2021年8月7日

肌色休暇二日目~いけにえの賛美 04

「すげえ…」

 助手席の橋本さまがお独り言みたいにつぶやかれて絶句。
 運転席の本橋さまも前方を見つめて呆気に取られていらっしゃるみたいで、車のスピードが徐行に近いくらいダウンしています。

 緩い上り坂の道をアーチのように囲む左右の木々が徐々にまばらになり、平地になった途端眼前に広がる大庭園。
 敷地を囲う塀とかフェンスは建ってなく、広大なお庭を森の木々たちが遠巻きに囲んでいる感じ。

 庭園の広さはさっきの広場と同じくらい?
 とても丁寧にお手入れされた生け垣で区分けされたスペースごとに木々と植物が端正に配置され、その合間に大きな石や岩を優美に並べたロックガーデン風。
 車道も石畳となり、その行き着く先に聳え立つのが…

「お城?」
「いやちょっと、ヤバいな、コレ…」

 男性がたおふたりが絶句されているということは、おふたりもここを訪れたのは初めてなのでしょう。
 お城と言っても天守閣とか金のシャチホコとか和風な造りではなく、中世ヨーロッパ風味、剣と魔法のRPGでいかにも王様が住まわれていらっしゃいそうな佇まい。

 正面玄関とおぼしき大きな扉の前に広い石の階段が三段あって、玄関部分が手前へと、長方形に盛大に出っ張っています。
 出っ張り部分と建物の一番高い部分の屋根は半円のドーム状。
 出っ張りの左右にも凸の字を逆さにした形に建物が横に広がっています。
 ただ、二階建てなのか三階まであるのか、高さはそれほどではなく塔のような高い施設も隣接していないので、お城というより宮殿という印象かな。

「こんな建物、建てちゃうやつがいるんだ」
「見た感じずいぶん年季入っているみたいだから、けっこう昔に建てられたんだろうね」
「大金持ちっていうのは、いつの時代にもいるんだよな」
「この辺りにこんなヤバイ別荘があったなんて、全く知らなかったよ」

 ご興奮気味な運転手席側のおふたり。
 私も呆気にとられています。

「でもさ、なんとなくちょっと昔の、田舎の国道沿いとかにありがちだったバブリーなラブホ的テイストも感じなくね?」

 ずいぶん失礼なことをおっしゃるのは橋本さま。

「いや、そんなにセンス悪くないよ。このお庭とか建物の感じとか、ゴシックとかルネッサンスとかバロックとか、史実に沿っていろいろ考えられている気がする…」

 なぜだか真剣に擁護に回られる本橋さま。

「こんな山間の別荘地にこんなの建てちゃうなんて、金だけじゃなくて権力も相当持っていないと無理だよな?」
「うん。それにこのメルヘン寄りなデザイン、男だけの発想じゃない気がする。惚れた女にねだられてイイ格好したくて、とかだったりして」
「ああ、ありうるわな。金に糸目はつけないって言われて、設計任されたデザイナーが暴走しちゃった感じ?」

 なんだか嬉しそうにおふたりで妙にご納得されいるご様子。
 そうこうしているうちに車が玄関前までたどり着きました。
 橋本さまがエンジンをお切りになると、お待ちかねたように我先にとドアを開けられたお姉さま。
 私も手を引かれ、丁寧な幾何学模様が優美に描かれた石畳に降り立ちます。

 ワンッ!

 向かって左側の木立の陰のほうからワンちゃんが一声吠えるお声が聞こえた、と思ったら、茶色くて大きなワンちゃんがお姉さまに飛びかかってきました。
 あっ、と思う間もなくワンちゃんに後ろ足立ちでしがみつかれたお姉さま。
 お姉さまも中腰になられ腕と言わず顔と言わず、ワンちゃんにベロベロ舐められています。

「ジョセもやっぱり来ていたんだねー。ほぼほぼ一年振りなのに覚えていてくれたんだ?どう?元気だった?」

 とても嬉しそうなお姉さま。
 ワンちゃんのフサフサなしっぽも千切れそうなくらいブンブン振られています。
 盛んに飛びついてくるワンちゃんの頭や首や背中をワシワシ撫ぜながら、お姉さまがご紹介してくださいます。

「この子はジョセフィーヌ、先生の数年来のパートナー。会う度に大歓迎してくれるの」
「ジョセ?こっちはあたしのパートナーの直子、よろしくね。あ、首輪の色がおそろいじゃない」

 ご指摘されてあらためて見ると、確かに首輪の色も形も私が嵌めているのとよく似ています。
 お姉さまが指さされる私を見つめられ、束の間思案顔だったワンちゃんが、今度は私めがけて飛びついてきました。

「あんっ!」

 ワンちゃんのしっぽが相変わらずブンブン振られていますから敵意は無いのでしょう。
 思わずしゃがんでしまった私の両肩に前足を乗せてこられ、顔をベロベロ舐められます。

「おお、ジョセも直子のこと気に入ってくれたみたいね。これから数日だけれど、よろしくね?」

 お姉さまがワンちゃんに語りかけられると、すぐさまお姉さまにまとわりつかれるワンちゃん。
 私の顔はワンちゃんのよだれでベトベト。

「直子も怖がらなくていいわよ。この子は今年確か三歳か四歳のとても賢い女の子。先生が愛情たっぷり注ぎ込んでいるパートナー。この子の犬種、わかる?」

 お腹を見せて寝転がっちゃったワンちゃんとじゃれ合われているお姉さまから突然クイズのご出題。
 えっと、テレビで見たことあって、確か人間のためにもすごく役立って盲導犬にも多い犬種で、お名前が何かSFっぽい感じで…そうだ、レが付くんだった、レ、レト、あ、レトリバー!

「あの、えっと、ラ、ラブドールレトリバー!」

「ブッ、ブー。惜しいけれど不正解」

 お姉さまが若干及び腰になってしまっている私に近づいてこられ、ワンちゃんも起き上がって今度は私にまとわりついてくださいます。
 相変わらず嬉しげにしっぽをブンブン振られながら。

「レトリバーは合っているけれど、この子はゴールデンのほう。ゴールデンレトリバー」
「それにラブドールって何よ?等身大美少女ダッチワイフじゃないんだから」

 からかうように私の顔を覗き込まれるお姉さま。

「正確にはラブラドールね。ラブラドールレトリバー。でもこの子はゴールデンレトリバー。見分け方は毛足の長さかな。ジョセみたいにモコモコなのがゴールデンね」

 お姉さまのご説明中もずっと私にじゃれついてくださっているワンちゃん。
 背後に回られたワンちゃんが私のワンピースの裾に頭を突っ込まれ、剥き出しのお尻をフワフワの毛でくすぐってこられます。
 ああん、そんなー、気持ちいいー。

 バタン、バタン…
 ドアが開閉する音がして男性陣も車を降りられました。
 すぐにトランクに取り付かれ、お姉さまのであろうお荷物を引っ張り出されました。

 物音で気づかれたのでしょう、ワンピの裾から頭を抜かれたワンちゃんも、男性陣のほうを見遣っています。
 ただし、しっぽは垂れ下がったままスーンとしたご興味なさげなお顔で。
 このワンちゃんも私と同じく男性は眼中に無いのかな。

 お姉さまのお荷物は、いつも出張時にお持ちになっている大きめのキャリーケースとアンティークなトランクケース、それといつものバーキンと先ほどお持ちになられたトートバッグ。
 それらを玄関の前まで運んでくださった本橋さまと橋本さま。

「荷物はこれだけでいいですかね?」

「あら、ありがとう。うーんと、あれ?直子のポシェットは?…あ、バッグに入っていたわ」

 本橋さまとお姉さまの会話。

「それじゃあぼくたちはここで。車は明日の昼過ぎまでに戻しますから」

「うん、本当にありがとね。道わかる?」

「あ、はい、ナビありますから」

「そっか。気をつけて。良い休日を」

「チーフたちも良い休日を。森下さんもね」

 おやさしいお言葉を残されて車に引き返されるおふたり。
 ゆっくりと方向転換され、滑るように木立の中へと消えていったお姉さまの愛車。

 再びしっぽをブンブン振り回して私のワンピのお尻側の裾に潜り込んでくるワンちゃん。
 ああん、そんなところ舐めないで…

 そのとき荘厳な玄関の観音開きな扉が、スーッと外開きになりました。

 どなたが開けられたのか、そのお姿は大きな扉と壁の影になってしまい最初は見えませんでした。
 ただ、その空間から垣間見えた内部のゴージャスさに目を奪われました。

「あ、お出迎えよ。行きましょう」

 お姉さまに促され石の階段を上がります。
 ワンちゃんは入らないように躾けられているみたいで、階段下にチョコンとお座りになられ名残惜しそうにしっぽが揺れています。
 玄関と同じ高さまで上がったとき、目の前に広がる壮麗な空間。

 床は大理石、高い天井から優美なシャンデリアが大小五基も吊り下がっています。
 横幅だけでも10メートル以上はありそうな空間の左右の壁際には、ゴシックデザインのシックなクロゼット?靴箱?がズラリ。
 更に一段上がった床は、ベルサイユ宮殿でおなじみのヘリボーン柄。

 ずっと奥にもう一枚観音開きの扉があり、その扉の左右脇に弓矢を構えた愛らしいキューピッドの彫刻。
 明かり採りらしき高い場所にある窓には万華鏡を覗いたみたいな模様のステンドグラスが貼られ、今まさに淡い光を床に落としています。
 
 玄関だけでテニスコートが一面分、余裕で取れそうな広さ。
 ただ単に玄関という一言では至極失礼な、敬意を込めて、玄関の間、とも呼ぶべき絢爛豪華な空間。

「エミリー、ひっさしぶりーっ!相変わらず美人さんだねー」

 私が内装に見惚れていると左脇のほうからお声が聞こえ、あわててそちらへ顔を向けます。
 絢爛豪華な玄関の間にはあんまり似つかわしくない、見るからに庶民の普段着な姿の女性がお姉さまとハグされていました。
 おからだを離されたので、その女性のお姿を見ると…

 上はゆったり長めな黄色い半袖Tシャツ、下は真っ黒ピチピチのレギンスだけで裸足。
 ゆるふわなショートボブヘアが細面のくっきりした目鼻立ちによくお似合いな美人さん。
 背はお姉さまと同じくらいで、スラッとスレンダーながら出るべきところはしっかり出ていらっしゃる感じ…Tシャツがゆったりなので確かなことはわかりませんが…

「何言ってるの?6月だったか7月だったかに仕事で会ったじゃない」

「で、こちらがエミリーがぞっこんのプティスールちゃんね。へー可愛い子じゃない?」

 お姉さまのツッコミにはお応えされず私のほうへと近づいてこられたその女性。
 間髪を入れずギュッとハグされました。

「きゃっ!」

「うーん、いい抱き心地、合格よ。よろしくね」

 何がどう合格なのかはわかりませんが、からだが離れてニコッと微笑みかけられます。

 抱きすくめられてわかりました。
 この女性もTシャツの下は素肌なことに。
 しっかり大きくて弾力に富んだふたつの膨らみが私の胸にギューッと押し付けられました。
 女性にも私がノーブラなことはわかってしまったでしょうけれど。

「直子、こちら寺田さん。先生の秘書と言うかマネージャーと言うか、お仕事全般を取り仕切っている偉いかた」

 お姉さまがご紹介してくださり、私はペコリと頭を下げます。

「あ、森下直子です。このたびはお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」

 偉いかたと聞かされ、いささか緊張気味にご挨拶。

「もちろんよ。直子ちゃんっていうんだ?じゃあ、直っちだね。アタシのことは寺ちゃんとか寺っちとか気軽に呼んでいいから、さあ、早く中へ入りましょう」

 フレンドリーにご対応くださる寺田さま。
 正面で見るとTシャツには、ポケットなんとかっていう大流行中ゲームのキャラクターのお顔のイラストが大きく描かれていました。

「あ、スリッパ履く?アタシら的には裸足でも全然構わないのだけれど」

「一応いただくわ。何しろ暑くって足の裏も汗かいちゃっているだろうから」

 お姉さまがお応えになり出てきたスリッパも見た目レザーっぽい有名ブランドロゴマーク付きの高級そうなもので、室内履きとかルームシューズなんて呼びたくなっちゃう。
 お姉さまがバーキンとトランクケース、私がキャリーを畳んで手持ちにして、うんせと運びながらもう一枚の扉の前へ。

 その扉が開いた途端に絶句…うわっ、とか、凄い、とかの声も出ませんでした。

 広大に拡がる円形の空間。
 どこのコンサートホール?って言いたくなるほど高い天井。
 フロアは黒と白の床材で奇麗な市松模様を描き出しています。
 
 奥のほうにはグランドピアノまで置いてあり、今すぐにでもオーケストラを入れて宮廷大舞踏会が開けそう。
 これだけ広いのに玄関の間も大広間もちゃんと涼しいのですから、エアコン代が凄そう。

「いつ見ても凄いわよね、この大広間。来るたびに圧倒されちゃう」

「無駄に広くてね。お客さんがいなくてアタシらだけだと寒々しいだけだよ。アタシらが使うのはあの辺一帯だけだしね」

 お姉さまの感嘆に素っ気なくお答えになられた寺田さまが指さされた方向にもうおひとかた。
 入り口から見て右45度の位置ら辺にシックなワインレッドの立派な三人がけソファー。
 それが向かい合わせに置いてあり、あいだに大きな楕円形のテーブル。
 家具全部が猫足でクラシカルかつお洒落なデザイン。

 そのソファーの私たちが見える位置に、寺田さまとおそろいぽいTシャツを召した妙齢の女性がこちらに軽く手を振っていらっしゃいます。
 ぞろぞろとそちらに移動する私たち。

「こちらは中村さん。しゅっぱ、あ、かなちゃんは会社やめたんだっけ?」

「はーい。7月からプー太郎でーす。寺っちに食べさせてもらってまーす」

 お道化たご様子でお姉さまにお応えになられた中村さまは、肩までのウルフカットがよくお似合いなこちらも小顔な美人さん。
 ボトムはグレーのジャージに裸足。
 寺田さまよりも目と唇が大きめで、なんとなくやんちゃそう、って言うか、ロックバンドでボーカルとかしていそうな印象です。

「でもフリーで同じようなお仕事、つづけられるのでしょう?」

「うん。そのつもりだけど、まあしばらくは寺っちのヒモでいるのもいいかなー、なんてね」

 屈託なく笑われた中村さま。

「ま、そんなことよりここは再会を祝してカンパイといきましょうや。さ、座って座って」

 中村さまに促され対面の高級そうなソファーにお姉さまと並んで腰掛けました。
 テーブルの上にはシャンパングラスとアイスペールに刺さった真っ黒なボトル。
 大きなお皿の上にチーズやクラッカー、キスチョコ、ピスタチオ…

 中村さまがアイスペールから黒いボトルをお抜きになり、両手でお持ちになりました。
 瓶の飲み口のところをチマチマされた後、その部分に白い布地をかぶせられます。
 片手で瓶の底、もう一方で飲み口のほうを持たれ、何やら慎重に作業をされている中村さま。

 やがて、ポンッ!という小気味の良い音がして、中村さまが並んだグラスに飲み物を注ぎ始めます。
 あれって、多分とてもお高いシャンパンだ…

 中村さまが私に飲み物が注がれたグラスを差し出してくださいます。
 受け取った途端に、自己紹介がまだだったことを思い出しました。

「あ、ありがとうございます。森下直子と申します。このたびはお世話になります。よろしくお願いいたします」

 慌てて立ち上がりペコリとご挨拶。
 あはは、と笑われる中村さま。

「うん。知ってる。エミリーから話聞いているし、写真もたくさん見せてもらったし」

 イタズラっぽく笑われる中村さま。
 うわっ、お姉さま、どんな写真をお見せになったのだろう、と急激にモジモジしてしまう私。

 カンパイの後はしばしご歓談。
 お姉さまと寺田さま中村さまの共通のお知り合いのお話がしばらくつづきました。
 私は、このシャンパン美味しいな、とチビチビ舐めつつ蚊帳の外。

「ところで先生は?」

 お話が一段落されたのか、お姉さまが投げかけられた素朴な疑問にかますびしくお応えになられる寺田さまと中村さま。

「昨夜遅くまで仕事されていたみたいで、さっき起きられて今はシャワーでも浴びてるんじゃないかな?」
「先週、百合草ママ御一行が来ていて凄かったのよ。酒池肉林。絵に描いて額に飾ったような酒池肉林」
「それで先生もご愉快が過ぎちゃって、お仕事がちょっと押しちゃった感じ?」

「えっ?百合草ママたちが来ていたんだ?誰と?何人で?メンツは?」

 お姉さまが喰い付かれます。

「総勢八名。ママとミイチャン以外見覚え無い顔ぶれだったから比較的新しいお知り合いとかお客様がたなんじゃないかな?」
「話したらアタシたちをお店で見たことある、って人がふたりいた」

「その中にマダムレイって呼ばれてるノリのいいマダムがいてね。本人がアラフォーにはまだ早い三十路って言ってたな。子供が一人いるけど実家に預けてきたって」
「そうそう、それでそのマダムが連れて来ていたM女を先生がえらく気に入っちゃって」

 愉しそうにご説明してくださる寺田さまと中村さま。

「そのM女、たぶんマダムと同じくらいの三十路だと思うんだけど、に先生がセーラー服着せたりスク水着せたり体操服着せたり」
「滞在中何度も呼び出していたよね?で、その三十路M女の場違いなコスプレがかなり似合うんだ、ヤバイ色気で。相方のマダムも嬉しそうにあっけらかんとはしていたけれど…」

「うん、ちょっと緊張したよね?マダム、実は密かに怒っているんじゃないかって。子供いるくらいだから両刀のバイだろうけど、マダムとM女は完全に主従の雰囲気だったから。人のドレイを好き勝手に、って思ってたりしないかなって」
「で、このM女がまたえらく芸達者でさ…」

 そのとき、大広間の振り子時計が、ボーンッ、とご遠慮がちな音を響かせました。

「あ、やばい。もうこんな時間じゃん。先生には三時見当って言ったよね?」
「だね。そろそろエミリーと直っちには準備してもらわなきゃ…」

 にわかに慌て出されるおふたり。
 お席をお立ちになられ、私たちも急かされるように立ち上がります。

「二階のお部屋に案内するから段取り通り、なるはやで用意してくれると助かる」

 寺田さまが真剣なお顔でおっしゃいました。


0 件のコメント:

コメントを投稿