2015年5月3日

オートクチュールのはずなのに 02

「さあ、カップを洗ってしまいましょう。うちの給湯室はね、室外にあるの。水周りもそこだから。ついてきて」
 使用済ティーカップをすべてトレイに乗せ、テーブルを拭き終えたほのかさまが、私の傍らにいらっしゃいました。
「あ、社員証ね。オフィスフロアの出入りに必要だから失くさないでね」
 テーブルの上に置かれたままの裏向きカードホルダーをみつけたほのかさまが、カードと私の顔を交互に見ています。

「さっきチーフが、履歴書の写真をスキャンして貼っておいた、なんておっしゃていたわね。見ていい?」
「あっ!それは・・・」
 動揺している私の右手がカードホルダーに届くより一瞬早く、ほのかさまの右手がカードを取り上げていました。
「なあに?写真が恥ずかしいの?確かにこの手の証明写真て、気合入れすぎて力んじゃって、変な感じで撮れちゃうことが多いのよね」
 ほのかさまがイタズラっぽく微笑んで、手に取ったカードを表向きにしようとしています。

 ああ、見られちゃう・・・
 社長室の窓際のテーブルの上で、乳首とラビアとクリトリスに繋がったチェーンをお姉さまに引っ張られながらイキまくった、はしたない私のアヘ顔写真。
 今すぐこの場から消え去りたい衝動に駆られ、晴天の青空が覗いている窓を見ました。
 あっ、でもここの窓って、開かないんだった。

「なーんだ。悪くないじゃない。これって一年位前?今よりちょっと幼い感じだけれど、それも可愛い」
 ほのかさまが社員証を手渡してくださいました。
 そこには、私が履歴書に貼った、本来の写真が付いていました。
 お姉さまが、ちっともあなたらしくないもの、とおっしゃった、今日と同じリクルートスーツ姿での証明写真。

「はい、かけてあげる。市民証も一緒に入れて、こうしておくのが基本ね」
 ほのかさまがストラップを私の首にかけてくださいました。
「だけど、出歩くときはカード部分を胸ポケットに入れるとか、いっそ外したほうがいいわ。好き好んで個人情報を見知らぬ人たちに見せびらかすことはないもの」
「大人数の会社なら、社員かお客様かわからなくなるから常にぶら下げておかなければいけないのでしょうけれど、うちは全員、顔見るだけでわかるものね」
「ただ、失くすとそれこそオフィスにさえ入れなくなっちゃうし、再発行の手続きも面倒だから、管理はしっかり、ね?」
「はぁい」
 極度の緊張状態から、盛大に安堵して、腑抜けになったような声でお答えしました。

 ほのかさまと室外の給湯室まで行き、ポットとカップを洗いながら、お客様が見えたときのお茶の出し方などのレクチャーを受けました。
 それからふたり揃って社長室へ。
 社員証を胸にぶら下げている私を見て、チーフがイタズラッ子みたく愉快そうに、唇の端を歪めました。

 でも、そこから先はずっと本気お仕事モードで、チーフとほのかさまのおふたりがかりで、私に任されるお仕事について丁寧に教えてくださいました。
 覚えなくてはいけないことが沢山。
 必死にノートをとりました。

 ただ、ほのかさまがお仕事のお電話でお席を外されたその隙に、どうにも我慢出来ず、姉さまにお尋ねしてしまいました。
「あのぅ、私の履歴書、ひょっとして早乙女部長さまにお見せになったのですか?」
 恐る恐る尋ねる私の不安気な表情が、お姉さまのツボにはまったのでしょう、唇が、うふふ、の形になるのをこらえるみたく、ワザとらしく無表情を作っておっしゃりました。

「うん。そのほうが話が早いからね。一昨日、この履歴書見せながらアヤと雅とで打ち合わせしたの」
 お姉さまのデスクの上に無造作に置かれた一枚の裏向きの書類を掴み、私の目の前でヒラヒラさせてきます。
「あ、それは・・・」
 手を伸ばす私を左腕で制し、焦らすみたいにゆっくりと、その書類を表に返しました。

「イタズラ書きする前にコピーとったのよ。わざわざ履歴書と同じような紙でね」
 してやったりの表情で、お姉さまに履歴書を手渡されました。
 私が提出したときのままのオリジナルな履歴書でした。
「直子が書き足したのはそのコピーのほう。そっちもその金庫の中に大事に保管されているけれどね。あの写真付けたままで」
 にんまり微笑まれるお姉さま。
 そのお顔は、会社のチーフとしてのオフィシャルなお顔ではなく、私だけが知っているエスっ気たっぷりなプライベートでのお姉さまの、それでした。

「だいたい、あんなふざけた履歴書をアヤに見せたら、激怒ものよ。即却下されちゃう。彼女、一見さばけているように見えるけれどシモネタ耐性は低めだから」
 再び私の手から履歴書を奪い取ったお姉さまは、ご自分のデスクの抽斗にそれをしまいながらつづけました。
「それに、そういうのって、周りがだんだんわかってくるほうが愉しいじゃない?まさか、こんな子だったなんて、って」
「うちに勤めて、直子が自分のえっちな嗜好をずっと隠し通せるなんて、あたしはこれっぽっちも思っていないの」
 お姉さまが立ち上がり、エスの瞳で私を見つめてきます。

「うちはエロティックなアイテムも少なからず扱っているから、そういうのに接したときの直子の反応が凄く愉しみ」
「うちのスタッフもそのへんの嗅覚は鋭いからね。遅かれ早かれ直子の恥ずかしい性癖が全員に知れ渡るときが来るはずよ。ちょうど、あたしと直子があの試着室の中で、だんだんとお互いを知っていったようにね」
「それで何が起こるか、が、あたしにとって一番愉しみなことなの」
 ゾクッとするほど艶っぽく微笑むお姉さま。

「だからまずは、仕事を普通にこなせるように一生懸命頑張ること。仕事も一人前に出来ないような人には、愉しむ権利なんてないから」
「しばらく見てみて、使えないなと思ったら即クビよ。あたしの性格から言って、そういう人には個人的な興味も薄れちゃうから、おつきあいもご破算、ジエンド。いい?わかった?」
「はいっ!一生懸命がんばりますっ!」
 おっしゃっている最中に、お姉さまのお顔がプライベートからオフィシャルなチーフのお顔に変わっていき、最後の、わかった?は、取り付く島も無いほどの冷たさ。
 それだけはイヤ、と思った私は、背筋をピンと伸ばし、心の底からお答えしました。

「お待たせしましたー」
 ちょうどそのとき、お電話を終えたほのかさまが社長室に戻っていらっしゃいました。
「あら、おふたりともなんだか怖いお顔されて。何かありました?」
 ほのかさまがチーフと私を交互に見て、少し戸惑ったご様子。
「ううん。森下さんにちょっと、社会人の心得みたいなものを説明していただけ。森下さんもがんばるって張り切っているから、たまほのも指導、よろしくね」
「あ、はい。わたしも早く直子さんに引き継いでもらって、営業のお仕事に力を入れたいですから」
 ほのかさまがはんなりと微笑まれ、その場の空気が和らぎました。

 それからしばらく、慌しい日々がつづきました。
 私に任されたお仕事は、事務職全般、メインはお金の管理でした。
 もちろんお金そのものではなく、その流れの管理って言うのかな。
 仕入れと納品の出納、送られてくる請求書、小口現金、ネット通販の売上げ、エトセトラ・・・
 ありとあらゆるお金の流れをパソコンで管理し、その数字を日々チーフと部長おふたりにメールでご報告することでした。
 それに加えて、郵便物の仕分け、ご来客の対応、お電話取次ぎ、お買い物のお使い・・・
 ほのかさまのご指導の下、チーフから見捨てられないよう、必死でがんばりました。

 覚えることが多すぎて、頭の中では桁数の大きな数字と計算式とアパレル業界用語がおしくらまんじゅう。
 家に帰っても、ほのかさまからお借りした本で勉強しなければいけないことが多く、本当に大変でした。
 そんな感じでも一週間が過ぎた頃から、ようやく周りにも目を遣る余裕が少しづつ出てきました。

 間宮雅営業部長さまは、初出勤から3日目の月曜日、朝のミーティングのときに初お目見えしました。
 第一印象は、本当に格好いい人。
 デヴィッドボウイさん、という先入観もあったせいで中性的な二枚目イメージを思い描いていたのですが、実際にお会いしたら、ぜんぜん違っていました。

 襟足長めのウルフカットに細面の端正なお顔立ち、背もスタッフの中でもっとも高く、長いおみあしにパンツスーツがスラリと似合って、と、見た目は某歌劇団の男装の麗人そのものなのですが、とても人懐っこいご性格のよう。

「あなたが森下のナオちゃん?へー、カッワイイねえ。写真よりぜんぜん可愛いじゃん」
 私を見ての第一声が、これでした。
 そしてその後、立ち上がって自己紹介しようとした私の傍らにいらっしゃり、先に自己紹介してくださいました。

「営業の間宮雅です。ナオちゃんみたいに可愛い子が我が社に加わってくれるのは大歓迎。よろしくね」
 間髪をいれず、そのしなやかで長い両腕が伸びてきて、ギュッとハグされちゃいました。
 スタッフのみなさま全員が見ているその目の前で。
 ひたすらびっくりしている私の鎖骨の下辺りに、間宮部長のシルクのブラウス越しの、そのしなやかな体躯にしては意外に豊かなバストの感触がありました。

 そんな間宮部長は、ほとんどオフィスにいらっしゃることは無く、毎日どこかへ出かけれられていました。
 全スタッフの業務スケジュール、ご自身の出張やご来客の予定などは、決まり次第逐一私宛てにメールや口頭で連絡が入り、それを私がスケジュール表としてまとめ、会社のSNSみたいな場所にアップ、更新することになっていました。
 そこにアクセスすれば、いつ誰がどこにいるのか、いつ誰が来社するのか、が一目でわかる仕組みです。
 間宮部長のスケジュール表は、3ヶ月先くらいまで、お取引先や仕入先、顧客様のお名前と共に日本全国、いいえ、アジア諸国やヨーロッパをも含めた地名であらかた埋まっていました。

 これはチーフも同じことで、チーフのスケジュールも、海外を含めた広範囲のご予定が、ずいぶん先まで書き込まれていました。
 したがってこのおふたりは、たとえ朝出社されてもずっとオフィスにいらっしゃることはまず無くて、そのまま数日お顔が見れない、なんてこともままありました。

 反対にずっとオフィスに入り浸りなのは、開発部のヴィヴィアンガールズコンビ、リンコさまとミサキさま。
 このおふたりは、ほとんどずっと開発のお部屋に篭りきりで、おふたりで何かされているようでした。
 チーフから、開発のお部屋には立ち入り禁止と言い渡されていたので、入ってみたことが無い分、内部への好奇心も湧きました。

 早乙女部長さまは、オフィスを出たり入ったり。
 オフィスにいらっしゃるときの、そのほとんどの時間は、ご来客のお相手かお電話に費やされていました。
 たまに開発室の中にも入られて、長いあいだ出てこないこともあります。
 いつも品の良いエレガントな感じのスーツ姿で、テキパキと優雅に業務をこなされていました。

 ほのかさまとは、初出勤から三日間くらい、ずっと一緒に行動を共にしたので、すっかり打ち解けていました。
 ほのかさまからの業務引継ぎのご説明はとてもわかりやすく、何のためにそれをやるのか、なぜそうするのか、間違うとどんなリスクがあるのか、まで丁寧に教えてくださるので、飲み込みの遅い私でも、与えられたお仕事のノウハウをひとつひとつ着実に身に付けることが出来ました。

 ランチタイムは、ほのかさまと一緒に社長室や応接で、それぞれ持参のお弁当を食べました。
 最初のうちは、オフィスビル市民専用の合同社員食堂?や階下のレストラン街に連れて行ってくださいました。
 もの珍しさも手伝ってワクワクもしていたのですが、やっぱりお昼時はどこも混んでいますし、それに外食のランチだと私には量が多すぎる感じでした。
 外食慣れしていない私が思い切ってそのことをほのかさまに告げると、ほのかさまはほのかさまで私に気を遣っていたらしく、それまでずっとお弁当持参だったのを、新社会人なら、そういうのにも憧れているだろうと思い、無理して外食に誘ってくださっていたのでした。

「わたしも実はあんまり、お昼時の外食は好きではないの。量が多いし、がやがやしているし」
 というわけで、私とほのかさまはお弁当仲間となり、私は毎朝のサンドイッチ作りが楽しみのひとつとなりました。

「このビルの隣に公園があるでしょう?あの公園にはね、人懐っこい野良ネコがいっぱいいるの。お弁当食べていると寄ってくるのよ。あ、直子さんはネコ好き?」
「はい、大好きです。飼ったことはないけれど」
「よかった。今日はそこでお昼にしない?」

 お勤めを始めて2回目の週末、きれいに晴れ上がったポカポカ陽気のお昼時、ほのかさまに誘われて初めての屋外ランチタイム。
 公園には、あちこちにお弁当をまったりつつく、OLさんやサラリーマンさんたち。
 そのあいだをウロウロする10匹以上のネコさんたち。
 私たちも空いているベンチに腰を下ろし、お弁当を広げました。

「直子さんもだいぶ慣れてきたみたいよね。どう?うちの会社」
 ほのかさまのお弁当はいつも、ちっちゃくてオカズぎっしり、ご飯少な目。
 オカズは和風なものが多く、ひじきとかおひたしとか和え物とか、愛らしい見た目に似合わず渋い感じでした。
「わたし、濃い味の食べ物ってだめなの。すぐお腹いっぱいになっちゃって」
 可愛らしくおっしゃるほのかさまに、こういうかたこそ本物のお嬢様なのかもしれないな、なんて思いました。

「慣れたなんて・・・まだまだです。みなさんおやさしいし、親切に良くしてくださるので、一日も早く追いつきたいです」
「ううん。直子さんはよくやっているわよ。昨日も早乙女部長が褒めていたの、直子さんが作った試算表見て」
「本当ですか!?それは嬉しいけれど、あのかた、ちょっと怖いですよね?いつも冷静で、あまり笑われないみたいだし」

「そう?お話してみるとけっこう楽しいかたなのだけれど。でも確かに、仕事には厳しいわね」
「はい!このあいだなんかお電話で、どれだけ時間がかかったかは、こちらの問題ではありません。結果が出せないのであれば、他を当たるしかありませんね。なんて、平然とおっしゃっていました」
「ふふ。あのかたらしい言い方だわ」
「それも、別に怒っているふうではなくて、さも当然、ていう感じだったんです。私、それを聞きながら、このかた、怖いなーって」

 お答えしながら、ほのかさまがなぜ私をお外へ誘ってくださったのか、わかったような気がしました。
 私のガス抜きをしてくださっているんだ。
 オフィス内ではこんなお話、出来ませんから。

「間宮部長は?」
「あのかたも、つかみどころのないかたですよね。すごくお優しいのだけれど、接し方が独特と言うか・・・」
 めったにお会い出来ない間宮部長さまには、初顔合わせのあと2回だけ出勤され、そのたびに私に抱きついてきてペタペタ触られていました。
 あーいい匂い、気持ちいいなー、とかおっしゃりながら。

「あのかたは、誰にでもあんななのですか?その、ボディコンタクトと言うか、スキンシップと言うか・・・」
「そうね、誰にでも、ということはないわ。そういう意味で直子さんは好かれちゃったみたいね」
 なぜだか嬉しそうに、ほのかさまが微笑まれました。
「あのかた基本、博愛主義者だから」
 お弁当を食べ終わったほのかさまが、足元でうずくまる黒ぶちネコさんの背中をやさしく撫ぜながらおっしゃいました。

 そう言えばチーフは、間宮部長さまとほのかさまが惹かれあっているようなことをおっしゃっていたっけ。
 そうすると私は、あまり間宮部長さまに馴れ馴れしくしてはいけないのかも。

「開発のおふたりとは、すっかり仲良くなれたみたいね?」
「はい。アニメのお話で気が合ったので。今度コスプレ衣装も作ってくださるって。たまに息抜きしたくなると、社長室へもおふたりで遊びにいらっしゃいます」
「へー。わたしも直子さんに教えてもらって、アニメ仲間に入れてもらおうかしら。シャイな美咲さんのほうとは、未だにあまりお話したことないから」
「はい。いつでもおっしゃってください。ミサキさんも、好きな作品のお話になると、かなりおしゃべりになりますよ」

 そんなこんなで、初出勤から2週間を過ぎた頃には、ほのかさまのお手を煩わせなくても、どうにかひとりで業務がこなせるようになっていました。
 それと同時に、それまでムラムラのムの字さえ感じる暇も無かった緊張感が、ゆっくりと解けていくのがわかりました。
 考えてみればそのあいだ、お姉さまとのイチャイチャはおろか、オナニーさえ一度もしていませんでした。
 そんなこと、東京に出てきて以来、初めてのことでした。

 お姉さまがおっしゃった通り、この会社が扱っているアイテムの中には、私のえっちな妄想を駆り立てるエロティックなアイテムがけっこうありました。
 ボディコンシャスなドレス、ローライズジーンズ、マイクロビキニの水着、シースルーの下着、キャットスーツ、ヌーディティジュエリー・・・
 そういうものを目にするたびに、お姉さまが冷たい瞳で言い放った、ジエンド、というお言葉を思い出し、気を抜けば広がり始めるえっちな妄想を必死にシャットアウトしてきました。

 そんな我慢もそろそろ限界に達しそうな頃、世間は春の大型連休を迎えようとしていました。


オートクチュールのはずなのに 03


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