、まじまじと私の顔を見つめてきました。
「なんだかなおちゃん、ちょっと顔色、悪いわねえ。まだ気持ち悪いの?」
「ううん。そんなことないけど・・・」
母の口から、ほんのりアルコールの香りが私の鼻に届きます。
私は、さっきの出来事を誰にも話さないことに決めました。
今さら話しても、もうしょうがないし・・・

「ねえ、ママ。私、お風呂に入りたい・・・」
「うん?」
「寝る前にエアコンのタイマーかけたから、起きたときは切れていて、汗びっしょりだったのね・・・だから、早くお風呂、入りたいの・・・ママと一緒に」
私は、母の顔を上目使いに見ながら言いました。
「そう・・・ママ酔っ払っちゃったから、今日はお風呂、いいかな、って思ってたのだけれど・・・でも、なおちゃんが入りたいって言うんなら・・・つきあってあげよっかー?」
母がニコっと笑って、そう言ってくれました。

「だけど、もう少し、そうねえ、あと30分くらいがまんしてね」
「今は、お帰りになるかたたちや宴会の後片付けで、お屋敷中がバタバタしてるから・・・」
「身内のかたたちばかりじゃなくて、知らない人たちもたくさんいるから、ね・・・」

それから母は、急にイタズラっぽい顔になって声をひそめました。
「前に、大おじいさまの何回目かの法要のときにも、泊りがけで盛大な宴会をしたことがあったんだって・・・」
「そのときにね、夜にお風呂に誰か女性が入っているとき、お風呂覗こうとした人がいるらしいの・・・」
「パパのご親戚筋の女性のみなさんは、美人さんばっかりだからねえ・・・」
「だから、なおちゃんも今お風呂に入ると、覗かれちゃうかもよ?」
母が冗談めかして笑いました。
私は全然、笑えません。

母は、そんな私の表情には無頓着にお話をつづけます。
「昨夜もリョーコさんたちがお外で見張っていてくれたのよ、私たちがお風呂に入っているとき」
「リョーコさん、て?」
「パパの妹さん。ほら、さっき、なおちゃんにワインを勧めてくれたおじさまがいたでしょう?あの人の奥様。とてもお綺麗なかたよ」

昨夜使わせていただいたお風呂は、すごく広くて立派で、檜造りのすごく大きくていい匂いがする浴槽で、まるでどこかの温泉宿みたいでした。
お庭に面したところが大きな曇りガラスの窓になっていて、開けたら露天風呂みたくなるねー、なんてのんきに母と話していました。

「昨夜もお通夜に来られたお客様が何人か、夜になってもお庭でブラブラされてたでしょう?」
「リョーコさんとパパが窓のところでおしゃべりしながら、ヘンな人が近づかないように見張っていてくれたんだって」

「それにしても、男の人ってお酒入ると子供みたいになっちゃうのねえ」
母が何か思い出したみたいにクスクス笑いながらつづけます。
「さっきも酔っ払った何人かの人たちがワイシャツとか脱ぎ出しちゃって・・・中にはズボンやパンツも脱いじゃう人がいてね」
「ヘンな踊りを踊りだすの・・・もう可笑しくて可笑しくて」
母は口元を押さえてクツクツ笑っています。
「なおちゃん、いなくて正解だったわよ」

「ねえママ、宴会の人の中にランニングシャツの人はいた?」
私は、思わず聞いてしまいました。
「うーんと、みなさんワイシャツ脱いだらランニングシャツだったわねえ・・・でも、ランニングシャツがどうかしたの?」
「・・・ううん・・・なんでもないけど・・・」
その中にスゴク毛深い人はいた?
とは、やっぱり聞けませんでした。

母は少し訝しげな顔をしていましたが、突然、明るい声で言いました。
「そうだ!なおちゃん。シャワーでいいなら、このお部屋で浴びれるわよ」
「えっ?」

「ここのところをね・・・」
お部屋のドアのところまでスタスタ歩いていった母は、お部屋の突き当たりの木製の壁の端っこに手をかけてスルスルっと横に開きました。
今まで壁だと思っていた向こうに、またお部屋があるみたいです。
私も母のところまで歩いていきます。

そこは、一段下がってタイル敷きになっていて、その向こうに8帖くらいの空間があり、半分がトイレとシャワー付きのユニットバス、廊下で仕切って半分が流しやオーブンレンジとか小さな冷蔵庫が置いてある簡易キッチンみたいになっていました。
「なおちゃんに、ここにおトイレがあるの、教えてなかったけ?」
私は、このお屋敷に着いたときに教えてもらった、母屋のお風呂場のそばにあるトイレに、いつもわざわざ渡り廊下を歩いて通っていました。
「そっかー、ごめんね。お湯が出ることは昨夜確認したから、今すぐ入りたいなら使わせてもらえば?」
「うん」
「パパはね、ここに住んでいるときは、ほとんどこの離れにこもってて、よっぽどの用事で呼ばれない限りめったに母屋には顔を出さなかったらしいのよ」
母は、何が可笑しいのか、嬉しそうにまたクスクス笑いながら、冷蔵庫から日本茶のペットボトルを取り出しました。

「ねえママ、何かパジャマ代わりになるものある?このTシャツ、汗かいちゃったから、もう着たくないの・・・」
母は、自分のバッグをガサガサやって、丈長めのあざやかなブルーのTシャツを貸してくれました。
母がいつも付けているコロンのいい香りがします。
私は、それと新しいショーツを持ってバスルームに入りました。

シャワーを最強にして、熱いお湯にしばらくからだを打たれました。
さっきの感触をすべて、できれば記憶ごと、洗い流して欲しくて仕方ありませんでした。
でも、目をつぶっていると瞼の裏に、さっきの場面がまざまざと浮かび上がってきてしまいます。
私は、イヤイヤをするように激しく顔を左右に振ります。
気を取り直して、タオルに石鹸を擦り付けてゴシゴシゴシゴシ、首から下全体をしつこく洗いました。
乳首を擦っても、股間を洗っても、えっちな気分になんて微塵もなりませんでした。
ついでに、さっきまで着ていたピンクのTシャツと穿いていたショーツも丹念にゴシゴシ洗います。
ワインの酔いも、もうすっかり消えてなくなっていました。
髪も洗って、ぬるま湯にしたシャワーを頭から全身に浴びていると、すこーしだけだけど気分が落ち着いてきました。


トラウマと私 11

2010年10月18日

トラウマと私 09

目が覚める寸前まで、すごくえっちな夢を見ていました。
それは、ミサコさんたちがお泊りに来た約2週間前のあの日、お昼寝したときに見た夢と似ていました。
ただ、不思議なことに、まったく気持ちいいとは思えない夢でした。

私のからだをさわっているのは、オオヌキさんやともちゃんの手ではなくて、なんだかもっとザラザラした感触の何かでした。
私は全裸で、なぜだかからだが動かせません。
M性の強い私ですから、今までにも何度か同じような状況の夢は見ていました。
からだが動かせなくて身悶えしながらも、いつしかそのやさしい愛撫に負けて気持ち良くなっていく、というのがパターンでした。
けれどこの日見た夢は、違っていました。
私は、必死にもがいて、その手から逃げ出そうとしていました。
ザラザラした何か、による愛撫がすごくイヤな感じだったんです。

動かないからだを必死にくねらせて、その愛撫から逃れようとします。
それでも、その何かは執拗に私のからだを撫で回してきます。
「やめて、やめて、やめて・・・」
声を出そうとしているのですが、なぜだか声も出せません。
「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ・・・」
私はそう叫んでいるつもりなのに、夢の中では、
「うーん、うーん、うーん、うーん・・・」
という呻き声にしかならないのです。
私は、もうそれ以上どうにも耐え切れなくなって、最後の力を振り絞りました。
「やめてーーーーーーーっ!」
叫べた、と思った瞬間、両目がパチっと開きました。

真っ暗でした・・・
今、自分がどこにいるのかわかりません・・・
一瞬の間を置いて、ザーーっというラジオのノイズみたいなのが私の耳にフェードインしてきました。
そうだ、ここは父の実家のお部屋で、聞こえているのは雨の音、私はベッドの上、私はワインを飲んで・・・

次の瞬間、私のからだの異常に気がつきました。
私は、ベッドに仰向けに寝ていました。
掛けて寝たはずのタオルケットがありません。
パジャマ代わりのTシャツが首のところまでまくり上げられていました。
ショーツが両膝までずり下げられていました。
全身汗まみれでした。

えっ!?
ちょ、ちょっと、なに、これ・・・
と、同時に鼻をつく、酸っぱいような、生臭いような、不快な臭いに気がつきました。
愛ちゃんに連れていってもらって覗いた真夏の運動部の更衣室みたいな臭い・・・

私は、からだを起こそうとしました。
その瞬間に何か、たぶん生き物、の気配を近くに感じました。
ベッドの傍らに・・・誰かいる・・・

そのとき、激しい稲妻がピカピカピカーッとベッド脇の窓から射し込んで、ベッド付近を数秒、明るく照らしました。
ベッドの傍らに立っている、誰か、の姿が闇にくっきりと浮かび上がりました。

太い二本の脚は、太腿のいたるところまで毛むくじゃらでした。
がっしりとした腰まわりから脇腹も引き締まった、筋肉質っぽい体型でした。
おへそから上は、窓から射し込んだ閃光の陰になってしまい、よく見えませんでした。
白っぽいTシャツ?ポロシャツ?をおへその上までまくっていました。

そして・・・

軽く開いた両太腿の付け根の間から、お腹とほぼ平行にまっすぐに天を突いてそそり立つ、太いゴツゴツした棍棒のような物体が生えていました。
それは、何か禍々しい爬虫類のように全体にゴツゴツしながらもヌラヌラとぬめっていて、先のほうで一回くびれていました。
根元のほうは、三分の二くらい硬そうなもじゃもじゃの毛でびっしりと覆われていて、その毛は、お腹をつたい、おへその上までつながっていました。
棍棒の先のほうは、まさに大きな亀の頭そっくりで、濡れてテラテラと赤黒く光っていました。
膝から下もよく見えませんでしたが、どうやら下着、たぶんブリーフを自分の膝のところまで下げているようでした。

嫌な生臭さが一段と強くなりました。

稲妻の光が消えてお部屋に暗闇が戻ってきたとき、その何者かが、
「うわっ!」
と小さく低く声をあげました。
それと同時に、私の裸の左脇腹に、傍らに立つ何者かから垂れてきたらしい液体が一滴、ポタりと落ちました。

私がありったけの声で悲鳴を上げるのと、凄まじい音の雷鳴があたり一面に響き渡るのと、同時でした。

雷鳴が響くと同時にまた、鋭い稲光が窓に走りました。
ベッドの傍らにいた男は、ガサガサっと大きな音をたててその場を飛び退き、ズボンをずり上げながら脱兎の如くドアから出て行く後姿が、稲光のおかげで見えました。
上半身は、白いランニングシャツでした。

私がもう一度悲鳴をあげようしたとき、再びバリバリバリと更に大きな雷鳴が轟きました。
私は、盛大にビクっとして、タイミングを逸してしまいました。

それでも、あわてて上半身を起こし、両手で裸の胸をかばいます。
汗なのか、何なのか、おっぱいからお腹にかけてヌルヌル、ベトベトです。
悲しいことに、乳首が勃っています。

急いでアソコに手をやります。
じっとりと湿っています。
でも、アソコに何か入れられたりは、していないみたいです。

ショーツを上げて、ベッドに座り直して、しばらく脱力してしまいました。

頭の中では、今すぐ母のところへ行って今のことを話して、犯人を捕まえてもらわなければいけない・・・
と、わかっていました。
でも、からだが動きませんでした。
ショックが大きすぎました。
初めて間近で見た・・・大人の男性のアレの・・・

あんなにグロテスクなものだとは、思っていませんでした。
私が見たことあるのは、子供の頃見た小学生のと保健の教科書に載っていた解説図。
いわゆる勃起した状態のソレは、見たことありませんでした。

初めて見たソレは、禍々しすぎました。
邪悪で汚らしい、どこか遠い星から侵略に来た巨大水棲生物の触手のよう。
大人になって恋愛したら、愛情の確認として、あんな醜悪な、あんな気味の悪いものを私のアソコに受け入れなくてはならないのでしょうか?
第一、私のアソコにあんな太くてゴツゴツしたモノが入るわけありません。

稲妻がピカッと光るたびに、今さっき見た場面がフラッシュバックします。
鼻をつく臭いまで甦ります。
そのたびに私は、両目をギュッとつぶって両膝に顔を埋めます。
つぶった両方の瞼の裏にも、その場面が鮮明に焼き付けられてしまっていて、私には逃げ場がありません。

とりあえず一刻も早く、この汚されたからだをシャワーでキレイに洗い流そうと思いました。
シャワーを浴びよう、と思ったとき、ここが自分の家ではないことに気がつきました。
あまりに気が動転していて、お部屋の電気を点けることもエアコンを入れ直すことも忘れていました。

手探りで天井の灯りからぶら下がっている紐をひっぱると、見慣れないお部屋が目の前に広がりました。
そう、ここは父の実家の父のお部屋でした。
エアコンもつけます。
エアコンが止まっていたということは、ベッドに入ってから一時間以上は経っているはずです。

そうだ、シャワーだった。
バスタオルを出そうと思って手が止まりました。
お風呂場は昨日、母と一緒に入ったから場所はわかっています。
でも、もしも私が一人で入っているのを知って、あの男がまたやって来たら・・・

私は、Tシャツをまくり上げて、胸とお腹と背中を乾いたバスタオルで入念に拭きました。
それから、ショーツを少し下げて下半身も入念に拭い、またショーツを穿き直しました。
エアコンが効いてきて、汗が引いていきます。

母も同室のおばさまたちの誰も、まだお部屋に帰って来ないということは、まだ宴会がつづいているのでしょう。
さっきのすごく大きな雷鳴も宴会の喧騒に紛れてしまったのでしょうか。
私の悲鳴も・・・

今、母のところに行って、これこれこういうことがあったと訴えたとします。
母の性格ですから、絶対うやむやにはせずに、徹底的に犯人を捜すでしょう。
父は、実家とあまり折り合いが良くないみたいです。
今日は、父のお父様のお葬式です。
そんな状況で、宴会の真っ最中にヘンな騒ぎをおこしてしまったら・・・

私は、どうすればいいのか、まったくわからなくなってしまいました。

窓の外では、雨がザーザー降りのようです。
雷様は、おさまったみたい。
私は、窓のカーテンをピッタリと閉めました。
お部屋のドアの鍵もかけました。

私は、このお部屋から出られなくなってしまいました。
ベッドの上に正座で座りました。
私には今、母だけが頼りです。
「早く帰ってきて・・・ママ・・・」
涙が一粒、ポタリと落ちました。


トラウマと私 10

2010年10月17日

トラウマと私 08

顔を真っ赤にした小柄なおじさまが空のコップ片手に一人、フラフラと私たちのほうにやって来ました。
おばさまたちにビールを注いでもらって、しばらくワイワイやっています。

そのうちに、いつのまにか私と母のお膳の前に座り込んで、声をかけてきました。
「おやぁ、直子ちゃん。大きくなったねえ」
真っ赤な顔をニコニコさせています。
お腹が突き出た小太りの典型的な中年のおじさまです。
まん丸いツルツルした愛嬌のあるお顔で、悪い人ではなさそうです。

「何年生になったの?」
「中二です・・・」
うつむきがちに答える私。
やっぱり、知らない大人の人との会話は苦手です。
「直子ちゃんも、ママに似て美人さんだねえ」
私は、恥ずかしくなってうつむきます。
「おじさんのこと、覚えてる?」
私に顔を近づけて覗き込もうとするおじさまに、まわりのおばさまたちが、
「ほら、なおちゃん、困っちゃったじゃない」
「なおちゃん、酔っ払いは嫌いだってさー」
「あんた、ちょっと飲みすぎだよっ」
と笑いながらおじさまを叱って、助けてくれました。

おじさまは、乗り出していたからだを戻して、照れ笑いをしながら薄い頭を掻いています。
それから、イタズラっぽく笑ってこんなことを言いました。
「そうだ、直子ちゃん。ワイン飲んでみる?美味しいよ」
まわりのおばさまたちは、
「またあんたはっ!何考えてるの?」
「子供にお酒すすめて、どうするのっ!?」
と今度はさっきより真剣な口調で、口々におじさまを叱ってくれました。

私は、飲んでみたいな、ってなぜだか思いました。
母の顔を見ます。
「なおちゃん、飲んでみたい?」
私は小さく頷きます。
ちょっと考える風をしてから母は、
「それなら、いただいてみれば?帰るのは明日だし、今夜はゆっくり寝れるし、ちょっとなら大丈夫でしょう。何事も経験よ」
と言って、私の頭に軽く手を置きました。

嬉しそうな顔になったおじさまは、お部屋の端のほうに置いてあるクーラーボックスから、わざわざまだ口の開いていない白ワインのボトルを持ってきてくれました。
オープナーでコルク栓をくるくると開けてくれます。

「これは、すごくいいワインだよ」
言いながら、大きめのワイングラスに半分くらい注いでくれます。
「これはね、おじさんがケチなんじゃないんだよ。ワインはね、香りも楽しむお酒だから、一度にたくさん注いじゃいけないの」
「ワイングラスの半分ちょっと下くらいがベストやね」
「それで、飲むときは、グラスのこの脚のところ持つんだよ。それがエレガントなレディのマナー」
おじさまが得意げに説明すると、またおばさまたちから、
「あんたの口からマナーなんて言葉、聞きたくないねっ!」
「いつもそんなこと言って、飲み屋で女の子たぶらかしてんでしょ?」
「リョーコさんに言いつけるわよっ!」
いっせいにイジメられています。
このおじさま、おばさまたちに人気あるみたい。

受け取ったグラスを言われた通りに脚のところを持って、母の顔を見ました。
母が頷きます。
私は、おそるおそるグラスを自分の唇に近づけていきます。
その場のみんなが私に注目しています。

葡萄のいい香りが私の鼻をくすぐります。
唇についたワイングラスを少し上に傾けると、冷たい液体が口の中に流れ込んできました。
酸っぱくて、ちょっと苦くて、かすかに甘味もあって。
美味しいと思いました。

「どう?」
おばさまの中の一人が聞きます。
「・・・美味しいです、とても」
小さな声で答えます。
「そう。やっぱりなおちゃん、お母さん似ねー」
「このあと、からだがポカポカして気持ち良くなってくるから」
「でも、本当は20歳になるまで飲んじゃいけないのよ」
おばさまたちがまた、いろいろ言っています。
母も微笑みながら私を見ています。

その間に、グラスに残っている液体をゆっくりと飲み干しました。
「もう一杯飲むかい?」
空になったワイングラスを見て、おじさまが調子に乗って聞いてきます。
私は、また母の顔を見ました。
母は、今度はきっぱり首を左右に振りました。

それが合図だったかのように、その場の話題は私から離れて、おばさまたちがまた違う話題でおしゃべりし始めます。
おじさまも立ち上がって、私にヒラヒラと片手を振ると、またフラフラと他のグループのほうへ歩いて行きました。

その姿を見送りながら私は、顔が急激に火照ってくるのを感じていました。
からだ中がポカポカしてきて暑いくらいです。
そして、なぜだか急激に眠くなってきました。

「あらー、なおちゃん、顔真っ赤」
母の声で、目が開きました。
どうやら、その場で数分間うつらうつらと居眠りしてしまっていたようです。
「あらあら、なおちゃん、お部屋に戻って、しばらく横になってなさい」
「・・・うん」
私は、立ち上がろうとしますが、からだ全体に力が入りません。
胸の鼓動がすごく早くなっている気がします。
「しょうがないわねー。初めてのお酒だし、ま、仕方ないか」
母は、私の片腕を肩にかけて抱き起こしてくれました。
「ちょっと、直子を部屋で休ませてきます」
おばさまたちにそう告げて、私をよいしょっとおぶってくれました。

「なおちゃん、知らない間にずいぶん重くなったわねえ」
母は、そんなことを言いながら、私を背負って渡り廊下をゆっくり歩いていきます。
母におんぶされるのなんて、何年ぶりなんだろう?
私は、猛烈に眠たい頭ながらも、すっごく嬉しく感じていました。

お部屋に着くと、なんとか一人で立てました。
「ちゃんとお着替えしてから、ベッドに入りなさいね。そのまま寝たらワンピース、シワシワになっちゃうから。一人でできる?」
母がやさしく聞いてくれます。
「うん。なんとかだいじょうぶみたい。ママありがとう。ごめんね」
「一眠りして、具合良くなったらまた、一緒にお風呂に入りに行きましょう。ママ、もう少し宴会のお付き合いしてくるから、何かあったら呼びにきなさい」
「はーい。それじゃあとりあえずおやすみなさーい」
「はい。おやすみ」
母は、ゆっくりとお部屋を出て行きました。

私は、少しよろけつつ、ワンピースを脱いで、胸もなんだか息苦しいのでブラジャーもはずしました。
全身がほんのりピンク色に火照っていました。
パジャマ代わりに持ってきていた丈長め、ゆったりめのピンクのTシャツを頭からかぶります。
エアコンのタイマーを一時間にセットして、電気を消してベッドに潜り込みました。
ベッド脇にある大きなガラス窓を、強風に吹かれた雨が時折強く打ちつけているようで、パラパラと音がします。
雷鳴は聞こえませんが、稲妻がときどき光っているみたい。

「カーテン閉めたほうがいいかなあ・・・」
なんて思いながらも、ズルズルと眠りの淵に引き摺り込まれていきました。


トラウマと私 09