2011年6月26日

しーちゃんのこと 15

私が参加している文芸部は、三年生が4人、二年生が3人、一年生が4人という小じんまりな規模の部活動でした。
先輩がたはみんな、おっとりした感じのやさしくてキレイなかたばかりで、部会のときはお菓子とか持ち寄って、まったりと好きな小説や作家さんのお話をする、みたいなのんびりホンワカした雰囲気でした。
でも、去年作った機関誌を見せてもらったら、人気アニメの主人公を借りた二次創作のBLもので、かなりアブナイ描写のあるお話があったり、すごく意味シンな言葉が並ぶ詩が掲載されていたりして、意外とムッツリさんの集まりなのかもしれないな、なんて思いました。
私も人のことは言えないですけど。

文化祭で頒布する機関誌では、私は、見開き2ページ分を埋めるノルマをいただきました。
エッセイでも、小説でも、詩でも、マンガでもイラストでも何でもいい、って言われて、かえって迷ってしまいました。
最初は、夏休みに行ったヨーロッパ旅行の紀行文を書いてみようかと思い、考えがまとまらないまま書き始めたのですが、一通り書き終えて読み返したら、なんだか小学生が書いた遠足の感想文みたいになっていて、ひどく落ち込みました。
そこでウンウン唸りながら構想を練って、今度は、私の大好きなビートルズがアルバムジャケットにして有名になった横断歩道を歩いたときのお話に絞って、自分が好きな曲やそれにまつわる思い出とかとからめて書いてみたら、なんとなくエッセイっぽい感じになりました。

部会のたびに、先輩がたからアドバイスをもらい文章を改め、なんとか締め切りまでに間に合わせることが出来ました。
とくに、去年まで部長だった麻倉さんという三年生の先輩が、絵に描いたようなお嬢様、っていう感じのかたで、いつもたおやかな笑顔で適切なアドバイスをくれて、本当に助かりました。
気恥ずかしかったらペンネームを使っても良い、ということでしたが、自分でもかなりうまく書けたと思ったので、本名で掲載することにしました。

そんなこんなで晴天の空の下、文化祭が始まりました。
一日目はクラスのお教室で、しーちゃんとお揃いの淡いグリーンのエプロンを制服の上にかけ、ヤキソバを焼きまくりました。
お役目の合間にしーちゃんや中川さんたちと他のクラスの展示を見たり、校庭に並んだ屋台で買い食いしたりして文化祭の雰囲気を満喫しました。
さすがに由緒ある学校の文化祭だけあって、外来のお客様もたくさんお見えになっていて、プラカードを掲げた着ぐるみのパンダさんやカエルさんが校庭を右往左往し、小さな子供たちが駆けずり回る人混みの中、ナンパらしく声をかけてくる他校の男の人たちのお誘いを丁重にお断りしつつ、いつもの学校とはまったく違う非日常的な空間を楽しみました。

文化祭初日は午後六時で終了となり、久しぶりにしーちゃんと二人で帰りました。
「さすがに高校の文化祭はスケールが違うヨネー。お化け屋敷も凝ってたし、クイズ大会も楽しかったー」
「ヤキソバも好評で、明日は材料足りなくなりそうだって」
「今日はちょこっとしか部のほうには顔出せなかったから、明日はしっかりお手伝いしなきゃナー」
しーちゃんも私もすっかりコーフンしていました。

「そうそう、なおちゃん。明日、そうだなー、1時から2時くらいの間に美術室に来てネ。なおちゃんにぜひ、見せたいものがあるんだ」
「へー。何?何?」
「それは言っちゃったらツマンナイから内緒だヨー。それにうちの先輩たちもなおちゃんに会いたがってるヨ」
「え?なんで?」
「だってなおちゃん、痴漢を捕まえた我が校の英雄だもん。ワタシの親友です、って先輩たちにいっぱいイバっちゃった」
しーちゃんがニコニコ顔で私の手を取りました。
「だから絶対、来て、ネ?」
「うん」
わたしもしーちゃんの手を握り返しながら返事しました。
「明日は演劇もあるし、友田さんのステージもあるし、楽しみだネー」

次の日は、世間的には休日の日でしたが、朝早くから学校に行き、クラスのお教室に顔を出してから部室に向かいました。
午前中いっぱいは図書室で、バザーのお手伝いや来訪されたお客様のお相手をしました。
愛ちゃんとあべちん、ユッコちゃん、そして曽根っちとカレシの人も、みんな別々にでしたが、遊びに来てくれました。
曽根っちとカレシの人は、ラブラブ真っ只中っていう感じですっごくシアワセそうでした。

午後になって自由時間をもらった私は、美術室に足を向けました。
美術室の扉は、西洋のお城みたいな雰囲気に綺麗に飾られていました。
正面に流麗なレタリング文字で、
『●●女子高校名物!!喫茶 紅百合の城 美術部』
って描いてあります。

その下に、CAUTION!、として、
『男性のみでのご入城は、固くお断りいたします。カップルさんなら可!』
って、ポップな書体の但し書きが貼ってありました。

入口の荘厳な感じと、名物!!っていう俗っぽい単語とのギャップが可笑しくてクスクス笑いながらドアを開けました。
「いらっしゃませぇぇ~~」
複数の女の子たちの無理矢理揃えたような華やいだ声に迎えられました。

室内は、少し薄暗い感じで、真っ白なクロスをかけたテーブルが数卓置かれ、それぞれにLEDの青い光が灯っています。
窓や壁には、ステージの緞帳のようなエンジ色の光沢のある布が何枚も垂れ下がり、その間に展示品の絵画や彫刻がまるで美術館のように、下から白い光を当てられて飾ってありました。
天井の蛍光灯も隠されて、代わりにシャンデリア風の照明や豆電球が吊るしてありました。
ゆるやかにたなびいているモーツアルトのピアノ曲。

何よりも驚いたのは、美術部員らしい人たちの衣装。
ざっと見回してお客様らしい人たちが10数人、今日は休日ですから思い思いの私服を着て、テーブルでお茶を楽しんだり、展示物を熱心に見たりしています。
全員女の子ばかり。
そのお相手をされているのが美術部員のかたたちだと思うのですが、そのかたたちの衣装がスゴイんです。

本格的なフレンチメイド服の人、ベルバラみたいな中世風衣装の人、タカラヅカ風男装の麗人、ピンクのナース服、裾が大きく広がったお姫様ドレス、人気アニメのセーラー服コスプレ・・・
ドアを閉めるのも忘れてしばしたたずんでしまいました。

「あっ、なおちゃん!来てくれたんだっ!」
私が入口で呆然としていると、奥から声がかかり、黒地に青のフリフリがキュートなゴスロリドレスを身にまとったニーソックスの女の子が、私のほうに駆けてきました。
「しーちゃんっ?」
「えへへー。前になおちゃんのお母さまにいただいたこのドレス、人前で初めて着ちゃった。どう?似合う?」
「うん。すっごくカワイイ。へーー。すっごく似合ってる!」
私の母は、以前からしーちゃんには絶対、ゴスロリが似合うと主張していて、私たちがこの高校に入学が決まったとき、お祝いにって、3人ではるばる都心までお買い物に出かけ、母が見立ててプレゼントしたものでした。
買ったその日に、私と母の前では着て見せてもらったのですが、学校の美術室でその姿を再び見るとは、思ってもいませんでした。

「しのぶさん、大きな声をお出しになって、はしたないわよ?」
艶やかな白のローブデコルテにレースのショールを纏ったスタイルの良い女性が、優雅な足取りで私たちのところへ近づいてきました。
「ごめんなさい。オガワお姉さま。ワタシ、ついはしゃいでしまって・・・」
しーちゃんもお芝居っぽく返しています。
「こちらがアナタのご学友のモリシタさまなのね。しのぶさん、ワタクシにぜひご紹介してくれませんこと?」
オガワお姉さま、と呼ばれた女性が私を見つめてニコッと笑います。
「レディたち、何をそこでコソコソやっているんだい?」
盛大にお芝居がかった声を出しながら近づいてきたのは、タカラヅカ風男装の麗人の人でした。
「あ、トリゴエお姉さま。ちょうどいいところへいらしたワ。こちらが先日お話していたモリシタさんですの」
しーちゃんは、半分吹き出しながらも、お芝居っぽく返しています。

しーちゃんが私の耳に唇を近づけてささやきます。
「ごめんネ。この空間は上流貴族の社交パーティっていう設定なのネ。だからああいうお上品ぶったしゃべり方が義務づけられてるの。テキトーに合わせといて、マリみてみたいな感じで」

私の耳からお顔を離したしーちゃんが先輩がたのほうへ向いて言いました。
「みなさん、ご紹介します。こちら、ワタシの親友のモリシタナオコさん。モリシタさん、こちら、二年生のオガワサトミお姉さま」
オガワさんが一歩前に出て、レースの手袋をした右手を差し出してきます。
「おウワサはかねがね、おうかがいしていましたわ。小川です。お会いできて光栄だわ」
私もオガワさんの手を軽く握り、
「こちらこそ、お会いできて光栄です。よろしくお願いします」
その場の雰囲気に合わせるつもりで、バレエの演技が終わったときにやるレヴェランス、片脚を軽く後ろに引いて、もう一方の脚の膝を曲げるお辞儀の動作、をスカートの布をちょこっとつまんで軽い感じで付け加えると、みなさんのお顔が、おぉっ!っていうふうになりました。

「こちらは、三年生のトリゴエキヨミお姉さま」
男装の麗人の人です。
S字を横にしたようなお鼻の下のおヒゲは、墨か何かで肌に直接描いているようです。
「アナタは勇敢な女性だとしのぶさんから聞いています。それにノリもいいようだ。はははは」
トリゴエさんがお芝居笑いをして、私の右手を強く握ってきました。
私はまたご挨拶してレヴェランス。

「そしてこちらが二年生のニノミヤクリスティーナお姉さま」
いつの間にか、しーちゃんの右横にもう一人女性が立っていました。
私より5センチくらい身長が高くて、ふうわりした柔らかそうな髪を両肩に垂らした瞳の大きなキレイな女性。
この人が・・・

お顔から視線を落としていくと、ニノミヤさんは、男物らしい大きめの白い長袖ワイシャツを腕まくりして着ていました。
胸元のボタンが3つはずれていて、その下に大きめに開いた襟ぐりの白い肌と水着と思われるグリーンの布地が見えます。
ザックリしたシャツのシルエットのため、バストはあまり目立ちませんが、充分に大きそう。
シャツの裾が膝上10センチくらいまでを隠して、その下からスラっとした白い生脚が見えています。
足元は、黒い皮のショートブーツ。
すっごくセクシー。

「はじめまして。二宮です。おウワサはしのぶさんからいろいろうかがっていますわ。今日、お話出来るのをとても楽しみにしておりましたのよ」
鈴を転がしたような、という形容詞がまさにピッタリくる、可愛らしいお声でそう言われ、なんだかドギマギしてしまいました。
「森下直子です。今日はお招きいただいてありがとうございます」
ニノミヤさんの右手をしっかり握って、レヴェランスも一番丁寧に決めました。

「はじめましてではないよ、クリス。モリシタさまは、春にしのぶさんと一度ここに来ている。そのときキミもお会いしたはずさ。ボクは憶えているよ」
「まあ、立ち話もあれだから・・・おお、ちょうどあそこのテーブルが空いている。あちらでゆっくりとお話しようではないか」
男装のトリゴエさんが相変わらず芝居ッ気たっぷりな調子でみんなを促し、お部屋奥の大きな丸いテーブルに向かいました。
ニノミヤさんが私の椅子を引いてくれて、5人でまあるくなって腰掛けました。

「今日は、モリシタさまがいらっしゃると聞いていたので、特別に用意させたものがあるの。どうぞ召し上がって」
オガワさんがそう言ってから、近くに居たナース服の人に何か言うと、美味しそうな苺のミルフィーユと紅茶がテーブルに運ばれてきました。

おしゃべりは、私が痴漢を捕まえたときのことが中心でした。
おしゃべりの間、お芝居口調を崩さなかったのはトリゴエさんだけで、他の人たちは、普通の口調に戻って興味シンシンでいろいろ聞かれました。
おしゃべりしている間も、ナース服の人やメイド服の人、ベルバラの人などが入れ替わり立ち代りご挨拶に現われ、トリゴエさんやオガワさん、しーちゃんが誰かに呼ばれて途中で席を立つと、すかさず他の人がやって来て座ってまた質問されたりと、かなり忙しくしゃべらされました。

でも、美術部の人たちはみんなノリが良くて、それでいてどこかしらお上品な感じで、みんな仲が良さそうで、私はすっごく好印象を持ちました。


しーちゃんのこと 16

2011年6月25日

しーちゃんのこと 14

駅員さんが数人やって来て、一番偉いッぽい人が、駅の事務室に行こう、と痴漢の人に言っているようでしたが、痴漢の人は頑なに拒否しているようでした。
痴漢の人は、今は、体格のいい駅員さん二人に両脇からガッチリと腕をとられていました。
その間に別の駅員さんから、私とカップルさんが事情を詳しく聞かれました。

やがてホームに制服姿のケーサツの人が三人現われ、二人が痴漢の人の腕をしっかり掴み、駅前の交番にみんなで移動しました。
私がいつも使っている改札口とは反対側の改札口前にある交番でした。
愛ちゃんもついてきてくれました。
「なおちゃんのお家に電話して、お母さまにも伝えておいたから。すぐ行くって」
「ありがとう」
本当に愛ちゃんは、頼りになります。
「愛ちゃん、ごめんね。陸上の番組、始まっちゃう」
「いいよいいいよそんなの。ケーサツ終わるまで、なおちゃんと一緒にいてあげるから」
私はまた、涙腺が緩んできてしまい、困りました。

交番では、痴漢の人は奥のお部屋に連れて行かれ、私とカップルさんは、婦警さんからもう一度事情を聞かれました。
愛ちゃんは、心配そうに寄り添っていてくれて、ずーっと私の手を握っていてくれました。
サラリーマンさんは、たとえ裁判になっても目撃者としていつでも証言する、っておっしゃってくださいました。

婦警さんは、私のスカートのさわられていたとこらへんにテープみたいのを貼って、布地の繊維を採取していました。
痴漢の人の指先、爪とかから同じ繊維の破片みたいのが出れば、ほぼ100パーセント有罪なんだそうです。
そうしている間に父と母が車でやって来ました。
父は、珍しく早く帰ってきていたそうで、カップルさんに何度も何度もお礼を言っていました。
両親の顔を見て心底ホッとして、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。

カップルさんは、沿線にある同じ会社にお勤めしているそうなのですが、同僚さんたちには内緒でおつきあいしているので、
「今日の騒ぎを同僚の誰かに見られていたら、ちょっとヤバイかもしれないなー」
「でも、そろそろ結婚するつもりだから、バレたらバレたで、それがきっかけになるわよ」
なんて、笑っていました。
なんだかすっごくさわやかな、仲睦まじいカップルさんでした。
ちなみにOLさんのほうが3つ年上なんだそうです。

私は、男性もヘンな人ばっかりじゃなくて、このサラリーマンさんみたいにちゃんとした、カッコイイ人もいるんだな、なんて、ちょっとだけ男性全体を見直したりもしました。

ケーサツの取調べが終わって、カップルさんたちに何度もお礼を言って連絡先を交換してから車に乗り、愛ちゃんをお家まで送って、愛ちゃんのご両親にご挨拶とお礼をして、9時ちょっと前に我が家に戻りました。

痴漢されたことは、すっごくショックでトラウマが甦っちゃうんじゃないか、ってビクビクしていたのですが、今回の痴漢事件は、あんまり後を引きませんでした。
たぶん、みんながすっごく私の行動を褒めてくれたから。

両親からは、怖がらずによくやったと褒められて、愛ちゃんが連絡してくれたらしい、やよい先生からもその夜にお家にお電話をいただいて、盛大に褒められました。
「あたしの言ったこと、ちゃんと憶えていてくれて、実行したんだね」
って言ってくれたときは、嬉しくて泣きそうになりました。

うちの学校の生徒の誰かが、ちょうどあの現場に居合わせていたらしく、翌日の学校でも、うちの生徒が痴漢を捕まえたらしい、と早くもウワサになっていました。
そのときは、その捕まえた生徒が誰だかはまだわからないままで、私もその話題になると、誰なんだろうねー、なんてとぼけていました。
自分から言い出すのがなんだか恥ずかしかったんです。

その日の放課後、担任の先生に呼ばれて、職員室で簡単に事情を聞かれました。
一応ケーサツから学校にも連絡が来たみたいでした。
その後、図書室当番をした帰り道、しーちゃんにだけはお話しました。
しーちゃんもすごく褒めてくれて、私は、なんだか恥ずかしいのでみんなには内緒にしてくれるように頼んでおいたのですが、月曜日の朝、担任の先生があっさりバラしてしまい、クラスのみんなが休み時間に私の席のところに来て、口々に褒めてくれました。

実際に捕まえたのは私ではなく、あのステキなサラリーマンさんなのだけれど・・・

そして、このお話には思わぬオチがつきました。

後日、母がケーサツの人から聞いたところによると、捕まった痴漢の人は、ずっと黙秘をしていたらしいのですが、持っていたカバンを調べたら、どうやら望遠レンズや赤外線レンズで盗撮したらしい、どこかの民家やマンションでの女性の入浴姿や着替えの写真が何枚か見つかったのだそうです。
その後、私のスカートの布地の繊維成分が痴漢の人の爪から検出され、私への痴漢行為も確定しました。
余罪がありそうなので家宅捜索したところ、自分で盗撮したらしいビデオや写真がパソコンとかから大量にみつかったらしいです。
痴漢行為を書きとめた日記みたいのもあったみたい。
盗撮していたのは、全部あの鉄道の沿線のお家やマンションで、そういったことの常習犯だったみたいです。

そしてなんと、この痴漢の人は、私が通っている高校の3つ先の駅にある偏差値高めで進学校として有名な男子高の化学の先生だったのでした。
沿線周辺ではかなりの話題になって、地元の新聞にも結構大きく記事が載ったほどでした。
もちろん、新聞に私の名前は出なかったのですが、少なくとも私のクラスでは、私がその被害者っていうことはすでに知られていました。

記事が出て、一週間くらい後になって、しーちゃんがしーちゃんのお姉さん、うちの学校の生徒会長さん、から教えてもらったお話です。
その男子高のある生徒もその日、たまたま現場に居合わせていて、その男子高でも翌日、化学教師の誰々があの女子高の生徒を痴漢して現行犯で捕まった、っていうニュースが大々的に広まりました。
いつの間にかそのお話にどんどん尾ひれが付いて、その女子生徒が教師の手をグイッとひねり上げて駅員に突き出した、とか、ひねられて教師の右腕の関節がはずれた、なんていう大げさなお話にまでなり、あの女子高つえー、こえー、ってことになって、その男子高生徒と合コンを予定していた、うちの高校の先輩たちに何件も、合コンキャンセルの連絡が相次いだらしいです。
あと、その化学教師は、ネチネチ陰険で粘着質な性格だったらしく、その男子高の生徒からの評判もあまり良くなかったとか。

確かに、その新聞記事が出てからしばらくは、休み時間に知らない先輩たちが私のクラスを訪れて、痴漢捕まえたのってどの子?ってヒソヒソ聞いていたみたいです。
私は、そんな大げさなお話になっているなんてぜんぜん知らず、注目されるのがひたすら恥ずかしくて、ひたすら気づかないフリをしていたのですが・・・
そんな感じで、私は校内で、ちょっとした有名人になってしまっていました。

9月末の中間テストが終わると、その後は体育祭、遠足、文化祭とビッグイベントがつづき、学校内全体が活気づいていました。
とくにこの学校の文化祭は、二日間に渡って大々的に行なわれ、合唱や演劇など毎年趣向を凝らした演目が近隣の一般の人たちにも評判が良く、外来のお客様も多数訪れる地域の一大イベントになっていました。
普段は女子ばかりの学内に、身内以外の男性がたくさん訪れてくる唯一の機会でしたから、慢性のカレシ欲しい病にかかっている大多数の女の子たちがソワソワ盛り上がって、学校全体のテンションが日に日に上がっていくのがわかりました。

私たちのクラスでは、クラスのお教室でヤキソバ喫茶をやることになりました。
お教室内では火が扱えないので、ホットプレートを持ち寄ってヤキソバを作り、ついでにコーヒーや紅茶も出す、ということで、私としーちゃんは、一日目の調理係になりました。

私が所属している文芸部では、機関誌の発行と、図書室で古本のバザーをやります。
中川さんと山科さんがいる演劇部は、講堂のステージで三年の先輩が脚本を書いたオリジナルの演劇をやるのですが、中川さんたち一年生は全員裏方さんで、まだステージには立てないそうです。
軽音部に入った友田さんは、3人組のロックバンドを組んで最終日のステージで2曲歌うそうです。
しーちゃんの美術部は、美術室に部員全員の作品を飾り、喫茶室をやりながらCGで作った絵ハガキなども売るそうです。

文化祭が近づくに連れ、私もクラスのお友達も、毎日部室に顔を出す生活に変わっていきました。
放課後は、クラスでの文化祭準備をしてから、それぞれが所属する部室に向かい、遅くまで部での準備に励むという忙しい日々がつづき、しーちゃんと一緒にまったり下校出来ない日々が何日もつづきました。


しーちゃんのこと 15

2011年6月19日

しーちゃんのこと 13

二学期が始まって少し経ったある木曜日の夜のこと。
バレエ教室のレッスンを終えた私は、愛ちゃんと一緒に帰宅するために駅に向かっていました。
二人、別々の高校の制服姿でした。

「あべちん、はっきりお断りしたみたいだよ」
「へー」
「相手の男、逆ギレ気味だったらしいけど、今後もしヘンなことしたら、あんたの恥ずかしいメール全部、プリントアウトして学校の掲示板に貼り出すからね、って言ってやったら、死ね!ブス!って子供みたいな捨て台詞吐き捨てて、駆け出してったって。なんだかねー」
愛ちゃんが苦笑いを浮かべて教えてくれました。

お教室の発表会が近いため、その準備をお手伝いしていたので、いつもの時間より一時間くらい遅くなって、ターミナル駅に着いたときは7時を少し回っていました。
母にはあらかじめ言っておいたので、門限的な問題はないのですが、別の問題が起こっていました。
駅が大混雑。
2時間くらい前に沿線で人身事故があったらしく、運転再開された直後のようです。
「すごいねー」
「こんな混雑、珍しいねー。乗れんのかなー?」
「ちょっとどっかで時間潰してく?」
「あ、でもあたし今日、8時から絶対見たい番組があったんだ。陸上の大会の総集編」
「そっかー。じゃあ乗っちゃおうか?」

ホームもギッシリ。
こんなに混んでると痴漢とか出そうだから、女性専用車両まで行こうということになったのですが、ホームを進むのもままなりません。
それでも人をかき分け進んでいるうちに、電車がホームに到着しました。
ギッシリ満員状態で、どう見たってこれ以上、乗り込むことは出来そうにありません。
でも、電車のドアが開くと、思った以上にたくさんの人が降りてきました。
ターミナル駅なので、乗り換えのお客さんが多いのでしょう。
ゾロゾロ降りる人の波が途切れると、今度はホームから電車の入口へザザザーッと人が流れ込みます。
人波に押され、私たちも近くのドアに吸い込まれるように飲み込まれてしまいました。
女性専用車両まであと2両というところでした。
愛ちゃんもいるから大丈夫、と思っていたら、いつの間にか隣にいたはずの愛ちゃんの姿が見えなくなっていました。

私は、電車の連結部分のドア横の壁にからだを押し付けられていました。
左手で持っているスクールバッグが壁と自分のからだの腰の辺りの間に挟まれてクッションみたくなっています。
何も持っていない右手は、とりあえず壁にべたっとつきました。
私の左右横は、同じような姿勢の中年サラリーマン。
左肩あたりの背後からぎゅうぎゅう押され、右肩のあたりにかろうじて少し空間がありました。
首を右にひねって見ると、見えるのは誰かの肩や背中ばかり、ドアの窓からの景色さえ見えず、いわんや愛ちゃんの姿をや。
私の右後ろには、OLさんらしいグレイのスーツ姿の女性の背中が見えました。

私が乗り込んだのは、通勤通学時間だけ走っている快速でした。
バレエ教室のあるターミナル駅を出ると、途中駅を二つとばして私の降りる駅まで止まらずに行きます。
こんな混雑ですから、いちいち駅に止まるより一気に走ってくれたほうが時間も短かく済んで助かるかな。
これは、ある意味ラッキー?
そんなことを考えていたら、電車が動き始めました。

電車が揺れるたびに、背後からぎゅうっと押されて、からだが壁に押し付けられます。
さっきから私のお尻、臀部左側に何かがピタッと押し付けられていました。
誰かのカバンか太腿かな?
最初はそう思っていたのですが、そのうち、その押し付けられたものがサワサワと動き始めました。
撫ぜるように、軽く掴むみたいに。
手のひら・・・

痴漢!
一瞬、パニックになりました。
そのスカート越しにお尻を這い回る手の感触は、間違っても気持ちいいなんて種類のものではなく、ゾワゾワと悪寒が何べんも背筋を駆け上ります。
トラウマになっている、あの日の感触にそっくり。
私は、一生懸命腰を引いて、その手から逃れようとしますが、その手はぴったりとお尻に貼り付いて、ますます大胆に動いてきます。
怖い。
助けて。

そのとき唐突に、私がトラウマを受けた後、バレエ教室のやよい先生にご相談したとき、言われた言葉を思い出しました。

「そこでその男に何の負い目も背負わさずに逃がしちゃうと、次また絶対どこかで同じことするのよ、そのバカが」
「それで、また別の女の子がひどい目にあっちゃう可能性が生まれるワケ」
「そのときに大騒ぎになれば、たとえそいつが捕まらなくても、騒ぎになったっていう記憶がそのバカの頭にも残るから、ちょっとはそいつも反省するかもしれないし、次の犯行を躊躇するかもしれないでしょ?」
「もし、万が一、また同じようなことが起きたら、絶対泣き寝入りしないでね。他の女性のためにもね。なおちゃんならできるでしょ?」

逃げちゃだめ。
やよい先生とのお約束、守らなきゃ。

痴漢の対処法は、やよい先生がバレエの合間に教えてくれていました。
大声をあげる。
足を思い切り踏んづける。
さわっている腕を掴まえてひねるようにしながら高く上げる。

足を踏んづけようにも、自分の足もほとんど動かせない状態ですし、私の後ろにある足が痴漢の足とは限りません。
迷っているうちに、お尻を這い回る手は、お尻のワレメのあたりをスリスリし始めました。
まだ電車が走り始めて2分くらい。
次の駅に着くまであと4~5分間もこのままの状態でいるのは耐えられません。

なんとか首を曲げて、左肩越しにいるであろう痴漢の顔を見てやろうと思うのですが、左肩を強く押されていて首が曲げられません。
仕方ないので、反対側の右後方に首をひねりました。

グレイスーツのOLさんの背中肩越しに、OLさんより20センチくらい背の高い、紺のスーツ姿の若いサラリーマンさんが視線を下に落として、こちらを向いていました。
髪をちょっと茶色っぽく染めていて、けっこうヤンチャそうなイケメンさんでした。
OLさんの左手が脇からそのサラリーマンさんの背中に回っていて、OLさんがサラリーマンさんにもたれるように立っているので、二人は恋人同士、カップルさんなのかもしれません。

そのサラリーマンさんがフッとお顔を上げて、私と目が合いました。
サラリーマンさんが私の目をじっと見て、声には出さず、
「ち・か・ん・?」
ていう形に、問い質すようにゆっくり口を動かして、少しだけ首を横に傾けます。
私は、その人の目を見ながら小さくうなずきました。
背の高いあのサラリーマンさんからは、私がさわられているお尻のあたりがきっと見えているのでしょう。
そこに貼りついた手は、今度はスカートの布地をつまんで、ソロリソロリとまくりあげようとしていました。

もうがまんできませんでした。
サラリーマンさんと目があったことで、勇気も湧いてきました。
首を正面に戻して、左手を掴んでいたバッグから離しました。
バッグは私のからだと電車の壁に挟まれているので、下に落ちることはありませんでした。

やめてくださいっ!って大声で叫ぶと同時に、痴漢の腕を掴もう。
そう決めました。

お尻側のスカートの布がスルスルと上に持ち上がっていくのがわかりました。
もう猶予は、ありません。
痴漢の手が中に侵入してきたりなんかしたら・・・

一回深く息を吸って、
「やめてくだいっ!」
ありったけの声をはりあげたとき、
「こいつ、痴漢ですっ!」
後方からも男性の大きな声が聞きこえてきました。
あのサラリーマンさんが、誰かの手首を掴んで高く上に上げていました。
その瞬間、私のスカートも強く引っぱられるようにまくり上げられちゃったみたいでした。

気がつくと、こんなギュウギュウの満員電車のどこにそんな余裕があったのか、私たちのまわりだけ20センチくらいずつの空間が空いていました。
その空間の中にいるのは、私とサラリーマンさんとOLさんのカップルと痴漢の犯人。
サラリーマンさんは素早く痴漢の人を背後から両腕をとって羽交い絞めにしていました。
痴漢の犯人は、白髪まじりで中背、痩せ型の、一見品の良さそうな中年の男性でした。
着ている麻っぽいスーツがちょっとくたびれている感じもしました。

「何するんだっ!冤罪だっ!」
痴漢の人が大声を出して足をジタバタさせています。
「アナタ、お尻さわれてたのよね?」
グレイスーツのOLさんが聞いてきます。
「は、はいっ!」
私は上ずった声をあげて、大きくうなずきました。
「おまえがこの女の子のお尻さわってたの、俺は見てたんだよっ!」
サラリーマンさんが暴れる痴漢を恫喝するように、大声を出します。
「こんなに混んでんだ。もしさわったとしたって不可抗力だ!」
痴漢の人も負けてはいません。
「不可抗力でスカートつまんでまくったりするかい、ボケッ!いい年こいて、恥を知れ!」

まわりの乗客たちが、ある人は驚いたように、ある人は好奇の目で、私たちをジロジロ眺めてきます。
やあねえー、とか、だせーなー、とかヒソヒソ声も聞こえてきます。
みんなに注目されて、すごく恥ずかしいのですが、それ以上にコーフンしていました。
もちろん性的な意味ではなく、何て言うか、正義感的に。

「次の駅でケーサツに突き出すから、覚悟しとけっ!」
サラリーマンさんがもう一度吠えたとき、電車が減速を始めました。
「アナタも一緒に降りてね、面倒だけど」
OLさんがやさしく言ってくれます。
「は、はい。ありがとうございます」
OLさんは、お化粧がちょっと濃い目でしたが、キャリアウーマンぽいお仕事が出来そーな感じのキレイな人でした。

駅のホームに降りると、OLさんが走って駅員さんを呼びに行き、サラリーマンさんは痴漢の人を羽交い絞めにしたまま私と二人で立っていました。
痴漢の人は、観念したのか不貞腐れたのか、大人しくなっていました
ホームに居た人たちが、何事か?みたいな感じで遠巻きに眺めてきます。
愛ちゃんがどこからか駆け寄ってきました。
「痴漢?こいつ?うわー、災難だったねー」
心配そうに私の肩を抱いて、羽交い絞めされている痴漢の人を睨みつけてくれます。
「うん。でも、この人が捕まえてくれたの・・・」
私は、愛ちゃんのお顔を見て、一気に緊張が緩んだみたいで、目頭がジンジン熱くなってきてしまいました。


しーちゃんのこと 14